第75話 未来へと
地の底から雷鳴が轟く、死の雷だ。死霊術師が作り出した黒の太陽に呼び出されるかのように、それまでの攻撃とは比較にならない程の数の黒き稲妻が柱を作る。
「く……っ!」
「ひぃっ、ひぃ……っ!」
雷は自分を狙っているわけではない、完全に無作為に周囲に立ち上っているのだ。しかしそれ故に反応が難しい、回避するのが何倍も困難である。先程までは隙を突いて死霊術師へと攻撃を加える事も出来たが今は無理。掠っただけでも死ぬ黒雷を躱すので精一杯である。
「もうちょっと……もうちょっとで……!」
周囲の状況を気にする事無く、リーシャは薬瓶の一つに幾つもの薬草粉と鉱石粉そして袋草を詰め込む。彼女は自分を運んでくれているロイの事を信頼し、自分に出来る事を最大限の力で実行しているのだ。
「ぅわッ!?」
「きゃっ!?」
しかし限界が訪れた。
一人で動いているミケーネですら回避行動に相当な体力を使っている。如何にリーシャが軽いとはいえ、人を一人抱えながら動き回っているロイの体力が尽きるのも当然。足下に生じた黒い染みに気付いて、前方へと跳んだ所でそのまま大地に倒れてしまったのだ。ロイは抱えていたリーシャから手を放してしまい、彼女は宙へと放られる。薬士の少女は薬瓶を胸に抱えて守るようにして、ゴロゴロと大地を転がった。
「う、うぅ……リーシャさんっ」
ヨロヨロと彼は立ち上がって彼女の下へと歩を進めようとする。
しかしそれよりも早く、彼女は行動した。
「ロイ君!ミケーネさん!」
リーシャは作り上げた物で満たされた薬瓶を両手で持って掲げる。それは反撃の秘策、今この状況においてたった一つ有効な打撃を与えられるかもしれない可能性だ。それを見てロイとミケーネは目で会話し、すぐさま駆け出した。
「ええーーーいっっっ!!!」
大きな声と共にリーシャはそれを投げる。大きな放物線を描いた薬瓶は空中で数度回転し、黒い太陽を作り出している事で動けない死霊術師へ向かって落ちていく。
「だりゃぁッッッ!!!」
ミケーネが杭槍を振る、槍としてではなく鎚として。落ちてきた薬瓶、そして死霊術師のムカつく顔面を纏めて打ち砕いた。バリンと割れた瓶の中から大量の白い花の粉が宙に舞い、同時に複数の袋草が衝撃を受けて起爆する。連続で小規模な爆発が引き起こされた事で空中で薬草粉と鉱石粉が混ざり合う。
袋草爆弾の熱と空中に散った薬草粉鉱石粉が反応して一つの薬になるように、全てを計算して薬瓶の中に詰め込んだのだ。彼女は瓶の中と空中を調合器具として使ったのである。
「死の魔法は命を奪う。それなら逆に、命は死の魔法の力を奪う、はずっ!」
火は水で消えるが、水は火で蒸発する。
風は土を巻き上げ散らすが、岩は風を跳ね除ける。
光は闇を照らすが、闇が無ければ光は存在できない。
どんな事象も一方通行ではない、必ず対になっているのだ。この世界に存在するならばその原則を破れないはず、そうリーシャは考えた。だから彼女は器具も時間も無い中で作り上げたのだ。
蘇生薬を。
命を失った者を蘇らせるのは魔法の役目。薬士の作る物ではそれは成せないというのが世の常識だ。何故ならば一度肉体から離れた魂を引き戻すのに、肉の体に作用する物を使っても意味が無いためである。だから薬士は生きた人間に必要な物を作る役割に邁進してきたのだ。
しかしリーシャはこの危機的状況で頭脳を限界まで研ぎ澄まし、肉体と魂が離れ切っていない者ならば薬でどうにか出来るのではないかと推論を立てて、それに必要な物を導き出し、不安定な反応が出来得る限り上手くいくように薬を作ったのである。
だがそれはあくまで強力な気付け薬だ。それだけをして死霊術師を倒せるような物ではない。しかし彼の者が発する魔力を一時的に封殺する事は出来た。
死が形を成した黒い太陽が急造の蘇生薬を吸い込む。反魂の作用が冥府の魔力と反応し、黒の球が光を失う。黒から灰へと色を変えたそれは、命を奪われたものと同様にザラザラと塵になって消え失せた。
「「ロイ君!!!!」」
リーシャとミケーネが同時に名を呼ぶ。
「だああああああああッッッッッ!!!!!!」
防御の術は同年代の他の冒険者よりも長じていると自負している。しかしその反対に攻撃の技は劣っているとの自覚を持っていた。だから腰に佩く長剣は武器と言うよりも最早防具と言った方が正しいとすら思えている。
だがしかし、彼は努力してきたのだ。
少しでも強く、僅かでも成長できるように。
毎日毎日、来る日も来る日も、その剣を振り続けた。師匠を得る前の、名ばかり訓練ですらいい加減だった自身では考えられない程の経験を積んだ。振りかぶって斬る、振りかぶって斬る、振りかぶって斬る、それを愚直に実行してきたのである。
跳び上がり、剣を振りかぶる。
「りゃあああああッッッッッ!!!!」
気合の声と共にそれを叩きつけた。
斬る技が未熟ならば鈍器としてでも良い、相手を倒せればそれが正解なのだ。
その一撃は死霊術師の、頭でも体でも、手でも足でもなく。
髑髏の杖に炸裂した。
少年の全力の一撃を受けて、バギリと髑髏が割れる。
生じた亀裂は杖全体へと伝播し、次の瞬間、粉微塵に砕け散った。
死霊術師が吠える、地の底から腹に響くような叫びだ。骸骨の手足が塵と消えていく、黒のローブが燃えるように霧散して消える。世界は色を取り戻し、綺麗な夕焼け空が蘇っていく。
勝った。
勝ったのだ。
「やっ、た……?」
呆けた表情でロイは呟く。
「よっし、よっし、よぉーっし!勝ったァ!!!」
杭槍を天へと突き上げ、ミケーネは叫んだ。
「やったーーーっ!」
珍しくリーシャも諸手を挙げて
三人は集まって手を掲げ、パシンとハイタッチしたのだった。
時間は少し遡り。
覚悟を決められない情けない男に白刃は無慈悲に振り下ろされた。
既に剣は折れ、それを防ぐ術などない。
では諦めるのか。
愛した者が他者を害するのを、止めずに死ぬのか。
否。
そんな事を許せるわけがない。
何より彼女が、自分の死を望むはずがない。
ならば。
ならば何が何でも生き残らなければ。
彼女を救わなければ。
「……」
フィオナの剣はジョニーに届いていなかった。
折れた剣で受け止めたのか?
