しんでれらほりっく

探偵とホットケーキ

第1話

「だから、私、言ってやったのよ。その気息奄々の男の上に、こう跨って。『本望でしょう。あんたみたいな大したことのない男が、私みたいなイイ女を抱いて、甘い夜を過ごせたんだから』ってね!」

 悪女と名高いシャウラの高笑いが、真冬のバーに響いている。大好物のヴァン・ショーを昼から呷って、御機嫌のようだった。良い仕事ができたのだろう。隣にカノープスが座って、ころころ笑っている。彼らはこの界隈では有名な悪党だ。人の命を奪って金にしている。

 シャウラは大きな組織の上層部のお気に入りで、手作りの毒でやる。カノープスはシャウラと全く別の組織を小さいものながら自分で持っている。両足が白い陶器の義足で、主に雇った者や部下であるシルマにやらせるのだが。そういう二人だ。今居合わせているデルフィヌスも似た生業だが、彼らのように組織だった後ろ盾もなく、顔見知りであれど無関係なのでカウンターで一人でちびちび飲んでいるばかりであった。

 丁度、デルフィヌスがホット・バタード・ラムを飲み始めた時だ。「ハッピーバレンタイン」という声とともに、テーブルにチョコが置かれたのは。

 顔を上げて、まず目に入ったのは薔薇より赤い長髪だった。件のシャウラである。胸に大きな花の飾りがついた、橙色のドレスだ。同色の手袋が眩しい。

「楽で儲かる仕事があるの。デルフィヌス、あなたも一緒にやりましょ」

 デルフィヌスは、過去のトラウマで、始末する予定の相手以外には声を発さない。立ち去らないのを興味の表出とすると、シャウラが微笑んで腕組みした。

「カノープスがパーティを開くの。ドレスコードはガラスの靴を履いて来ること。私達は、そのパーティの舞台に立って、踊るのよ。踊るだけで良いお金が入るわ」

 真っ赤な髪をかき上げると、耳に大きな花のピアスが輝いた。

「ほら、デルフィヌスっていつも王子様みたいな服着てるでしょ。だから私のエスコート役にぴったりって思ったの」

 良く分からないながらに、金が欲しかったデルフィヌスは、取り敢えず承諾した。チョコは毒が入っていそうで食べなかったけれど。

 翌日、デルフィヌスは、会場に案内された。真っ白で広い。大きなシャンデリアが、ぶら下がっているウエディングケーキに見えた。

 舞台には先客がいた。兎の耳のついたシルクハットを被った男、アルネブだ。デルフィヌスたちが到着するなり、ぐちぐちと指示を飛ばし、彼は「踊りというのは完璧でないと納得できないのですよ」と、しきりに唇を尖らせた。アルネブは復讐を生業としていて、背中から標的を燃やし、最後に船から突き落とすという。カチカチ山のように。アルネブ曰く、背中が燃やされた人間はバレリーナのように踊るので好きなのだとか。なるほど、踊りにはこだわりがあるわけだ。

 それよりデルフィヌは、シャウラのことを恐い女だと思っていた。シャウラが、三歳で親に捨てられ、組織に拾われた女だというのは知っていた。だからこそ、そんな組織の中でやっていくなんて、生半可な強さではないだろうから。少し前に、アルネブと喧嘩している姿を見て、余計にそう思ったのだ。わざと足を引っかけてデルフィヌスを転ばせておいて、「私の足に怪我させやがったな!」とでも言われるのではないか。

 だが、実際に一緒にダンスの練習をしてみると、その印象は形を変えた。まず、シャウラは練習熱心であった。

「良いですか、ダンスとは、靴でピアノを弾くように踊るのです……!」

 アルネブの指導は厳しく、抽象的なうえ、かつて、シャウラは理屈っぽいアルネブのような男が嫌いと明言していたが、きちんとついていっていた。ダンスなんて余りにも慣れず、転んでしまうデルフィヌスに対しても、優しく背から抱くように支えて起こしてくれた。教え方は丁寧だし、腰をなぞる指は煽情的であった。

 実は、報酬が良いと聞いて参加したデルフィヌスだが、舞台とかお芝居等は今までの人生で避けてきた。このような職業に走ることとなった原因が、小学校の頃のお遊戯会に端を発するからだ。

 しかし、デルフィヌスは、シャウラのルビーのような瞳、その上目遣いに見詰められ、自分の胸がきゅんとなっていることに気づいた。ごく一般的な人間みたいな感覚を、自分が持っている事実に失望した。一体今まで何人を手に掛けてきたかわからないのに。だが、その気持ちは、この洋館という舞台背景と相まって、ますます盛り上がる。シャウラから貰ったチョコを食べなかった自分を責めた。

 シャウラはチークダンスの手ほどきをしながら、ふとデルフィヌスの胸元に耳をつけて、微笑んだ。

「折角だから楽しみましょ。何事も、人生に絶対に必要ではないものの方が楽しいの。生活必需品の買い物にスーパーへ行くより、ブティックでブランドのバッグを買う方が、ずっと楽しいでしょ? それと同じで、ダンスは恋を育む魔法よ。醒めたら終わり。深く考えないで」

 それを聞いたデルフィヌスは、恋にせよ友情にせよ思い込んだら一途である。もう一回踊ったら休憩しましょう、とシャウラが言うので、迎えた休憩時間。その真っ赤な髪をかき上げ、ドリンクをボトルから飲みながら、シャウラは黒く染められた唇を動かした。

「私、シンデレラって嫌いだわ」

 豪華に飾られた壁をなぞりながら呟くシャウラに、デルフィヌスは視線を送る。

「だって、王子様が助けてくれるまで、何にも抵抗しないで、あんな母親と姉に虐げられ続けてたんでしょ」

 それからシャウラはすっと胸を張り、まだ誰もいない観客席の向こうを見やる。

「私なら、そんな母も姉も殺してやるわ。王子様のところにも行かない。私は、自分の力で幸せになれるヒロインになる」

 その目の赤さは、目の奥に隠した炎を色だと知った。シャウラはデルフィヌスの方へ歩いて来て、心臓の位置に頬をつけ、縋るようにして微笑む。

「あなたもきっとそうなってね。あなたは初めから自由なんだから」

 デルフィヌスは頬が熱くなるのを感じつつ、その愚かしい煩悩の片隅に残った理性で虫の報せを受けた。

 シャウラはボスから甘い蜜を吸わせてもらっている、ように見える。上手く立ち回って、今は確固たる地位を築いてはいるが、望んでやったことではないとしたら――シャウラは組織を潰すつもりなのではないか?

 無謀すぎる。悪事を働けば働くほど、立場が上の者に媚びる力や、組織の後ろ盾は重要になってくるものだ。そんなの、ずっと組織に身を置くシャウラの方こそ理解していそうなものだが――

 そこで、更にデルフィヌスは、はっとなった。

 思い至ったのだ。シャウラはきっと、生きるつもりなんて、全くないのだということに。悪党たるもの、組織に逆らうことなんてできるはずもない。奇跡が起きて上手く逃げ果せたとしても帰る場所もない。だから、刺し違えても上等と、全てを壊すのではないか。

 どうにも胸が苦しくなって、デルフィヌスは握り拳を作った。シャウラは悪の道以外は与えられていなかったのだから。それでも、デルフィヌスは喋ることはない。それに、そもそも、悪党の死を悲しむべきではない。

「デルフィヌス、最近あなた、あんまり一般人には手を出さないらしいわね。あなたが、私の組織のボスだったら、何か変わっていたかしら?」

 シャウラの声が無人の会場に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る