第十二章 危機一髪

第四十五話 

 枝鳴長屋の三人と琴次は楢岡の一本松の前まで来ていた。

「じゃ、手筈通り。琴次は七篠診療所、悠と三郎太は甚六の家だ。あっしは甚六の家の方から行ってその近くで待機してるからな」

「あいよ」「合点承知の助」「はぁ~い」

 三人はそれぞれに返事をして散って行った。

 まず手近なところで悠と三郎太だ。一本松からすぐに左に入っていくと少しして右に上り坂がある。

「あたしは七篠先生のところへは行ったんだけど、甚六さんのところは初めてだからねぇ」

「おいらなんか両方とも行ったことがねえよ。甚六さんとこはお恵ちゃんが一本松まででいいって言うから、そこまでしか行ったことねえしさ」

「これ、楢岡方面に向かって丘を上って行くねぇ。もしかすると本当に天辺で七篠診療所の近くになるかもしれないよ」

 甚六の家はすぐに見えてきた。家の前には広大な薬草畑がある。

「こりゃあただ事じゃない畑だねぇ」

「そりゃ薬屋だからな。裏山椎の木山椒の木……いや、あれは琵琶の木だな」

「それにしても柏原と楢岡を網羅するだけの量の三倍はあるねぇ」

 二人が玄関に近付くと八つくらいの子供が駆けてきた。

「あ、お恵ちゃんを送り迎えしてるおじさんだ」

「おっ? おいらのこと知ってるのかい?」

「うん、いつも一本松までお見送りしてたんだ。おじさんがお恵ちゃんと一緒に帰るの何度も見たよ。おいら羊四郎。おじさんは?」

「おいらは三郎太だ。今日は羊四郎の父ちゃんに用事があって来たんだ」

「わかった。ついて来て。そっちの綺麗なお兄さんは?」

「おや、綺麗だなんて嬉しいねえ。あたしは悠ってんだ。お恵ちゃんから羊ちゃんのことは聞いてるよ。優しくてよく気の付く子だって言ってたよ」

「えへへ」

 照れながらも玄関の方に二人を案内すると、ちょうど辰二郎が出て来て鉢合わせになった。

「お前さんが辰二郎だね、お恵ちゃんから聞いてるよ」

 辰二郎は何か言いたげに羊四郎を見た。

「お恵ちゃんの長屋の人だって。ほら前に言ってたお恵ちゃんを迎えに来る禿げたおじさんがこの人だよ」

 何か一言余計な修飾が入ったが、子供というのは悪気なく正直な感想を述べるものである。

「ああ、お恵ちゃんを迎えに来たのか」

「えっ? お恵ちゃん、今日ここに来——」

 まで言ったところで、三郎太は悠に帯の後ろを引っ張られた。それ以上言うなということだろう。

「そうだよ。あたしたちも楢岡に用があったんだよ。お恵ちゃんとは一緒に帰ることにしてたのさ。その前に甚六さんに用事があってね」

 よくこれだけ口から出まかせがすいすいと出てくるものだと、三郎太は感心する。

「酉五郎が案内してるはずだから、その辺にいると思うよ。家で待つか? 麦湯くらいしか出せねえけど」

 十一歳と聞いていたが随分大人びた感じがする。

「辰兄、この人たちお恵ちゃんじゃなくて父ちゃんに用事があるんだって」

「じゃあ、ちょっと父ちゃん呼んで来る。羊ちゃんこの人たちを家に入れといて」

「いえ、あたしたちはここの濡れ縁で待たせていただきますから」

 悠がさりげなくそう言って縁側に腰かけると辰二郎は奥の方へ向かって大声を出した。

「おーい、父ちゃん。お客さんだよ」

 体も大きいが声も大きい。こういう子が一人いるだけで、家の中は明るくなるものだ。

 しばらくして甚六らしき男が手拭いで汗をふきふき、畑の奥から走って来た。

「すみませんお待たせして。甚六です」

「父ちゃん、お師匠様の送り迎えしてた三郎太さんだよ」

 羊四郎が言うとなぜか甚六は迷いも見せず三郎太を見た。特に頭を見た。全員が気付いたが何も言わなかった。

「あたしは三郎太の兄さんとお恵ちゃんと一緒の長屋の悠ってんです。随分大きな畑ですねぇ」

「え、ええ、まあ。今までは柏原と楢岡に医者が一軒ずつだったんですが、潮崎の薬問屋の大店から注文が入ることになりまして」

 悠が涼しい笑顔でボソリと言った。

「鳴海屋」

「鳴海屋さん、ご存じなんですか? あっしは潮崎に行ったことが無くてどれくらいの大店かも知らないんですよ。そうですか、そんなに有名なお店でしたか」

 辰二郎が悠と三郎太に麦湯を持って来た。礼を言って受け取ると、悠はいきなり切り出した。

猪牙船ちょきぶね十艘、屋形船三艘、船宿三軒、博打宿一軒……廻船問屋ですね」

 甚六と辰二郎は何のことを言っているのかさっぱりわからないという感じで固まっていた。仕方なく三郎太が補足することにした。

「つまり、鳴海屋っていう薬問屋は無いんです。鳴海屋さんは廻船問屋なんですよ」

「は? 廻船問屋? なんで廻船問屋で薬が必要になるんです? しかも麻酔薬ばかりですよ」

「それはな、父ちゃん、アヘン中毒の人を増やして儲けるためだよ」

「午三郎!」

「あれは一度中毒になるとアヘンなしには生きられなくなる。だからいくらでも金を積む。足元見て高い金額を吹っ掛ければ濡れ手に粟のぼろ儲けだ。そう言うことだろ、お兄さんたち」

 悠がニヤリと笑う。三郎太が「おめえ賢いなぁ」と感心する。

「最近七篠先生の周りで、七篠診療所がどこから薬を仕入れているのかを探っているへんな連中がいるんですよ。それであとを尾けてみたら鳴海屋の博打小屋に案内されてその後で屋形船に乗せられてアヘンを吸わされそうになったんです。この辺でアヘンを作っているのは甚六さんくらいしか知らないもんでしてね。それで確認に来たってわけなんですよ。大当たりってとこですね」

 だが、甚六は別のところに反応した。

「七篠診療所を探っていた連中がいたんですか……なんてこった」

 そのとき、卯一郎がケシ畑の奥から必死に走って来た。

「父ちゃーん、大変だ! お恵ちゃんが!」

 悠と三郎太は顔を見合わせた。


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