第4話 いつかやってくるその時まで
珈琲喫茶kaoruは、お洒落な外観やアンティークな内装がSNS映えすると評判も良く、常連さんの他にも、SNSでここを知って来てくださるお客様も多い。この日も、若いカップルが訪れた。
「いらっしゃいませ、ようこそ。」
「2人です。」
男性の方が答える。
「お好きな席へどうぞ。」
カップルは、窓際の日が当たる席を選んで座った。男性の方は、エスプレッソとキャラメルタルトを、女性の方は、カフェラテとアールグレイのシフォンケーキを頼んで、2人で会話をしながら待っていた。付き合いたてなのか、いや、そもそもカップルではないのか、2人の様子はどこかぎこちなかった。
薫は、注文の飲み物とケーキを作りながら、密かに2人の会話に耳を傾けた。すると、
「お仕事は何をされているんですか?」
「Webデザイナーをしています。涼太さんは?」
「僕は食品メーカーで働いています。」
聞こえてきたのは、カップルとは程遠い会話の内容だった。もしかして、初対面…?
薫がしばらく2人の会話を聞いていると、2人の関係性を決定付けるワードが飛び出した。
「初めてで、アプリで出会った方と実際にお会いするの…少し緊張してます(笑)」
女性の方が恥ずかしそうに話した。この2人は、マッチングアプリで出会った男女2人なのだった。
2人が店を出てから、薫はポケットからそっとスマートフォンを出し、"マッチングアプリ"と検索してみた。このシステムの存在は知っていたが、登録まではしたことがなかった。しばらくアプリを見つめてから、インストールはせずに、静かに画面を閉じた。
「初めまして。…じゃあ、行きましょうか。」
何度このやり取りを繰り返しただろう。アプリに登録してから2年、塩澤涼太(しおざわ りょうた)は何度も何度も違う女性とマッチしては、実際に会ってみて、また違う女性と…と同じ事を繰り返していた。
アプリで出会って結婚まで辿り着いたカップルもいる中、"自分も簡単に気の合う人と出会えるだろう"と安易な考えて始めてみたが、思うようにはいかなかった。
メッセージでは楽しくやり取りできても、実際に会って会話をしてみると何だか違う気がしたり、アプリに登録してあった写真に好印象を持っていたが、実際に会ってみると写真とは別人だったり…という事が大体のパターンだ。
涼太は、現在社会人8年目。職場の同僚や、学生時代の友人がどんどん結婚していくうちに焦りを感じ、気付けばアプリをインストールしていた。
仕事の後や、休みの日にも、アプリで頻繁にいろいろな女性とメッセージのやり取りを繰り返し、自分でも無理をしているとわかっていながら、アプリでの婚活に囚われていた。
ある日、大学時代に一番仲の良かった友人と久々に出かけることになった。昔の思い出話で盛り上がれるかと期待していたが、その友人はとうの昔に結婚しており、現在は奥さんのお腹に2人目の子どもがいるのだった。
4歳の息子を連れてきた友人、泰介(たいすけ)に、学生時代の面影はほとんど残っていなかった。映画や漫画の話で盛り上がったり、くだらない事で笑い合ったりしていた泰介は今、子育てや保育園、学費の相談など、結婚していない涼太にはついて行けない話題ばかり。笑って話を合わせたり、共感してみたりもしたが、内心かなり傷付いていた。仲の良かった友人が、自分を置いて遠くに行ってしまった感覚だった。
結婚できる人と、いつまでも結婚できない人、何が違うのだろう。
泰介と別れた後、その足で以前アプリで知り合った女性と初めて会った喫茶店に向かった。初対面の女性と一緒だったのもあり、あの日は落ち着かなかったが、自分好みの喫茶店だった為、一人でゆっくりとコーヒーでも飲みたい気分だった。
「いらっしゃいませ、ようこそ。あ、先日の!」
「覚えててくださったんですか?今日は一人で来ました(笑)」
「ありがとうございます。良ければカウンター席へどうぞ。」
薫が笑顔で案内した。
