海月に届かない計算機

エリー.ファー

主人公への電話

 人間はいつか死ぬそうです。

 私はまだ死んだことがないので分かりませんが、そうらしいのです。

 誰かにこの不安を話さないと、自分の中で膨らみ続けて致命傷になる気がしました。だから、ここに電話をかけたのです。

 私は、いい大人です。三十六です。しかし、それでも死が怖くなる時があるのです。まるで死の恐怖を受け入れて悟ったような顔で社会人をしていますが、誰もいない所では半分パニック状態です。

 できるかぎり、考えないようにしなければならない。その思いだけで仕事に必死になり、恋愛に必死になり、趣味に必死になり、今では何もかも楽しめていません。

 私には分からないのです。

 いつか死ぬのに。全部、無駄になるのに。必ず何もなくなるのに。

 何故、人間は積み上げるのですか。頑張るのですか。

 私は、今までどうして積み上げてきてしまったのですか。

 もう、自分が分からないのです。

 友人がいないわけでもないのに、ここに電話をかけたのは、死というありふれた存在を消化できていないことを。

 その。

 周りに知られたくないのです。

 はい、自分の弱さをさらけ出す強さがないのです。

 結局、小さい頃に、死というものに向き合えなかったことが原因だと思います。

 別に、大したことではありません。子どもの頃、確か中学生の時、死が怖くて学校で暴れたのです。そのせいで、脳に何か問題があるのではないかと疑われたのです。

 私は。

 自分は死なないのだと思い込むことにしました。

 妄想に身を任せたのです。

 当時の私も、それが嘘であるとは分かっています。自分を安心させるために自分にかけた呪いであると理解しています。

 しかし、それで蓋を閉めてしまった。

 問題を解決するために必要なのは、勇気です。賢さではない。

 私はそんなことも分かっていなかったのです。

 そもそも、問題なんて解決できないことが普通です。社会的なものでも、環境的なものでも。

 基本は、問題を忘れてしまう。

 これが、一番です。

 問題にピントが合わないよう生活をすることが大人への第一歩である。

 そう、思います。

 つまり、私は明らかに間違えたのです。

 解決としてしまった。問題を捨ててしまったのです。ずっと抱えることで、重荷にとする道だってあったのに。

 考えすぎでしょうか。いえ、そんなことはないはずです。考えすぎというのは、言葉としてあるだけで現実には存在しません。

 私は、今になって苦しんでいる。

 これは、まさに考え過ぎなかったためです。

 考えてこなかったから、その被害が拡大して、最後には歯止めのきかない大きさになってしまった。私の心がそこに落ちてしまって、手を伸ばしても掴むことはできない。

 私は完全に囚われてしまった。

 不安や心配は現実のものとなって、私は自分の立ち位置が、自分が思っているよりも前であることを自覚しました。雨風など凌げないほどに大きな体になってしまったのです。

 皮膚には傷が多く、血も出ている。まだ骨が肉と皮膚を突き破って出ているということはないけれど、いつかそんな怪我を負う日も来るかもしれない。

 いや。

 気付いていないだけなのかもしれない。

 私は、自分を守るためにも、死に物理的ではなく精神的に立ち向かわなければなりません。

 それが、他者とのコミュニケーションに繋がっていくのだと信じているからです。

 突然、電話をしてしまってすみませんでした。自分の中にある思考がうまくまとまらなかったので、助けが必要だと思いました。だから、今、こうして喋っています。身内にもさらけ出せないような心の色を、質を、形を、透明度を伝えています。

 頭が整っていく気がします。

 電話をする前と後で、見えている世界が大きく変わったような気がします。

 不思議です。話しただけなのに、あなたは別に何も返事をしていないはずなのに。聞いてくれている感じが、非常に心地いい。

 単純に死という問題を乗り越えられそうだ、という感覚ではありません。もう問題を解決してしまったかのような気分になります。

 きっと、答えのない問題への最も正しいアプローチは、誰かとの会話なのかもしれません。

 人間関係はモルヒネですから、不都合な真実が薄れるように感じられます。

 解決からは程遠くても、その問題に立ち向かうための勇気を仕入れたことと同義でしょう。

 友達に、この感動を伝えたい気分です。

 もう一人、いるのです。

 私のような悩みを持っていそうな人物が。

 まぁ、確かに、その友人に相談をすればよかったわけですが、彼に余り背負わせたくなかったんです。私の悩みを私以上に真面目に引き受けてしまうような彼です。できる限り、遠ざけておきたかった。

 あぁ。

 どうせなら、多くの人にあなたの素晴らしさを分かってもらいたい。

 私は、とても感動しているんです。

 あなたに実際に、会ってみたい。

 いや、嘘です。気にしないで下さい。ちゃんとルールは守ります。ただ、少しだけそう思ってしまったというだけです。気の迷いです。失礼しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る