幕間 夢の中にて
「やあ、リン。新しい世界へと旅立ち、初日を終えた感想はどうかな?」
目を覚ましたリンが最初に聞いた言葉がそれだった。何度か目を瞬かせると、目の前にアリスがいることに気づいた。眠たそうな表情で椅子に座っているリンがいる場所は、あの大きな本棚で囲まれた部屋だった。リンの前に立っているアリスは楽し気に微笑んでいるが、リンの表情は眠たそうなそれから変わることはない。
ここは夢の中であると、リンは理解している。正確に言えば眠りについているリンの意識のみを、この場所にアリスがすっ飛ばしたと言った方がいい。アリスがリンと話したい時にはいつも、この方法で呼ばれていた。だがリンにしてみれば眠っているのに、眠っている感じがしないので、いい迷惑であった。
「さっさと俺の意識を戻せ」
「うっわ、何なのその素っ気なさは。全然変わってないじゃないか」
「変わるも何も、あの世界に行ってまだ一日しか経ってないぞ。何を考えてんだ?」
リンは両手を上げて体をぐっと伸ばし、ひとつ欠伸をした。リンの言う通り、新しい世界に行ってから一日しか経過していない。それでリンの何かが変わるということは、まず無いだろう。だがアリスはそれが不満だったのかリンの顔を覗き込んだ。
「新しい世界では早速女の子を助けたっていうのに、相変わらずだなあ。まあ確かに、一日やそこらで何かが変わるはずもないか」
「何だよ、見ていたのか?」
「チラッとね。ゴブリンの群れに襲われている女の子を助けるなんて、まさに英雄らしい行動だと思ったんだけどなあ」
「気紛れさ。それに襲われていたんじゃなくて、戦おうとしていたらしいな。あれだ、あの……配信とやらをしていたらしい」
「あー、そう言えばあの女の子、そんなことを言っていたね。あれが配信デビューみたいじゃないか。ということはリンも、彼女の配信に映っていたんだね?」
「確かめちゃいないが、多分、映っていたんじゃないか? 俺としてはあの如月涼音ってのが、景気よく自殺するのを見届けようかと思ったんだが……結果として、助けることになっただけだ。まああの世界のことを、実際に見聞きしたかったからな」
とリンが言ったところで「そうだ、アリス」と、食ってかかった。
「お前、俺のことを若返らせたな? 何でわざわざそんなことをした」
「おっと、気づいた? んー、そうだね……若い方が色々と便利かなー、と思ったんだよ。年齢としては大体、十六歳ぐらいかな。ふふふ、色々とお盛んな年頃だね。若くなったその体で、気分転換しちゃうかい?」
アリスは悪戯っぽく言って、リンの目の前で艶めかしく見えるようにポーズを取った。しかしアリスの姿は金髪の美少女とはいえ、今のリンよりも更に年下に見える。そもそもが、アリスのこの姿が本当のものかどうかも、リンには分からないのだ。そんな相手に欲情できるほど、リンは血迷っていなかった。
「その貧相な体のどこに気分転換できる要素があるんだ」
「おーっと、ライン越えだね、その発言は。リンとの付き合いももう長いけど、初めてリンにイラっときちゃったかも」
「そりゃ良かった」
笑いながら肩をすくめたリンに対し、アリスは引きつった顔を浮かべる。自分を落ち着かせるようにアリスは髪が乱れるのを気にしていないのか、ぐしゃぐしゃと頭を掻いてから「それで」と話を仕切り直した。
「実際のところ、どうだい? まだほんの短い間しか過ごしていないけど、上手くやっていけそうかな?」
「まあ──どうにでもなるだろ。ああ、でも、飯は美味かったな。そこはすこぶる重要なところだからな」
「うーん、そこは確かにね。まあ、これから先、あの世界の人々と交流を深めていくことだね。リンもそうしたいと思ったから、彼女を助けたんじゃないのかい? 気紛れと言ったけどさ」
「……まあ、否定はしない。一人でやっていけるが、それはそれで退屈だからな」
リンはそう言って、ふいと顔をアリスから逸らした。それを照れていると取ったアリスは「あれ~?」とリンの顔を再び覗き込む。
「図星だったかな? リンは本質的には、お人好しだもんね。若返った今の顔でそんな風にされると、ちょっと悪戯したくなっちゃうかも」
「感想は話したから、とっとと俺の意識を向こうの世界に戻せ」
「はいはい。あ、リンに渡したあのスマホも有効活用してよね。そっちからもかけられるから。何とリンとお揃いです」
じゃーん、と見せつけるようにアリスは、リンに持たせたスマホと同じモデルのそれを取り出した。それがあるならわざわざこんな風に呼び出す必要も無いだろとリンは思ったが、寝ているリンを起こさないようにするための、アリスなりの気遣いであった。しかしこれでは、起こされたのと変わりはないのだが。
「さて、じゃあリンの意識を戻そうか。……そういえばどこで寝ているんだい? 安宿にでも泊っているのかな?」
「いや、適当に見つけた橋の下。多少寒いが、問題無いな」
「ちゃんと向こうの世界のお金も持たせたのに!?」
「何に必要になるか分からないのに、すぐさま使うのもどうかと思ってな」
「せめて室内で寝ようよ……野宿なんかしたら、別世界からやってきた連中に襲われ……ても問題ないか、リンなら」
「そういうことだ。じゃあ俺は寝直す」
リンはそう言うと、目を瞑った。やれやれと溜息を吐き、アリスは細い指をぱちんっ、と鳴らす。次の瞬間には椅子に座っていたリンの姿は消えており、この室内にはアリスのみとなっていた。
「うーん、どうしようか……リンには嫌がられるのは間違いないだろうけど、せっかく少年になったんだし……もう少し、私の方から手を加えておこうかな」
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