第10話 臣下と主
〝割引〟という言葉に一瞬、心を奪われそうになったが、今は、こんな高価な買い物をしている余裕はない。
「……ごめんなさい、おじさん。
今、ちょっと急いでるのよ。
だから、また今度寄らせてもらうわね」
「……そうかい、残念だねえ。
じゃあ、また今度来てくれよ」
「ええ」
後ろ髪を引かれる思いで、宝石店を後にし、私は、ルカの姿を探した。
(……嘘、ルカの姿が見えない……。
もしかして、はぐれ……)
「こんな所にいらっしゃったのですか」
「あっ、ルカ」
「姿が見えなくなったので、心配しましたよ」
「ご、ごめんなさい……」
「私から離れないようにと申しましたでしょう」
「う、うん……でも、ルカったら歩くペースが速いんだもの。
私、ついて行けないわ」
実際、長身のルカと女の私では、歩幅も歩く速さも違う。嘘ではないが、宝石に目を奪われてました、というのは言わないでおく。
「……早かった、ですか?
それは、大変失礼を致しました」
予想外にルカが困った顔をするので、私は、ほんの少しだけ良心が痛んだ。
(ま、まぁ。
私が余所見をしていたというのも、あるのだけれど……)
ルカは、無言で何かを考えているようだった。
そして、少し言いにくそうに私から視線を外す。
「…………姫。
失礼ですが、お手を」
「……手を?
どうして??」
「どうやら私は、自分でも気が付かない内に早く歩いてしまうようです。
姫の歩調に合わせる為にも、手を…………繋いでいた方が、宜しいかと」
よく見ると、ルカの顔が少し赤い。何となく私もつられて頬が熱くなる気がした。
「どうか、ご無礼をお許し下さい」
そう言って、ルカが私に手を差し伸べる。臣下の者が主の身体に触れること、特にそれが異性の場合は、無礼に当たる。そんな常識くらい私も知っている筈なのに、何故か私は、ルカが許しを請うこと自体に違和感を感じた。
差し出されたルカの掌に、私は自分の手を重ねた。それは、まるで何かの儀式のようで、妙に緊張してしまう。
ぎこちなくルカが私の手を軽く握る。触れているのか触れていないのか、解らない程に軽く。
ルカは白い手袋をしているのだから、直接肌に触れているわけではないのに、不思議と繋いだ手からルカの熱が伝わってくるようだ。
そして、そのままルカに手を引かれるように、私たちは商店街の人混みの中を歩きだした。
ルカは、無言で前を向いたままなので、その表情は見えない。
なんだか照れくさくなった私は、誤魔化すように砕けた口調でルカに話し掛けた。
「……何か変な感じね。
ルカとこうして手を繋いで歩いてるなんて」
ルカの歩調は、先程よりもゆっくりに感じた。私の歩く速さに合わせてくれているのだろう。
「ルカとは、もう何年も一緒に居るのに……
手を繋いだのなんて、これが初めてのような気がするわ」
「……実際、初めてです。
臣下と主の関係なのですから、それが当たり前でしょう」
そう言ったルカの顔は、前を向いているので見えない。
私は、何故だか胸がもやもやした。
(臣下と主……)
言われてみれば確かにそうなのだけれど、ルカの口から聞くと、何か納得のいかないものを感じる。
「……私、ルカのことをそんなふうに思った事なんてないわ」
少し拗ねた口調で私は呟いた。
しかし、それは、周囲のざわめきによって掻き消されてしまう。
「今、何か仰りましたか?」
ルカが私を振り返った。その顔は、いつも通りの冷静な臣下の顔をしている。
「……ううん、なんでもない」
私は、ルカのことを友達か家族のように思っていたのだ。
でも、ルカは違っていたのだと思うと……ただ悲しかった。
先程まで暖かく感じた筈のルカの手は、今は何故か、ひんやりと冷たい。手を握っているのに、私は、ルカを遠くに感じていた。
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