短編で育てる本

葱巻とろね

第1話 愛しの彼女

「ねぇ、このストラップ、かわいいでしょ?」


 綾乃あやのは僕の方を見て口を開いた。柔らかいほほえみを見て思わず声が漏れる。胸の高鳴りが抑えられない。緊張を隠すように震えた指を押さえて答えた。


「そうだね。僕もそう思うよ」

「……!」


 僕の返事を聞いた彼女は、目を見開いたかと思えばゆっくりと下を向いた。耳が紅潮こうちょうしている。


「……うれしい。 しゅうと もそう思ったんだ」


 ハーフアップの少女は小声で呟くと視線を合わせた。僕は気が動転し、体が固まってしまう。綾乃は黒髪を耳にかけながら言葉を連ねた。


「私、 しゅうと と一緒にいることができて、毎日が楽しいの。 しゅうと と出会えて本当に良かった……!」


 手にある温もりは僕の冷えた指を温めてくれる。この時間は輝きを放っていた。僕はそれを一滴もこぼさないように視界に入れる。周りの景色はぼやけて見えても彼女は違う。現実を直視できなくても、綾乃だけはずっと見ていられる。この時間がいつまでも続けばいいのに、と何万回思ったことか。


 少し常識とずれていた彼女だけど、それゆえに、考えていることが分からなかった彼女だけど、僕を愛してくれたことは変わらない。


 綾乃のために、お金や時間、愛情、僕のすべてを捧げたと言っても過言ではない。彼女だって、僕といた時間が一番長かったはず。でも、綾乃は突然いなくなってしまった。僕が声をかけても返事はない。


「どうして? 僕たちは相思相愛じゃなかったの? あやのちゃんは僕の事を愛してなかったの? ねぇ、こたえてよぉ……」


 生活感が溢れすぎた部屋の中で液晶が輝きを放っている。その画面には質素な枠組みに『サービスは終了いたしました』と書かれていた。部屋中に眼鏡をかけた男の咽び泣く声が響き渡る。現実世界の嘆きが二次元の彼女に届くことはなかった。

  

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