第32話 勇者、懐柔を試みる。

 ◇



 女将の愛弟子であり義理の家族でもあったはずのソイツは、侵入した部屋の片隅で、まるで野盗のように室内の棚を漁っていた。


 ヤツの手には、いくつかの重要書類と思しき契約書が握られている。


「おいコラてめえ!」


「……!」


 たまらずに厳しい声を投げると、驚いたようにビクッと肩を跳ね上げてこちらを振り返るソイツ。構わずに俺は一目散に飛びかかり、手の中に握られていた書類をひったくった。


「おうおうおう、なに勝手に女将さんの書類漁ってんだよ! つかお前、愛弟子なんだろ⁉︎ 自分がなにしてるか分かってんのか⁉︎」


「お、お前に関係ないだろっ。いいからその書類、こっちに寄越せ」


 青褪めながらも、必死の形相で俺の手から書類を奪い返そうとするラウル。


 だが、女将さんが話していた通り、ヤツは体力には自信がないようで、押し合いへし合いの力勝負となると話にならないほど弱かった。突っかかってくるソイツをトンって押し返しただけで、びっくりするぐらいヨロヨロとよろめき、備え付けの机にガシャンと突っ伏したかと思えば、舞った埃を吸い込んでゲホゲホと咽せている。


「弱っ! つか大丈夫かよ?」


「う、うるさい! ケホッ。いいからその書類返せよッ」


 やや涙目になりながらも、なおも俺の手の中から書類を奪い取ろうとするソイツ。


 もちろんそう簡単には取らせねえぞと、俺は机に突っ伏したソイツの頭を片手で抑え、もう片方の手を高く上げて書類をひらひらさせながら、暴れるソイツの懐柔を試みる。


「やだね。返して欲しけりゃ自分でとってみろっての」


「んぎぎぎ」


「つかさー、返すもなにもこの書類は女将さんのだろ? なんでこんなことしてんだよ」


「ほ、ほっとけよっ」


「アイツらになんか脅されてんのか?」


「……っ」


「女将さん言ってたぞ。アンタはきっと、大事なものを盾に取られて『やむを得ずに向こう側についてるに違いない』って」


「…………」


「言えよ。何か理由があるなら聞いてやるし、アイツらに脅されてるだけってんなら俺がヤツらをぶっ飛ばしてやっから、こんな、女将さんを悲しませるようなことはもう――」


「そんな簡単にいくわけがないっ!」


「……っ⁉︎」


「アイツらはお前が思うほど単純なヤツらじゃない。奴らは……みんなが思ってる以上に外道で……鬼畜で……一介の冒険者を相手にしたくらいじゃ、そう簡単には潰れないような組織なんだ」


 俺を睨みつけながらも、ラウルは震えるようにこぼす。


「刃向かえばいずれ報復されるし、逆らうことも絶対に許されない。僕が少しでも変な動きをしたら、今すぐにでもこの店は……ばあちゃんは……っ」


 わずかに取り乱したように、頭を抱えるラウル。


 一体彼になにがあったというのだろう。よほど奴らに洗脳されているのか、ラウルはひどく怯えて窓の外を警戒しているようにも見えた。


「……」


 俺は、怯えるラウルの顔からそっと手を外す。


 ふう、と一息ついたのち、小刻みに震えているソイツを起き上がらせると、面と向き合うように姿勢を正した。


「やっぱり、脅されてんだな?」


「……」


「大丈夫。俺が責任持ってお前も女将さんもこの店も守ってやるから。正直に話してみろよ」


 いうても冒険者免許も取れていない、単なる駆け出しの未熟な戦士なんだけどな、とは、もちろん口が裂けても言えなかった。


「……な?」


「……」


 しかし、こういう時は方便も有用だったりする。


 俺の軽口に心を許したのか、それとも、本当はずっと何かに縋りたかったのか。ラウルは今にも泣き出しそうな顔で、良心の呵責に耐えかねたようにポツリと呟く。


「……に……」


「……ん?」


「本当にばあちゃんを守ってくれるのかよ……」


「ラウル……」


「ばあちゃんは俺の大事な家族で、母親も同然なヒトなんだ。ばあちゃんに何かあったら、僕は……僕は……」


 真剣な眼差しで俺を見るラウルに、俺は、目を細めて「ああ」と頷いてみせた。


 やはり、コイツにとっての『一番大事なもの』は女将だったのかと、俺は一人、静かに納得する。


 だとしたらやはり、なんとしてでもこの店と女将は守らなければならないだろう。


「約束する。男に二言はねえ」


「……」


 決意漲る目をした俺を見て、ラウルはようやく本音を吐露し始めた。


「はじめは……妹の……生き別れの妹の情報をくれるっていうから……ちょっと顔を貸しただけだったんだ……」


「……ん。それで結局、妹の情報はもらえたのか?」


 なんとなく想像ができつつも念の為に尋ねてみると、案の定、ラウルはふるふると首を横に振った。


「ただの『釣り』だった。『妹』の情報を出せば僕が食いつくのを分かってて、アイツらは言葉巧みに僕を誘き出したんだ」


「そうか……」


「結局、うまいことはぐらかされて連れ回されているうちに、店の内情とか、店の顧客のこととか、ばあちゃんのプライベートのこととか。一つ一つ大事な情報を抜き出されて悪用されてて、気がつけば僕は、僕自身がこの店を営業休止状態に追い込んでた」


「……」


「このままじゃいけないと思ってヤツらとの縁を断ち切ろうともしたんだけど、そう思った時にはすでに遅かった。いつの間にか僕自身も奴らの内情を知りすぎちゃってて、勝手に仲間扱いされてたり、組織名簿に僕の名前を加えられてたり、ばあちゃんの店を潰すメンバーに加えられたりしてて……少しでも抵抗すれば、その仕打ちはばあちゃんに向くよう仕向けられちゃうから、逆らう余地なんてなかった」


「……」


「今も……店に忍び込んで権利書を盗ってこないと、店だけじゃなくばあちゃん自身にも危害を加えるぞって脅されて、それで……」


「なるほどな。それで、店に忍び込んで書類を……」


 俺が納得したようにこぼすと、ラウルは唇を噛み締めたまま、小さく頷いた。


 心底申し訳ないと思っているのだろう、青ざめた顔で俯くその瞳には、うっすらと後悔の涙が滲んでいる。


「これが最後だからって、ちゃんとやることやれたら組織を抜けてもいいって言われてるけど……きっとそれも、単なる釣り餌だと思う。アイツらの内情を知りすぎてしまった僕を、奴らが野放しにするとは到底思えないし、どうせ都合よく処理されるだけなんだろうってのはわかってるんだけど、ばあちゃんを盾に取られている僕には、他に選択肢なんかないから……」


「そうか。だったら尚更――」


 たまらず俺は、その悪縁を断ち切るべく説得に踏み切ろうとしたのだが、


「店の権利書ならこっちだよ」


「……!」


 背後より声がして、俺とラウルが同時に振り返る。


 戸口には、女将であるマゼンタばあさんが、片手で杖をつき、もう片方の手に店の権利書を持って立っていた。

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