第46話 下手な小芝居
「とりあえず、樋口さんは、ここやな。」
湯気を上げている湯呑みを四つ、お盆の上において、嫌がる佳織を連れて、二人の前に姿を現すと、そんな言葉を口にしながら、徹の隣に、佳織を座らせると、それぞれの前に、緑茶の入った湯呑みを置いていく。
「えぇと、とりあえず、徹は、樋口さんに謝りや。この里桜さんの事、何もゆうとらんかったやろ。樋口さん、びっくりしとったでぇ。」
京一は、そんな言葉を発しはしたが、自分自身も、徹には聞いてはない事に、私もな。という言葉を添えた。徹の正面に、里桜という女性が座り、徹の隣が佳織。京一は、正方形のソファーを一つ、中立の立場を意味する、三人の上座に移動させた。
「大体、想像もできるけど、まずは、説明して、この状況を…」
目配りをしている京一が口にする、言葉通り、佳織に謝罪を入れるのを見て、そんな言葉を続けた。
徹いわく、里桜という女性は、元カノであるという事。五年前、別れてから、何の連絡もなかったのに、半年前、急に電話が来たという事。懐かしいという思いもあり、二度会いデートらしきことをしたと云う。
徹の説明を終えた後、しばらく、無言の時間が流れた。まあ、想像をした程度の事に、京一が、突破口を開こうと、一投目の言葉を投げかけた。
「まぁ、デートらしきことをしたという事は、徹君の方は、デートと認識していなかったわけで、里桜ちゃんか、そちらの方はデートと言う認識があって、付き合っているという勘違いをしたのかな。お互いが勘違いをしていたという事で、里桜ちゃんかな、君も、徹君は、こちらと付き合っているという事はわかったんだから、ここは、身を引かんとな。」
「おじさん、何ゆうとるか、わからない。私たちは、付き合っているの。」
京一のこめかみの血管が、ぴくぴくと動いている。あくまでも、遠回しに、優しく、言葉を綴ったつもりである。玄関で、押しのけられたくだりもある。この場で、追い出す剣幕になってもいいのだろうが、徹の絡む話であるから、穏やかに、話を終わらせたい。
「だからね。里桜ちゃんよぉ、五年ぶりに、五年前に付き合っていた女の子から、連絡があったわけじゃないの。そらぁ、懐かしくて、デートのつもりはなくても、一回や二回ぐらい会うでしょうよ。別に、セックスしたわけじゃないんやから、付き合っているって…」
したよ!話している途中で、そんな言葉が、京一の耳に飛び込んできた。言葉が止まり、思わず、徹の顔を見てしまう。
したんかい…呟いた言葉の後、京一は崩れ落ちた。
「でも、あれやで、佳織さんと付き合う前やし、ホテル、行こうって誘ったんは、里桜の方からやし、誘われたら、そらぁ、やるでしょ。」
正直、徹と里桜というこの別れ話になんて、どうでもいいと思っている佳織が、徹の言葉に、付き合っているテイという事を思い出す。付き合っているテイで、この会話に加わらなければという、使命感みたいなものが沸き上がってきた。
「徹君、どうゆう事よ。」
何度も言うが、徹の別れ話など、どうでもいいのである。下手の芝居の棒読みをする役者みたいな口調で、会話に加わる。
「したって、お前。なんやねん、それ、やってもうたら、あかんやないかい。」
一方、京一は、一人でそんな事を呟いていた。
「こんな女がいたのに、私に、付き合おうて、おかしくない。どうゆうつもりよ。」
徹相手に小芝居を始める佳織。セリフの言い回しは、変わらず、棒読みをする役者であった。
あのぉ!下手な二人の小芝居が続く中、里桜が、そんな二人を見て、言葉をかけた。
「ホンマに、二人は付き合っているんですか。」
佳織が、下手な小芝居をやめ、里桜の顔を見つめる。
嫌やわぁ…佳織は、そんな言葉を発したかと思えば、にやりに笑い、言葉を続ける。
「付き合っているに決まっているでしょ!」
徹の左腕をとり、両腕で絡ませる。徹は、左腕から伝わってくる佳織の胸の膨らみの感触に、軽く下半身が反応してしまう。微笑を浮かべた佳織の表情が、不気味感を漂わせていた。
「徹って、年増好みやったけ、おばさんは、そっちのおっさんとの方が、お似合いとちゃうの。」
