第26話 私にできること

(私の所為だ……)


私の視界が涙で歪む。


でも、すぐに泣いている場合じゃない、と考え直して、涙に濡れた目を強く瞑った。

弱い心を振り切るように、ぱっと勢いよく目を開いて涙を飛ばすと、視界がよく見えた。


(私は、私にできることをしよう)


そう自分に言い聞かせると、私は力を振り絞り、白い男の拘束から逃れようと必死にもがいた。

首筋に当てられていた刃物が私の肌を薄く切り裂き、痛みに顔が歪んだが、構うことなく必死でもがき続ける。


「自分の命より、あの男が大事か」


白い男が私の耳元で問う。ルカには聞こえていないようだ。


「…………当たり前でしょ」


私は、首筋に暖かい血が流れていくのを感じながら答えた。


「果たして、本当にそうかな。

 あの男が死ぬのを見届ければ、あんたの命を助けてやる、と言ったら?」


白い男の甘言に、私は、かっと頭に血がのぼるのを感じた。


「馬鹿にしないでっ。

 誰かの命と引き換えに助かる命なんて、私はいらない」


その時、何故か不意に白い男の拘束がほんの少しだけ緩んだ。

私は、その隙を逃さず腕を引き抜くと、自由になった片手で懐に隠し持っていた短剣の柄を掴んだ。そのまま抜き放った短剣の切っ先を、白い男へと突きつける。


「ルカを助けて。そうしたら、私のことは好きにしていい」


私の剣先は、白い男の首筋の寸でのところで止まっていた。

白い男が仮面の下で息を飲むのがわかった。


「アリス!」


ルカが叫んだ。

私が振り返るより早く、どこからか短剣が飛んできて、私の片腕を掴んでいた白い男の腕に突き刺さる。

白い男は、小さく唸ると、私を解放し、剣の刺さった腕を抱えながら距離を取った。


そこへルカが駆け寄って来て、私の身体を自分の方へと引っ張った。

ルカの目が私の首筋から流れる血に気付いて、怒りに燃える。


「この傷は…………馬鹿、無茶ばかりしやがって。

 そんなに、俺のことが信用できないのか」


ルカは言いたいことだけ言うと、私を背後に庇いながら、白い男に対峙した。

私は、ルカの見慣れた広い背中を見て、両の目から涙が零れるのを止められなかった。


「私は、平気。ルカこそ……」


そう言いながら私がルカの全身に視線をやると、所々衣服が破けて血が流れているのが判った。

急所は外しているようだが、見ているだけで痛々しい。


(こんなに傷だらけになって……ルカは、どうして私を守ってくれるんだろう)


白い男は、私たちから少し距離を保ちながら、自分の腕から短剣を抜いた。

白い男の纏っている純白のマントが赤黒い血で染まって行く。


私は、先程の夜盗たちはどうしたのだろう、と背後を振り返った。

しかし、焚火に照らされて見える範囲に、立っている人影は見当たらない。

どうやらルカは、素手だけで剣を持った3人を倒してしまったらしい。


改めてルカの強さを実感し、私は、嬉しさに身が震えた。

私のルカは、世界で一番強いのよ、と世界中の人たちに言ってやりたかった。


「急所は外してある。

 だが、止血しなければ、死ぬぞ」


ルカが白い男に向かって、低い声で言った。


「敵の心配か。余裕だな」


流れ出る血を止めようともせず、白い男が答えた。


「お前の目的は何だ。何故、こんなまどろっこしいことをする」


私は、ルカの質問の意味が分からず、眉根を寄せた。


白い男は、答えない。

ルカが言葉を続けた。


「こいつを殺すことが目的なら、俺が夜盗たちと闘っている間にでも出来ただろう。

 だが、お前は、それをしなかった」


言われてみれば、確かにそうだ。

先程まで刃物を突き付けられていて、首筋に傷をつけたのは私が動いたからで、今こうして私が無事でいるということは、彼には私を殺す気など初めからなかったということなのだろうか。


「あんたが本当に “アイリス姫”なのかどうか、俺は、それが知りたい」


白い男の声は、切実で、それまでの冷静な彼の様子とは違い、私には、彼が本当のことを言っていると思えた。


彼の目的は、間違いなく 〝アイリス=レヴァンヌ姫〟なのだろう。


もし、私がここで、違うと答えたら……


「私は、…………」



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