【第8話】vsチート

 ガタンと背にしたバンが揺れた。

 頭上を見上げるとそこにいたのは──


「ポッポ君、みっーけ!」


「──おわぁっ! ヒツツツジちゃん……ッ⁉」


「あはっ、ナイスリアクション! でも〝ツ〟が一個多いぞ♪」


 突如バンの屋根の上に落ちてきたのは、ゲーミングカラーが眩しい派手やかな装飾で衣装を飾り、瞳には翡翠色の虹彩を宿したカラクリ遣いの狩人──櫃辻だった。


「てゆーか、ポッポ君。バニーちゃんのおっぱい見すぎだよ。これから櫃辻の彼氏になるかもってときに、それはちょっとどうかなーって櫃辻思うよ?」

「……なんで知って……っ、じゃなくて……どっかから見てた……⁉」

「そーゆー視線には敏感なんだよ、女のコってのはさ」


 答えになってない。

 取り繕うように波止場はツキウサギの方を見るが、彼女はとっくに表示窓ディスプレイを潜って姿を消したあとだった。助け船は当然、期待できない。

 

 バンの上に立ち上がった櫃辻の肩越しに、綿毛がカメラを携えて飛来する。

 波止場は弾けるように地面を蹴って、車と車の間から飛び出した。予め脱いでおいたジャケットで、後方からの死角となるように壁を作る。残り三ヵ所の撮影箇所ヒットポイントを隠すために、だ。


「逃がさないよ──《#気まま羊雲クリック・パフ》!」


 櫃辻は、波止場の背中に向けて人差し指の銃口を構えていた。

 正確には、その足元。

 櫃辻は波止場の足元に向かって、人差し指の先からネイルの弾丸を弾き出した。


「──開花クラック!」

 

 合図と共に、

 ひび割れたネイルから巨大な綿花が──ボンッ! と弾け咲く。


「……ッ、のわぁぁ──ッ!」

 

 それは爆発レベルの生長で、しかし柔らかな衝撃にピンボールの如く弾き出された波止場は絶叫と共に駐車場の宙に打ち上げられた。波止場は宙で、歯噛みする。


(……この体勢は、まずい!)


「そんで《#おはよう子羊ストレイ・ノーマッド》──散開! シャッターチャンスだよっ!」


 シャッター音とフラッシュが全方位から瞬いた直後、足首の撮影箇所ヒットポイントが砕け散った。

 

 ガラスのように砕け散った破片を足元に見上げながら、波止場はその勢いのまま反対側の車上へと墜落した。

 その落下地点には、綿花のエアバッグが咲いている。


「惜しい! 服でガードされなかったら全抜きできたかもだったのにぃ!」

「……っ、ちょっと、暴力禁止じゃなかった⁉ 今の、結構危なかったけど……⁉」


『……ん、むにゃ……ミライ、安全対策ばっちり……高評価ぽちぃ』

『です。危険行為はありませんね。ゲーム続行です』


 波止場の抗議も虚しく、耳に届いたのは審判二人からの無情なジャッジだけ。


 波止場は自分を受け止めてくれたエアバッグから、車上、地面へと段々転げ落ちると、車列の死角を利用しながらも走って駐車場から脱出する。


 撮影箇所ヒットポイントは残り二つ。胸と左の手首に残されたそれのみだ。


『ほら、早く逃げないとまた大事な撮影箇所ヒットポイントが刈り撮られちゃうよ? 撮れ高的にはまだもうちょっと、ポッポ君には頑張ってもらいたいとこなんだけどなぁ』


「だったら、もうちょっと手加減してよ……」


 配信画面に映る櫃辻にこちらの声は届かない。肩越しに後ろを振り返ると、追ってくるのは綿毛だけで、櫃辻自体に焦って追いかけてくる様子はなかった。

 索敵、追跡、撮影までもこなす優秀なチートがあるのだから、その余裕も納得だ。


 対して、こちらにできるのは走って逃げることだけ。


「──EP、か。やっぱあれ、ズルくないかなぁ……」


『んはは。それを攻略するのもまた、パンドラゲームの醍醐味ですよ。

 EPは確かにゲームバランスを揺るがすものではありますが、あくまで戦略性を拡張するための道具でしかありません。ゲームの主人公はあくまで、プレイヤー自身です』


「……道具チートは所詮、道具チート。ってことか」

 

 です、と短い応答だけが返ってくる。

 波止場は緩みかけてたペースを再び速くする。

 

 当面の問題となるのはあの綿毛型ドローンと、積極的にこちらの居場所を発信する観客リスナーたちだ。

 綿毛の方は幸いにも、その綿毛ボディ故か飛ぶ速度はあまり速くはない。全力で走れば振り切れないこともない……が、こちらは観客の目も気にしなくてはならない。


 そして土地勘を得ぬ未知の街、見える街路は全て迷える羊を取り囲む迷宮の路だ。闇雲に逃げ回ってるだけでは、知らず知らずの内に袋小路へと追い込まれてしまうだろう。

 

 だが、一度見た景色なら、辿った順路ならば寸分の違いなく頭に思い描くことができた。


「……参ったな」


 相手は『一〇〇の夢』をゲームで叶えてみせると豪語する熟練者。

 片や自分はチュートリアル真っ最中の雛鳥だ。

 

 勝てるとは思っていなかった。だが、その後ろ向きな思考に反して、このゲームをどう攻略するか、に考えが傾きつつある自分を波止場は自覚する。


 思いの外身体は動く。疲労のせいか思考から余分な贅肉が剥がれ落ちていく。脳細胞に深く記憶された〝過去の経験〟が、波止場を僅かな勝ち筋へと導いていく。

 

 ──人の目と、機械の目。


 その両方を攻略しないことにはこのゲーム、かくれんぼにすらならない。

 

 なら──


「残り時間はあと二三分。さて、どうやって残り二つの撮影箇所ヒットポイントを守ろうかな」

 

 辺りを見渡すと、見知った景色に近付いていることに気付く。きっと、帰巣本能というやつに違いない、と、彼はこの街で目覚めてから初めての笑みを口端に浮かべた。


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