一気に、血の巡りが、頭の頂点に達した。その後の佳織の言動は素早かった。徹の左腕に絡ませていた両腕が解けた瞬間、右の手の平が、里桜の左頬にぶち込まれていた。
「何言うてんのや、この小娘が!こっちは、大人やから、大人の対応をしてやろうとしとったのに、なんや、そっちがそんな態度をとるんやったら、やったるでぇ。」
怒鳴り声をあげながら、そのまま、テーブルを乗り越え、里桜の髪の毛を掴み上げる。こんな佳織の言動を、京一は、一部始終、視界に入っていた。佳織の言動も素早かったが、京一の言動も、素早かった。
痛い、痛い、と目を吊り上げて叫ぶ里桜も、目の前にいる佳織の髪の毛を掴み、負けじと睨みつける。重量級のボクシングの試合で見せる、レフェリーのごとく、睨みあう二人の間に、京一は、自分の身体をねじ込ませた。
「やめぃ、やめりーや!」
全身に力を込めて、二人の間を引き離そうとするが、意外にも、押し付けられる力強さに、驚いてしまう。
「徹、徹君も!」思わず、徹に助けを求めている。火事場のバカ力なのか、普段から、非力を装っているだけなのか。改めて、女性という存在。自分が思い描えていた女性像の一つが、崩れ落ちていく。
徹は、真横で起きた、佳織の俊敏性の言動に驚きつつも、京一からの呼びかけに、我に返り、里桜の肩を持ち、京一と同様に、リミッターが外れた二人の女性を、引き剥がそうとする。
痛いやろ、放せや、おばはん!
おりゃ、おばはん!
何しとんねん、おバン!
キモイねん、おバン!
年を考えろや、年増が!
年下、誘惑しといて、欲求不満か!
里桜の口から、放たれる悪態の数々。普段であれば、聞く事のない言葉の砲弾。
「小娘が、なんで、私が、こんなこと言われなあかんの。ねぇ、徹君!」と、徹を睨みつける。
「こんな、デート初日で、すぐに抱かれる尻軽女に、なんで、こんなこと言われなあかんの。京一さん!」と、京一の顔を見る。元はと言えば、徹が、この人と付き合っていると言ったせいで、そんな話に合わせてくれと懇願した京一のせいでもある。初対面の、頭の悪そうな、如何にも尻軽女に、真面目に生きてきた私が、こんな罵倒を浴びせられなければいけないのか、全く納得がいかない佳織は、言葉を続けた。
男二人の力で、引きはがされた二人は、まだ、戦闘態勢をとっている。このまま、手を放せば、再び、荒々しい喧嘩、殴り合いになってしまうだろう。
待て、いいから、やめろ、里桜!とびかかろうとする里桜の正面に立ち、お互いに顔を突き合わせた。徹は、里桜の瞳を、力強く見つめる。
「ごめん、里桜、佳織さんとは、付き合っていないんだ。俺、嘘をついた!」
徹の腕を押しのけようとする力が緩んだ。
「だから、佳織さんは、関係ないねん。佳織さんは、俺に、話を合わせてくれただけなんよ。だからやめろ!」
里桜の悪態の数々に、自分に訴えかけてきた佳織の目力に、徹は、本当の事を言う選択をした。何も関係ない佳織を巻き込んでまで、この場を続けることは出来ない。
それなら、私と…里桜の目尻は、急激に下がって、表情が優しくなっていく。
「佳織さんと付き合っているって、嘘をついた事は、俺が悪いし、お前に、申しわけないと思っている。でも、お前と寄りを戻すことも、付き合う事も出来へん。」
なんで、なんで、いいやん…、里桜がすがる様に放つ言葉を遮りながら、徹は言葉を続ける。
「俺は、佳織さんの事が好きやねん。お前より、ずっと、佳織さんの事、思ってんのよ。俺の気持ちに嘘をつくことは出来へん。」
京一は、数日前の夕卓の事を、再度思い浮かべる。里桜を押さえつけ、徹の口から放たれる言葉を聞きながら、佳織の怒りも収まり、沈静化したこの場で、突然の徹の告白。本日二度目の理解できない状況下に立たされた。
『えぇっー!』本日二度目の雄たけびを上げる佳織は、どう理解すればいいのかわからなくなり、無脱力の状態のまま、ソファーに全体重を預けていた。佳織は、不意に京一に視線を向ける。驚いている様子ではない京一の表情に、何か違和感を覚える。徹に告白をされたことは、京一にとっても、驚きの一つなのだろうに、無表情のまま、雄たけびもあげず、言葉を発しようとしない。
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