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毎日通話して、4日からは毎日図書館で一緒に本を読んで、直木賞と芥川賞の受賞作予想をして、3学期初日を迎えた。
上若の優しさに甘えて、楽しい冬休みを過ごす。とても幸福な時間で、きっとこれからの人生、この冬休みを何度も思い出すことになるのだろうという予感すらあった。
でも、いつまでも続けていられないな、という思いがいつも心の奥底に存在した。
いつか上若が俺以上の存在を見つけたとき、みっともなく泣き縋るようなことをしたくない。『行かないでくれ』と叫ぶことで、この秋と冬の思い出ごと汚れてしまう恐怖もあった。あんなみっともない人間が好きだったなんて、と幻滅される瞬間なんか迎えたくなかった。
美しい上若を守りたいという思いも嘘じゃないが、その思いのほうが今は強い。どうしても、上若に嫌われたくなかった。上若に、俺がみっともなくて情けなくて汚い存在だと知られたくなかった。
だから、俺から離れるしかない。綺麗な思い出でいられるうちに、俺が消えるしかないんだ。
「ねぇ、今日の午後は暇? もしよかったら、また私の家に来ない?」
「ありがとう。いいの?」
きみの前から、消えられる理由がほしい。
そう望むのはさすがに我儘だとわかっているのに、どうして自分から消えることができないのだろう。今だって、行かない、予定がある、とか言えばよかったのに。嘘でも、塾に行かなきゃいけなくなったとか言えばいいのに。
もっと一緒にいたい。なるべく長く、こうやって友人関係を続けていきたい。仲良くし続けていたい。
そんな一心で、俺は今日も上若と過ごす。上若の家で、彼女が淹れてくれる香り高い紅茶を飲みながら、俺の家から持ってきた安いチョコレートをつまむ。
上若の笑顔を、必死に網膜に焼き付ける。
消える理由を探していた日々も、やがて終わる。2月14日、バレンタインがやってきたのだ。
去年までは母親からしかもらえなかったチョコレートだが、今年は上若からももらえるだろうか。
──義理だといいな。
そんなふうに期待してしまうのは、告白されたら彼女から離れようと決めていたからだ。
俺は、上若聖奈の恋人になれるような人間ではないから。
いざ恋人になってしまったら、一生上若の恋人の座を譲りたくないと、傲慢にも思ってしまうから。
だから、言わないでほしい。このままでいてほしい。友達のままでいい。友達のままが、いちばんいい。
なあ、そうだろ、上若。
チョコレートの袋を持って、俺のほうを上目遣いにうかがう上若に、俺は声もなく必死に語りかける。
火曜日の放課後。わざわざ家に帰ってから、私服に着替えて図書館の前に彼女は現れた。黒く艶やかな長髪に、質のよさそうな白色のコートと、ブラウンのロングスカートがとてもよく似合っていた。
俺の手に触れられる距離にいるとは思えないほど、彼女は美しかった。
「凛くん」
名前を呼ぶ。鈴の音のような声。
「大好き。私だけの凛くんでいてほしい」
彼女らしいシンプルな、飾らない言葉だった。それが終わりの合図だった。
──俺も大好きだよ。一生上若の隣にいたい。なんなら苗字も上若にしてしまいたいくらい、俺は上若のことが大好きだ。
これからもずっと図書館で上若の姿を見ながら読書していたい。社会人になってお金に余裕ができたら、誕生日には本屋で買い放題イベントをしたい。上若がどうやって大人になるのか、どうやって年齢を重ねて、どのような変化を辿るのか、いちばん近くで見届けていたい。
でも俺はそんなに素敵な存在じゃないから、きっとどこかで終わりが来る。どこかで上若に失望される日が来る。
「ごめん」
ちゃんと伝えようと思ったのに、出てきたのは弱々しい掠れた声だった。
上若の顔が悲痛に歪む。目に涙の膜が張られて、俺のことをそんなに好きでいてくれたのかと心が痛む。でもいちばん痛みを感じているのは、きっと上若だった。俺のエゴに付き合わせて、こんなところまで来てしまった。今も、俺の意味不明なエゴに付き合わせてしまっている。
「どうして……?」
まさか断られるとは思っていなかったであろう上若は、消え入りそうな声でそう零した。
答えようか答えまいか迷ったのち、「俺は」と声を出す。
「俺は、上若が思ってるような人間じゃない。すごくみっともなくて、情けなくて、上若とは釣り合わない人間だから、付き合えない。騙してるみたいな気持ちになるんだよ」
「そんなの、理由にならないよ。わたし、凛くんのみっともないところも好きだよ。そんな不安がらないでよ。みっともないところも含めて、好きでいられるよ」
上若はぼろぼろと泣き出した。マスカラが流れて、あの上若が俺のために化粧をしてくれていたことに気がついた。
「ごめん」
「なんで」
上若がチョコレートの袋を、俺のジャンパーに押し付ける。俺でも知っているような有名ブランドのチョコレートだった。
「上若と付き合うような勇気、俺にはないんだ」
それが俺の見せられる、精一杯のみっともなさだった。
「……なにそれ」
上若が手を下げて、俺から離れる。
「意味わかんないよ……」
さよならもバイバイも言わず、上若は去って行った。石鹸の匂いを残して、白いコートの背中がどんどん遠ざかってゆく。モデルのようなピンと張った背筋が、消えてゆく。
ただ寒いだけの空間に、俺はひとり立ち尽くした。
雪が降り出して、俺の頬を濡らした。
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