【第10話】シェパード・ラン

「──あと一〇分……!」


 波止場は走っていた。

 複雑に入り組んだ都市迷宮を掻き分け進みながらも、度々表示窓ディスプレイに映したカウントダウンに目をやって、その都度口にする。


 まだ一〇分もあるのか、という思いから全身に圧し掛かる重りのような疲労をつい自覚してしまうが、それでも足を止めるわけにはいかない。

 振り返れば、綿毛がいる。


「……っ、さっきまでより数多くなってない⁉ 気のせいかなぁ、これ……!」


 気のせいじゃない。一度は櫃辻を撒くことに成功した波止場だったが、彼女が返しの手として選んだのは物量に物を言わせた人海戦術だった。しかも、これまで以上に正確に、執拗に追ってくるのだ。

 どう考えても〝目〟の精度が上がっていた。


(……本気になった、ってことなのかな……最悪だ)


 数刻前──波止場は、櫃辻を欺くために影武者スケープゴートとなってくれそうな協力者を探すことから始めた。それはこちらの事情を知っている方がいい。なにせ自分の代わりに追われてくれ、あと服も交換してくれ、というのだ。

 だから彼は路地深くへと逃げ込む合間に、櫃辻のリスナーを探すことにした。

 条件に合った代役を見つけるのは簡単だ。


 手元の配信画面とこちらの姿を見比べて、あっ、というような顔をした人物がそれだ。


 あとはどう説得するかが問題だったが、そのための言葉は淀みなく口から溢れてきた。


「──ねえ、君。これと交換で、俺の頼みを聞いて欲しいんだ。まあ、なに。別に難しいことを頼むんじゃない。君にとっても悪くない話だよ」


 男は解りやすく興味を持ってくれた。「このままだと俺が君の推しの彼氏になるかもしれない」と言うとむしろ乗り気にさえなった。

 あとは目的地までのルートと、簡単な指示だけを伝え、男にジャケットを手渡した。おまけで付いてきた襟元のステッカーを見て、男は誇らしげな面持ちでフードを被る。


「──ありがとう。じゃあ、推しとの追いかけっこ楽しんで」


 そこから先は櫃辻と配信画面が捉えた通りだ。櫃辻が偽ポッポ君を追いかけるのを遠くから見守り、素知らぬ顔で路地から抜け出した。入れ替わりには一分とかからなかった。


『よくあんな急ごしらえの替え玉作戦で乗り切れたものですねー、波止場様』

「あんな場所であんな目立つ格好の奴が逃げ回ってたら、誰だって〝そう〟だと思う。俺みたいな冴えない奴の顔なんて、一々誰も気にして見てないだろうしね」


 薄暗い路地裏、という環境も容姿の細部や雰囲気を誤魔化すのには最適だった。


『咄嗟の機転で活路を切り開くその想像力。これは思ったより、退屈しなさそうですね』


 VC越しのツキウサギの声に、何様目線なんだ……と波止場は苦笑する。


 ともあれ、自分でも意外なほどに時間稼ぎは上手くいったと思う。歯車がカチッと噛み合ったような爽快感すらあった。

 そして実際、そこまでは順調だったはずだ。

 それがどうしてまたこうも逃げ回る羽目になっているかと言えば、不運、としか言いようがない。


『さて、波止場様の勝利まであと少し……だったのに。案外余裕なさそうですねー』


「……ああ、ホント。まさかせいで見つかるとか、最悪だよ」


 上着を脱いだところで撮影箇所ヒットポイントはよく目立つ。だから波止場は人目につかない場所を選んでコソコソと隠れていたのだが、そこでどういうわけか見憶えのある野良犬とばったり遭遇。いつぞやと同じようにワンワンと吠え回されてる間に、新たに補充されたらしき綿毛型ドローンに見つかってしまったのだ。

 