いや違う。彼の手には別の物が握られていた。
銀の幾何学模様を内に持つ、半透明で輝く緑の長剣だ。
魔導剣。
魔力によって形を成した剣である。
それは自由自在に出現消失が可能であり、完全に無手の状態でも存分に戦う事を可能とする術。ジョニー・ダルトンが密偵の任に最適である理由の一つである。何一つとして武器を持たずとも、彼の実力を最大限発揮できる技なのだから。
ジョニーは力を込めて、フィオナの剣を弾き返す。
一度、二度、三度と剣を振り、彼女を大きく後退させた。
「もう、迷わない」
ジョニーはゆっくりと剣を構える。
「俺は君の死を、受け止める。喪った事を否定しない」
彼の背後の空中に、握る魔導剣と同じものが三本出現した。
「だから、君を倒す。俺の力を全て使って」
ジョニーの目に覚悟が宿る、絶対に揺らぐ事の無い光が。
「捨てたものだが、今だけは君の知る俺に戻ろう」
ふぅぅ、と深く彼は息を吐く。
「聖殿騎士、序列七位」
潜入、工作、奇襲、暗殺。それら影の役目を得意とする、二十半ばの歳で序列上位に立った若き実力者。各国を探り、時には人を助け、時には多くを殺してきた汚れた騎士。その異名が。
「『千刃』」
一対多を得意とする、その理由は四本の魔導剣。魔法と剣術を合わせた技を行使するという単純な強さも確かな力ではあるが、それよりも大きな理由がある。
それが彼の奥義たる空閃だ。
出現消失自在な魔法の刃、それら全てが奥義を放つ。四方八方から放たれる防御不可能な斬撃は、たった一人で千の剣をも超える力を持つのだ。故に彼は一人で世界を巡り、各国を探る役目を担っていたのだ。
「ジョニー・ダルトン、行くぞ」
大地を蹴る。
対するフィオナは牽制に魔法を放つ、火炎と氷弾だ。しかしそれは三本の魔導剣で一瞬のうちに微塵に刻まれて消失する。ジョニーが作り出した剣は魔力の塊、魔法を斬る事が出来るのは当然である。
ならば勝負は剣と剣。
そして真っ向勝負ならば剣腕に優れる方が勝つのが当然だ。
「はッ!」
力押しではなく技を以って勝る。生前ですらジョニーはフィオナを圧倒していたのだ、亡者となって更にアルベルの魔法で動きを鈍らされた今ではまるで勝負にならない。躊躇さえしなければ、初めから勝敗は決まっていたのである。
「ふッ」
僅かな陽動をして隙を作り、下から上へ剣を振る。フィオナの剣が弾かれ、空中高く打ち上げられた。輝く銀の剣が地平へと沈みゆく太陽の朱の光を反射し、数度回転して大地に突き刺さる。
美しいその剣の身が、二人の姿を鏡の様に映す。
ジョニーの剣はフィオナの胸を三年前のその時と同様に貫いていた。
決着の一撃を受けて彼女はその体から力を失い、彼へと倒れ掛かる。ジョニーは自身の右膝と腕を枕にして、ゆっくりとフィオナを寝かせてやった。
「フィオナ」
先程までの無機質なものではない、想い出の中の彼女と寸分違わない目を閉じた安らかな顔だ。そんな事は無いのだろうが、何処か微笑んでいる様に、ジョニーには見えた。彼は左手でその頬を優しく撫でてやった。
腕に掛かる重みが僅かに減る。手足の先は既に光の粒になって消え始めている、再びの別れが近いのだ。
「……」
既に流す涙は無い、三年前のあの時で涸れてしまったのだ。
ジョニーは彼女をその胸に抱いてやる。決して忘れないように、だがしかし、これ以上過去に縛られて彼女を心配させないように。想い出を想い出として、未来へと歩む事を彼女の耳元で囁いた。
消えていく。
消えていく。
消えていく。
最愛の人はジョニーの腕の中から消失した。
しかし彼の手には残る物がある。
「これは……」
いつの日か、彼女にあげた贈り物。
ずっと大切にしてくれた髪飾りだった。
ジョニーはそれを両手でギュッと握りしめる。
こうして戦いは終わった。
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