挙式の夕べ Ⅰ
談話室で正装姿の一族が語らう姿は、人間の成ではないからか、浮世の何かを思わせる。
会話の最中、身振り手振りは彼らの階級では卑しいことであるとされているため、動くことはほぼないが、時折お茶やグラスを動かす所作__長い四肢は優美で、見習うべきだときだ、と自身の動きをそれとなく省みる。
「__イェソド州の州軍の編成はどうなりそうです?」
「私が出向することになるかもしれない」
「国軍からでなく?」
「国軍からはないが……前元帥閣下と取引してな。前元帥閣下が赴くなら、惜しみなく協力しようと言ったので、そうなるだろう」
「これはまた」
「あいつなら、暇になっているのだから呆け防止にちょうどよい」
「いくら彼に教えたことがある途中で退団した上官とはいえ、あまりな物言いでは。兄上はあくまで州軍の長、相手は前任の元帥閣下ですよ。世間では後者が現役でなくとも上の立場です」
「よい。なにせこの一件、私の駒があったというのは大きい。あいつも今後暫く頭があがらんさ」
「ですが、州軍の長がしばらく留守で大丈夫なので? 法でも問題はない事案でしょうが……よく州侯がお許しになられましたね」
「ネツァク州侯の仰せだからな、そもそも。ネツァク州なら、優秀な人材を育てているから私が居なくてもしばらくは問題ないだろう、と。いくらか腑抜けになるかもしれんが……。大祖父に向かってもらう、という手もあるが……まあ、あの方はやらないだろうな。実力がある、実績もある。そんな人物をどうして使わない。使え、惜しむな、と教えたのはご自身だというのに。自分のことを棚に上げて」
「まあまあ、兄上」
「__まったく、こういう日ぐらい難しいお話は持ち込まないでほしいものだわ」
ぼやきながら、すぐ近くのソファーに腰を下ろす貴婦人の姿に、キルシェは我に返る。
恩師ビルネンベルク__ドゥーヌミオンの義理の姉エレオノーリアと言う彼女とは、これまで数度会っただけだ。
彼らの会話は聞き耳を立てているわけではないが、聞こえる範囲で言えば、政の内容にほかならない。
「お子様は、もうお休みに?」
「ええ、もう寝てしまっているわ。さすがに遅いもの。昼の挙式の疲れもあるから、湯浴みの最中寝てしまったぐらい。マイャリスさんも、もうお着替えしてしまってもいいのではないの?」
絹の純白のたっぷりとした裾のドレス。銀糸の刺繍が施されたそれは、今朝着付けてから、挙式、そして今に至るまでずっと着ている婚礼衣装である。
夜会のそれよりも、さらに動きにくく苦しいもので、一服という今であっても、あまり休まった気がしないが、キルシェはエレオノーリアの言葉に首を振る。
「昼の挙式に比べれば、くつろげていますから」
「確かに、あの面々には驚かされたわ。前元帥閣下に現元帥閣下、左大隊長、イェソド州侯にとどまらず、教皇
「でも、エレオノーリア様のご成婚の時も、それなりの方々__それこそ教皇聖下や大賢者相公だけでなく、五宮家の方々にもご列席いただいたのでは?」
「__あぁ……確かにそうだったわ」
忘れていたわ、と口元を扇で抑えて笑うエレオノーリア。
それは自身の地位をひけらかす為でなく、本当にうっかり忘れていたのだとわかる嫌味のないものだった。
「__あの人には内緒ね。私、自分の結婚記念日とかも忘れることが多くて……挙式が大事だったのを忘れたのかって今度こそどうしようもないと呆れられてしまうわ」
「エレオノーリア様方のご成婚と比べるべくもないですが、私にすれば、ビルネンベルクのご当主がいらっしゃるだけでも畏れ多いと申しますか、過分なほどで……」
「あの人は、大したものではないわ。ちょっと偉いと言うだけの立場よ。ちょっと歴史が古いお家の長で、イェソド州軍の長なだけ」
「__私が、なんだって?」
グラスを片手にキルシェの方へと視線を向けてから笑んで歩み寄ってくる人物。キルシェは迎えようと立ち上がる動きを見せれば、手を翳されて制された。
ドゥーヌミオンの実兄にして、現ビルネンベルク侯の当主レオナルティオン・フォン・ビルネンベルク。
「マイャリスさんが、貴方を買いかぶっているので、修正していただけですの。ただの便利屋です、と。__ね、お義母様」
「便利屋でしょうね、確かに」
くすくす、と笑うのは暖炉近くに腰掛けて、小さいグラスの甘い酒を煽る淑女。当代ビルネンベルク当主の実母クラウディアである。
「マイャリスさんも、どんどん使ってよくてよ? いざという時のベルネンベルクって」
「ぁ……いえ……畏れ多いです」
キルシェには何かと不便はないだろうか、と遠方に居ながらも気にかけてくれている人物で、宝飾品も惜しみなく貸し出してくれるほどである。
見た目こそエレオノーリアと変わらないが、齢はそれなり。
手厳しいな、と苦笑を浮かべるレオナルティオン。
「__昼は、ゆっくり会話ができなかったね、マイャリス嬢。中央の連中は、私を見かけると相談事を持ち込んでくるもので」
「今日は、遠路はるばるお越し頂き、ありがとうございました、レオナルティオン様。よその州ですのに……故郷の復興にご尽力頂いて……感謝しかありません」
「帝国内のことは、他人事では済まされない。ましてや、隣州の出来事。我がネツァク州への影響も計り知れないことだったし、実際そうだった……__早いうちから目をつけていてよかった」
__目……。そういえば、元気かしら……。
このレオナルティオンが送り込んでいた間諜の姿が思い起こされる。
憎めない飄々とした、実力を隠すのが上手い男。暗躍し、手助けを陰ながらしていてくれた男。
彼がいなければ、リュディガーもどうなっていたか知れない。
「あの、オーガス……クリストフ・クラインはお元気ですか?」
「ああ、彼なら今は、別件に向かわせていますが……まあ、元気ですよ」
「大祖父様は、屏風を広げすぎるな、と申しておりましたよ、兄上」
「はて、なんのことやら」
「私も、あまりどうかと思う、と申しているのよ。もっと言ってやって、ドゥーヌミオン」
「まぁ、義姉上、私は完全に反対というわけではないので……ただ大祖父様の苦言も一理あるから、という程度ですから」
ドゥーヌミオンとエレオノーリアのやりとりに、レオナルティオンは肩をすくめてグラスを口に運ぶだけだ。
「まあ、そこまで皆さん揉めないで。やれることをする……その形が、そうしたことだった、というだけのことよ」
唯一擁護に回ったのは、暖炉近くで静かに座っていた淑女。ドゥーヌミオンの母クラウディアである。
クラウディアとエレオノーリアは、どちらも出自は南兎の貴族である。
「それにしても、ナハトリンデン卿は遅いのね」
あくびを堪えながら、クラウディアは時計を見た。
時刻は22時を回ってかなり経つ。
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