編集済
背徳の中にある美学への応援コメント
自分は、芸能人の不倫騒動が週刊誌で取り上げられても、うわ、やらかしたな、という感じで、特に思う事もなければ、本人たちに問題なんだから放っておけばいいのに、と思うところがあります。
自分の妻が不倫したとしても、不倫の在り方によっては何も責めるような事はしないと思います。もう何十年もつきあっていて、むしろ少女時代から私しか知らない妻です。ふらっと遊びにいきたいなら責めようともしません。自分たちの生活からいなくなりさえしなければ、僕は満足です。
自分は隅々まで妻を満足させているという自惚れもなければ、貞操を美徳だとも思っていないところがあるからですね。まあ、人それぞれだと思います。僕も妻も、ほぼずっと一緒にいてお互いで手一杯だから、不倫とか面倒なことはしないだけだと思います 笑
追記:
はは、ぼっちさん、僕も若い時はそういうことに、あれこれ熱くなる事もありましたが、相手の過ちを責めて簡単に別れたりとかよくできるなあ、というのを素朴に思います。自分はガキの頃はロクでもないやつだったから、人の過ちに鈍感なのかもですね。
むしろ、なんで自分の半身とも呼べる伴侶をそんなに簡単に切れるのか…道徳や倫理なぞ関係なく一緒にいたい、っていうのが皆にはないのか…と思っちゃいます 笑
周りでも自分のように若い時からずっと、ていうのがいないので何とも言えません。普通じゃないのかもw
でも、それも人それぞれですよね。互いが良い状態で結ばれているならどんな形でもいいのでは、と思います。
作者からの返信
海藻ネオ様
とても貴重な意見をありがとうございます!きっと思うところがあったとしても、誰も触れたくはない所だと想っております。
失礼ながらコメントを読んで、ドライだなあと思いました。しかし、きっとそこにはそんな一言では収まらない理由があるのだとも感じられます。
私は心が狭いので、妻の心が動いたのであれば別れると思います。
私の心を傷つけてまでも他を選ぶ理由がそこにあったのならば、私自身が彼女にとって至らないのだとも思えるからです。
最後の面倒という言葉にはとても共感出来ます。不倫にかける熱量があれば、他にかけるべきところが山ほどあるからです。
しかし、やはり人間は不完全で自由なもの。きっと私は視野と心が狭い人間であることが、この様な駄文を作り上げるのだと思っております。
本当に、とても貴重なコメントをありがとうございましたm(_ _)m
追記
海藻ネオさま
追記に気付かず申し訳ありません。
美徳や倫理など関係なく一緒に居たい。と、思い合える伴侶であれば、僕は問題なく一緒に居ることが出来るでしょう。伴侶が不本意で、或いは酔ってしまって、寝ている間に、襲われて、色んな形で二人を引き裂こうとしても、思い合って居るのならば、私は別れたりはしません。寧ろ全て受け容れてそのまま愛せるでしょう。
しかし、思い合っていないのであれば話は別です。片想いであるのであれば、私は独りで構いません。
私も若くはありません。今はいつ死んでも悔いはありませんが、仮にそんな事があるのであれば、それは大きな悔いとなることでしょう。
伴侶にとってもここに想いがないのであれば同じ事。逆に繋ぎ止めておくことが束縛となっているかも知れません。そうでもなければ都合が良いのでしょう。
私は人生の最期は笑って終わらせたいのです。これだけは私のエゴなので、誰にも譲りません。
やはり、私の身勝手でしたね(笑)
続けてのコメントありがとうございましたm(_ _)m
生と死とへの応援コメント
死は隣り合わせ、その通りですね。
世界は死で溢れているが、そんな事に頭が及ぶことなんて、あまりないですよね。
小さなもの、自分より遠いものの死をいちいち考えていたら、まともに毎日を生きていくことが出来ないから、自ら精神に全身麻酔を打ってみんな生活しているのかもしれないですね。
作者からの返信
私は震災経験者なのですが、本当に人なんていつ死ぬかなんて分からないものです。
その時にもっとこんなふうに生きていたら、もっとやれることがあったのではなどと、後悔する様な人生を送りたくはないものです。
生きると言う事は死を受け入れた上でしか活きる事が出来ないのだと。そう言いたかったのです。
コメントありがとうございますm(_ _)m
背徳の中にある美学への応援コメント
きれいごとでない部分も含めて、かごのぼっちさんの作品の土壌になっているのが分かりました。こういった随想も読みごたえがあります。またときどき覗きに来ますね。
作者からの返信
ヤマシタ アキヒロさま
お見苦しい点も多々あるモノばかりですが、仰る通り、全てが私の土壌と言えるでしょう。
昼の光に夜の闇の暗さがわかるものか なんてことを何処かの誰かが言っていた記憶がありますが、なるほど、その通りだとも思うし、その逆も然りだとも思えます。
カクヨムに来て、私の身の程がより鮮明に分かるようになりました。人の中に身を投じなければ、自分と言うものは浮き彫りにならないものなのですね。
コメント、ありがとうございますm(_ _)m