第108話 特別な何かにはなれないけど


「ふぅぅ……巧君、居るか~い?」


「居ますよー? 壁一枚ってのは、少々防犯意識に欠ける気がしますが……良いモノですねぇ、温泉」


 そんな会話をしながら、私達は宿の温泉に浸かっていた。

 明るい時間帯と言う事もあり、此方もそうだが男湯の方も巧君一人の様で。

 存分に声を上げながら壁越しに会話をしている訳だ。


「どっかの引き籠りハッカーに部屋追い出されちゃったけど、良いモノだねぇ……ビジネスホテルじゃこんな贅沢は出来ないよ」


「ですねぇ……それに唐沢さんが無事で、ホント何よりです。こうして先に温泉に入っちゃうのも、ちょっと申し訳ないですけど」


 などと会話しながら、非常にのんびり。

 唐沢さんの治療には焦ったが、本人の傷の治り具合がヤバイので、むしろこっちとしては何をしたら良いのか。

 とにかく血を止めて行けば、ガンガン治っていくし。

 アレもRedoから受ける影響。

 そう考えてしまえば、非常に楽なのだが。

 私の様に、足が速くなった……とかではないのだ。

 いざ目の前に傷があり、血を流している。

 だというのに、彼の場合はどんどんと傷が治っていく。

 まるで、“次”に備えるかのように。

 すぐに戦える様にするかのように。

 Redoというゲームは、こんなにも生物というモノを変えてしまえる程の“何か”を持っているのか。

 なんて思ってしまえば、これまでとはまた違った恐怖さえも覚えるが。


「正直さ、怖いなって。そう思った」


「大葉さんもですか……僕もです。あんな傷を負っているのに、唐沢さんは全く気にしていなかった。普通だったらあり得ませんよ」


 そんな会話をしながら、お湯を掬って覗き込んだ。

 そこに映るのは、いつも通りの私。

 そう、本当にいつも通りなのだ。

 こんな環境に置かれて、リアルを捨てろとまで言われたのに。

 私達は、まるで旅行の様にこの遠征を満喫している。


「私はさ……あの二人のどちらかに、リアルの方で身体を差し出せって言われたら……多分そうしていたと思う」


「“そういう意味で”って事ですよね。でも、確かに。そうする他無いかも知れませんね」


「でも、そうはならなかった」


「あの二人ですからね、当然です。彼等はそう言った事を求めていない、“ずっと先”を見ている様に感じます」


「だよね。やっぱりそう感じるよね……どうして私なんかをパーティに置いてくれているのか分からなくなるくらい、皆は“先を”を見ている。でも私は、目の前の事しか見ていない」


 自らの掌から零れ落ちていくお湯を見ながら呟いていると、やがて私の手のお湯は全て零れ落ちてしまう。

 いつだってこうだ。

 何を守ろうとしても、何を支えようとしても。

 私の手からは、全てが零れ落ちてしまう。

 この手には、何も残らない。

 人生は妥協の連続で、自らの願いが叶う事の方が少ないんだって言葉を聞いた事がある。

 ホント、その通りだ。

 どれだけ頑張ったって、どれだけ多くの救おうとしたって。

 結局は掌の隙間から零れ落ちてしまって、何も残らず……“私”という掌だけが残る。

 それが現実。


「今日、改めて思ったんだ。私、何の役に立ててるんだろうって。皆に守られているだけ、我儘を言うだけ。皆に……怪我をさせるだけ。だったら、いっその事……」


「その先を言葉にしたら、僕は貴女に対して本気で怒ります」


 壁の向こうから、ゴンッと何かをぶつける音が聞えて来た。

 そして。


「いいじゃないですか、何者にもなれなくても。僕はずっとそうでした、“人”として認められなかったんです。でも貴女は違う、貴女は大葉理沙という人間だ。その人物に憧れて、僕は現実を見た。玩具の戦艦から、皆を守る戦艦に成長したって思いました。他の皆は、何かしらの理由があって貴女を守っている。それだけで、意味はあるんです。何かしら、大葉さんを守りたい理由があって、戦っているんです。だったら、貴女が否定しないで下さい」


「ごめん、ほんと……その通りだ」


「絶対二人の前で言っちゃ駄目ですからね? 鸛さんだって、あぁ見えて気にしますから」


「分かったってば。ホント、ごめん」


 そんな事を呟きながらコンコンッと男女の浴槽を遮る壁を叩いてみれば。


「覚悟を決めろって言われても、それは“殺せ”って言っている訳じゃない。お二人は、そんな人達じゃないです」


「随分と、馴染んだね」


「それくらい、優しい人達ですから」


 それだけ言って、巧君は黙ってしまった。

 ホント、その通りだ。

 あの二人から、“殺せ”と命令が来る未来の方が想像出来ない。

 こんな事態なのだ、それくらい出来て当然なのに。

 だと言うのに、未だ二人は私に対して“殺し”を強要して来ない。

 私がパーティに所属する理由であり、結果。

 きっと普通の戦績とは別に、何かを求めているからこそ、私を手元に置いているのだろう。

 今はまだその答えが分からないが、それでも。

 まずは、目の前の事から。

 私達の日常を取り戻す為に、脅かす存在に喧嘩を売る。

 コレだけは、確かなのだ。


「そろそろ上がろうか、巧君。二人の事も心配だし」


「ですね、唐沢さんとか……普通だったら平気で救急車を呼ぶレベルでしたよ。運転中に血は止まりましたけど」


 ちょっと長湯し過ぎたのか、ボーっとする頭を抱えながら。

 巧君と一緒にお風呂を上がった。

 未だ驚く事例は多いし、私以外は“賞金首”。

 だからこそ、理解しがたい事態には巻き込まれるが……それでも。

 皆、仲間なのだ。

 だからこそ、私もサポートしなくては。

 そんな事を思いつつ浴衣を羽織り、いつも以上に緩い雰囲気で自室に飛び込んでみた結果。


「あぁ、おかえり。すまない、黒獣の面倒を見てくれ。流石に疲労もあって限界に達したみたいだ。こっちはこっちでやっているから、邪魔しないでくれ」


 VRゴーグルみたいなのを付けたescapeに、ぶっ倒れている唐沢さん。

 あのね、本当に。

 見た目が平和じゃないの! 基本的にいつも!

 お酒! 飲み過ぎ注意!

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