燃える街、嗤う鬼(4)
そこは子供部屋だった。二段ベッドがある。勉強机には、女の子アニメのキャラがプリントされたシート。クレヨンで描きなぐった家族四人の似顔絵――「おとうさん」「おかあさん」、そして「ももか」と「ありす」。
その中心に、果てしなく不釣り合いなものがある。
フローリングに直接、鉄の
四本の杭をつないでいるのは、神社に飾ってある、ひらひらのついたロープ……
四角の中心には木箱があった。フタを開けたままほったらかされている。フタには、封をしていた紙を乱暴にはがした跡があった。破れて散らばった紙には漢字が書かれていて、神社のお札のように見える。
箱の中に封じられていたもの。
この封印を作った者。
それを破った者と、破らせた者。
あたしにはもう、全部わかっていた。そして今さらわかっても手遅れだということも。
あたしは今、メイズさんの術にかかっている。菅生家から脱出したつもりが、逆に家の中へ迷いこんでしまった。峰子の姿もない。早く……早く逃げないと……。
コツ……コツ……コツ……。
来た。
廊下のほうから、足音が近づいてくる。
「まいまい迷子のお嬢さん……行きはよいよい、帰りはなぁーい……クスクスクス……」
しのび笑いの合間に、から、ころ、と
あたしの脳裏には、かまどの火の中へ引きずりこまれるクミの姿がはっきりと焼きついていた。もし……つかまったら……。
怖い。
怖い、怖い……怖い。あたしの頭の中は、ただそれだけだった。
もう一秒もジッとしていられない。あたしはたったひとつの脱出口である窓にとりついた。二階の屋根くらいなら、その気になれば飛び降りられる。
音をたてないよう、そっと窓枠をまたぐ。
スニーカーが、きしりとフローリングを鳴らした。
「え?」
窓から出たはずなのに、あたしはまた室内に立っている。二段ベッドに
クスクスクスクス……。
メイズさんの笑いが聞こえてくる。すぐ背後、あたしがくぐった窓のほうからだ。振り向くと、月明かりに照らされたローズピンクのカーテンの向こうに小さな影が立っている。
あたしはたまらず廊下に飛び出した。そこが、とてつもなく長い。学校の校舎みたいにまっすぐな廊下が何十メートルも続き、その先で右に折れている。
正直、そこを進むのはかなり気後れした。けれど後ろでカラカラと窓のサッシが開き、くすくす笑いが近づいてくるのが聞こえると、そうも言っていられない。
あたしは廊下を突っ走った。壁からさびたバールが飛び出していて、あやうく先端で腕を切りそうになった。曲がり角の手前では柱時計がぼろりと降ってきて、あたしの足元でばらばらに砕け散る。とっさによけよて角を曲がったら、すぐ先が急な階段になっていた。
危うく頭から転げ落ちそうになるのを、なんとか踏みとどまる。
完全にメイズさんの術にはまっているのがわかった。これじゃあまるで、夢で見たマミの死にざまそのものだ。落ち着け、あたし! これは幻覚だ!!
「本当に……そうかしら?」
すぐ耳元に氷のようなささやきを感じたかと思うと、力いっぱい突き飛ばされた。
どうにか受け身を取って、肩から落ちた。横向きに階段を落ち、突き当りのドアに当たって中へ転がりこむと、そこは洗面所だった。
すりガラスの向こうにあるバスルームで、誰かがシャワーを使っている。
水音に混じって、声がした。
「縫っちーぃ……?」
「……クミ!? 生きてたの!?」
「なあにそれ。生きてたら悪いみたいじゃん。ヒドいなぁ縫っち」
「ちがっ……だってあたし、てっきり……」
すりガラスの中で影が動く。あたしは今すぐ中に飛びこみたかったけれど、バスルームの
「縫っちって、そういうトコあるよねえ。ホントはバレー部のこととか、どうでもいいって思ってるんでしょ?」
「そんなことない! なんでそんなこと言うの!!」
あたしは悲しくなった。仲間と一緒にバレーするのはあたしにとって、一番と言っていいくらい大切なことだった。それなのに……。
あたしが何度も折戸を叩いていると、湯気の中から肌色の影が近づいてくるのがわかった。
「だってさあ。縫っちさあ……」
両手がひたりとすりガラスにはりつく。手のひらの形がはっきり見えた。思わずあたしが一歩後ずさるのと同時に、ドン、と頭が押しつけられた。
「マミたちの区別、ついてないじゃん?」
すりガラスにべったりはりついた顔は、燃え尽きたマッチ棒みたいに真っ黒で、目も鼻もわからなくなった中に、茶色く変色した歯だけが飛び飛びに並んでいた。
あたしは悲鳴をあげた。
止めようと思ってもゲロの発作みたいに何度もこみあげてくる。肺の中の空気を全部吐ききっても、しゃっくりのような悲鳴が出た。酸欠で目の前がぐにゃりとゆがんで、足元がふらつく。あたしはそのまま、入って来たドアにむかって後ろ向きに倒れこんだ。
あたしを受け止めたのは、広い板張りの床だった。背中のひんやり感が、どういうわけかなつかしい。ハッとして顔をあげると、半開きのアルミの引き戸があたしを見下ろしていた。
そこは、果西一中の体育館だった。
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