【第36話】夢見る子羊
ところで、櫃辻ミライには〝夢〟があった。
それは口にするのも
ちっぽけで、曖昧で、
他人が聞けば笑われてしまいそうな、
それでも少女の心に深く根差した強い想い。
〝一〇〇の夢を叶える夢〟──
というのは、一つの手段でしかなかった。
地元を出て六號の街にやって来たのも、
思い切って配信者を始めたのも、
企画と称して数多のゲームに身を投じてきたのも。
総ては漠然と懐いてきた夢にがむしゃらに手を伸ばしてきた結果であって、そのどれが本物なのかと問われれば、きっとそのどれもが本物だと答えたし、しかしそのどれもがきっと本物ではないのだろうな、とも思っていた。
いつかきっと──そう想い続けながらも、未だその本物には辿り着けていない。
まだ、櫃辻ミライという少女はその夢に向かって手を伸ばしている道中なのだ。
だからこそ櫃辻は、
前しか見ないし、後悔もしないし、逡巡もしないと決めていた。
そうして突き進んだ先で、あの少年に出逢ったあのときから、しばらく空回りしていた歯車が、カチッ、と音を立てて未来へと回り始めたような気がした。
そして今、
櫃辻はこれまでにおいて一番の大舞台に立っていることを実感している。
これまで積み重ねてきた一歩一歩は、なに一つとして間違っていなかった。
この先に進んでいけば、きっといつか自分の夢は叶うはず──そういう予感が、櫃辻ミライという人間を構築する全神経を奮わせ、ニューロンを刺激し、勝利へと加速させる。
たとえ総てを叶え、総てを手に入れてきた神がかり的な存在が立ちはだかろうと。
それすらも踏み越えて、さらに一歩前へと進んでやろう。
それだけの希望を胸に懐いて、
櫃辻はようやく目の前に姿を見せた好機に指を鳴らす。
「《#
──
指先に装填されたネイルから足元へと放たれた〝種子〟は、合図と共に爆発的な威力を伴って花開く。
一息に膨れ上がった綿花のエアバッグが、櫃辻の身体を足元から一気に押し上げ、視界に見定めた黄色の小鳥の許へと跳ね飛ばした。
「……!」
悠長に枝の路を歩いてやって来た渡鳥の傍を瞬く間に通り抜け、彼女の頭上へと踊り出した櫃辻は、その勢いのままにこちらへと滑空してきた黄色の小鳥に手を、伸ばした。
如何に空を飛び回る鳥であっても、弾丸の如き勢いで迫る狩人の手から逃れる術はない。
「──これで、ゲームセットッ!」
櫃辻が高らかに勝利を宣言したそのとき、
まさに偶然としか言えない出来事が櫃辻の勝利を阻んだ。
「……なっ、マジ⁉」
櫃辻が伸ばした指先は確かに小鳥に触れていた。
だが、黄色の小鳥に指先が触れると確信した刹那、そこに偶々飛び込んできた青い色の小鳥とぶつかったのだ。
ゲームのルールに〝黄色の小鳥を守る〟ような仕様が組み込まれていたのかは定かではなかったが、ともかく櫃辻には二〇ポイントが入り、代わりに本命を掴み損なった。
黄色の小鳥は櫃辻の懐をすり抜け、そのまま墜落するような軌道で下へと飛び去っていく。
その先で待ち構えているのは、渡鳥だった。
襲い来る狩人の魔の手から逃れたばかりの小鳥にとっては、そこで待つ少女の微笑みは慈母のように映ったのかもしれない。
黄色の小鳥は、迷いなく彼女の傍へと飛んでいく。
このままでは、まずい。
櫃辻は未だ空へと跳ね上がる我が身を止めるべく、頭上に《#
宙で身を
そう直感した櫃辻は、
予め
「いらっしゃい、幸運の小鳥さん」
その直後、
渡鳥が迎え入れるように開いた手のひらに、黄色の小鳥が舞い降りて──
「……⁉」
──それは空間の歪みのようなノイズを放って、三つにブレた。
渡鳥は今しがた手のひらから零れ落ちた
元より非実体のホログラムが形作る電子の鳥、しかしいま触れたのはそれよりももっと軽くて、空虚な
もしや、と思い小鳥の行方を追って周りを見渡したそのとき、そのイリュージョンの如き幻惑の光景に、渡鳥は感嘆の声を漏らしていた。
「──まあ、素敵……」
そこに満開に咲き誇っていたのは、宵闇にあってなお鮮烈なイエローに映えるタンポポの花畑──否、黄色の小鳥たちだった。
本来一羽しか存在しないはずの希少種が、新緑の樹冠を黄色一色に染め上げるほどに無数の群れとなって、飛んでいたのだ。
これは夢か、幻か。
その種明かしを、術者自らが口にする。
「──《#
さてさて、神がかり的ラッキーガールなお嬢様は、この夢みたいな世界ではしゃぎ回る〝偽物〟たちの中から〝本物〟を見つけ出すことはできるかな♪」
渡鳥の傍に降り立った櫃辻は、配信を見守る観客に向けてウインクをする。
まるでショーの舞台に立つ演者のような立ち振る舞いに、渡鳥はしばし言葉を失った。
ただプレイヤーとしてゲームに興じるだけでなく、観ている者すら興じさせる。
そんな彼女の在り方は、対戦相手であるはずの渡鳥の心にも爽やかな風を感じさせるほどで。
「くふふ。わたくし、あなたほど真っ直ぐな人と出逢ったのは初めてですわ」
……でも、だからこそ惜しい。
そんな彼女がひたむきに追い求める〝ユメ〟というやつが、堪らなく欲しくなる。
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