 元々ただの時間稼ぎのつもりだったとはいえ、こんなアクシデントは流石に想定外だ。


『波止場様はきっと、幸運の女神様に嫌われているんでしょうね』

「……それか悪戯好きの疫病神でも憑いてるか、のどっちかだ」

『よかったですね、見るも眼福なエロ可愛いバニーガールちゃんがついていて』


 ツッコむ余裕もない。

 波止場は、息を切らしながら歩道橋を疾駆する。


 歩道橋は四車線の車道を跨ぐように架かっていた。植栽やベンチなどもあり、遊歩道としても機能しているようだ。その中ほどまで走ったところで、波止場はまたあのノイズを右目に感じた。

 一ビット単位の粒子が瞳の中で、ジジッ、と震えるような感覚だ。

 先ほどから度々襲ってくるこの違和感。その正体こそ掴めなかったが、嫌な予感は、当たる。


「……っ!」


 波止場は、歩道橋の途中で足を止めた。突然橋上に人影が一つ増えたからだ。

 まさか本当に、と思い頭上を見上げた直後──櫃辻が空から降ってきた。


「──ガッチャ! 追いついた!」


「櫃辻ちゃん⁉ なんでいつも上から──ってか、なんかデジャブ……!」


 なんてイレギュラーに波止場が怯んでいる隙に、櫃辻は着地姿勢のまま綿毛を展開すると、それら数機の単眼をレンズに、間髪入れずにシャッターを切った。


 対して波止場は、咄嗟に右手に掴んだ〝それ〟を正面に掲げてボタンを押した。

 途中で拾っておいた傘だった。勢いよく開いた黒布が、正面からのフラッシュの連続を遮った。


「……あはっ。完璧に不意突いたと思ったのに、用意がイイんだから……!」

 

 櫃辻は残念そうな、あるいは嬉しそうな表情を浮かべ立ち上がる。正面は塞がれた。

 波止場はすぐさま踵を返し来た道を戻ろうとする──が、そこには先ほどまで追ってきていた綿毛の群れが退路を塞いでいるわけで、つまりは、挟み撃ちだ。

 右からは綿毛が、左からは櫃辻が徐々に距離を詰めてくる。完全に退路を断つ動きだ。

 波止場は傘を広げたまま、歩道橋の欄干に踵をぶつける形で後退する。


「ひどいじゃん、ポッポ君。人がせっかくプレゼントしてあげた物を、さ」

「あんなに喜んでもらえるとは思ってなかったんだ。それに、発信機かと思ってた」


 歩道橋の下には車道がある。

 軽く首だけを振り返ると、バス停の前に停まったバスが見える。右側の車線。数人ほどの客が乗り降りしている最中だ。まだ、少しかかるか。


「櫃辻ちゃん、なんか息上がってない? もしかして意外と体力ない?」

「ポッポ君こそ。見かけによらず、体力あるね……鬼ごっこ勝負なら、負けてたかも……」

「俺なんか彼氏にしたって、何の記念にもならないよ? だから見逃してよ」

「今更ダメだよ。櫃辻いま、けっこー本気でポッポ君のこと狙ってるんだから」

「……やっぱあれ、本気じゃなかったんだ」

「だって櫃辻、超人気者だからね。嫉妬の炎に焼かれてもフェニックスになって生き返るくらいのタフさがないと。だからさ……ポッポ君のイイとこ、もっと櫃辻に見せて♪」

「……期待に添えるとは思えないけど。焼かれるのは、困るな」


 プシュー、とドアが閉じる音がする。

 アクセルを踏む。

 音が近づいてくる。

 

 ──今だ! と波止場は空想上のフラッグを叩き下ろし、広げた傘を宙へと放った。


「んなっ!」


 一瞬、櫃辻の視界から波止場の姿が傘の裏に隠れた。傘が無軌道な動きで橋上に落ちたあと、波止場の姿が歩道橋から消えていることに櫃辻が驚愕する。

 

 飛び降りたのだ。

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