「いただきます。…あっ、美味しい!」
「良かったです。先日は、エスプレッソを頼まれていましたよね。コーヒー豆の中でもかなり深煎りとされるフレンチローストブレンドにしてみました。苦味が強いのですが、旨味とコクがはっきりしていて、涼太さんがお好きだと思って。」
「はい、僕好みです。…って、どうして僕の名前を知っているんですか?(笑)」
「あ…すみません、実は先日、お二人の会話が少し聞こえてしまって、女性の方が、お客様の事を"涼太さん"と呼んでいたのを覚えていたので。」
「そうだったんですね。実は、あの女性とはあの日初めて会ったんです。」
「はい、何となくそんな気はしていました。」
「マッチングアプリに登録しているんですけど、婚活、なかなか上手くいかなくて。」
「結婚願望があるのですね。」
「はい、でも出会いがなくて、アプリを始めてみました。始めてはみたんですけど…。」
涼太が少し言葉を詰まらせ、小さく咳払いをした後、コーヒーを一気に飲み干した。その様子を見て、薫はドアへと向かった。店の看板を、"OPEN"から"CLOSE"に裏返すと、再び涼太の元へ。
「お悩みのようですね。」
「さっき、大学時代の友人と会って来たんです。」
「それは素敵ですね。」
「学生の頃のように、くだらない話で笑い合えたらなと思っていたんですけど、その友人は結婚して子どももいるので、昔のようには盛り上がれなくて、何だか切なくて…(笑)」
「そうだったのですね。」
「その友人や、周りの人は皆、アプリになんか頼らなくても、自分でちゃんと相手を見つけて、結婚して子どもにも恵まれて…なのに俺はどうしてって、一人で勝手に焦ってしまっているんですよね。」
そこまで言い切り、涼太は薫の左手の薬指を見て呟いた。
「ご結婚…されていないんですね。」
薫は一瞬言いかけた言葉を飲み込んで、答えた。
「…はい。」
「彼女さんとかは?」
「…今は、いないです。」
「そうなんですね…。」
「僕は…結婚願望が特別あった訳でもなく、周りと比べて焦っていた訳でもなかったんですけど、でもある時、自分と気の合う女性と出会うことができました。きっかけは些細な事だったんですけど、そこからどんどん距離が縮まって、"あぁ、この人と一生共に過ごしていくんだろうな"って思いました。…その後いろいろあって、今は一緒ではないんですけど。」
「いろいろ…って?」
「まぁ…僕の話はいいんです(笑)つまり、何が言いたいかと言うと…。涼太さんのように、自分から行動されている方と比べて、僕は何もしていない。だけど、そんな僕でも出会えました。だから、絶対に"大丈夫"なんて無責任な事は言えませんが、涼太さんもきっといつか出会えると思います。自分と気の合う、素敵な女性と。そのいつかはきっと…やって来ます。…なんて、説得力ないですよね(笑)」
「いえいえ(笑)話、聞いていただいてありがとうございます。気長に待ってみようかな…もうアプリに縛られる生活も疲れたし。」
「ご自身の時間も大切にしてくださいね。」
「はい。…あ、もし、僕に彼女ができたら、ここに一緒に来てもいいですか?とっても素敵なお店なので、彼女にも紹介したくて。」
「もちろんです。お待ちしています。」
涼太が店を出た後、薫はふとレジ横の写真立てに目を移した。写真立てのすぐ側にある引き出しを開け、中から淡い紺色の小さな箱を取り出す。その箱には、シルバーの指輪が2つ。一つは薫の物だった。もう一つは、写真に映る女性の物。
「葵…。」
その女性の名前を静かに呟き、薫は箱を引き出しに戻した。
ここ最近、薫はお客様の悩み相談に乗るうちに、自分の事をつい話しすぎてしまいそうになっていた。自分と似た経験を持つお客様に共感する事が増え、自分と重ね合わせて話を聞くようになった。
同時に、過去を思い出す度に、薫の心は少しずつ傷んでいくのだった。
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