第十八話
さあ、猶予は半刻だ。この建物は部屋の両側が縁側になっていて、それを廊下として使っている。つまり、いつ、どちら側から七篠先生が出てくるかわからないのである。
とは言っても悠は人の気配には敏感である。自分が気配を消すことはできないが、柏華楼で育ったのが功を奏したといえよう。
まずは建物の配置を頭に入れた。玄関は真東、廊下代わりの縁側は南北、それに挟まるように部屋がある。まずは歩きやすそうな南側の縁側の外を歩く。その一番奥に厠らしきものがある。見つかっても「厠を借りに」と言えばいい。縁側の方から障子を見ていくと、三畳ほどの部屋が四部屋、一番奥には納屋があり、中からも外からも出入りできそうなところを見ると、あそこが薬の倉庫なのだろう。特におかしなところがあるとは思えない。
納屋の外側を大きく迂回して北側に出てみた。納屋の前には井戸。そこから東に戻るように、先程南側で見たのと同じような風景が並んでいる。
ただ一つ違うのは、こちらでは薬草を栽培していることだった。
しかし、ここにある薬草は麻酔効果のあるものではない。とすれば、七篠先生が個人的に使う薬だろうか。
そもそも患者に使う大量の麻酔薬はどこから仕入れているのか。唯一麻酔薬になりそうなのは琵琶だが、彼女一人で調剤できる量ではない。
悠がもう一度南側に回ってみると、唐突に南側の一室の障子が開いた。
「何をなさってるんです」
「すみませんねぇ、厠をお借りしようと思ったんですが、こちらには井戸しかなくて」
「厠ならすぐそこです。患者さんが落ち着きませんからあまりウロウロなさらないでください」
「これはどうもすみません」
そうだ、こちら側は南なので自分の影が障子に映ってしまうのだ。逆に北側を歩くときは影が映らない。
悠は礼を言って厠に行くふりをして北側の方へ回った。さっきの場所だ。そこから納戸の裏を回って奥に行ってみる。琵琶の後ろには麻が生えていた。その向こうは原っぱ……というより何かを植えている感じだが、どう見ても野菜や木ではない。なんとなく見覚えのある草だった。花でも咲けばわかるのかもしれないが。
あまりそこに長居するのもおかしいと思い、厠を借りた顔をしてさっさと玄関に戻って来た。半刻もあるのだ、どうやって時間を潰そうか。
仕方なく診療所の玄関周りを散歩してみた。もう
そのとき、悠ははたと感じた。これは悠でなければ気付けなかったかもしれない。
土筆は解熱鎮痛、蒲公英は消炎、蟒蛇草は下痢止め、薺は便秘に、木通の蔓は利尿作用がある。意図して診療所の周りに植えているのだろうか。しかし蒲公英や薺はどこにだって生える。考えすぎか。
ん?
一瞬、何かの匂いがした。それも煙の匂いだ。ただの煙じゃない。煮炊きや線香の匂いではなく、どちらかというと
これは阿片だ。間違いない。七篠先生はおかみさんに阿片を処方している。しかもこの阿片はただの阿片じゃない。何かを混ぜて作っている。麻の葉? だとすればとんでもない代物だが、おかみさんの寿命を考えるとそこまでしてでもお玉ちゃんの祝言には間に合わせたいというのもわかる。
ほどなくして二人が出てきた。おかみさんからは煙と汚穢の臭いがしていた。おかみさんを手押し車に乗せると、七篠先生が「ちょっと来い」と目で合図をして来た。 悠は七篠先生から何か小さなものを渡された。
「これは?」
「麻の葉です。帰ったら真っ先におかゆを作ってください。そこにこの麻の葉をほんの少しだけ入れるんです。おかみさんの薬は一日は持ちません。ですからすぐに作って食べさせるんです。煙で吸うのはすぐに効果は出ますがお式の最中に煙を吸うわけにはいきません。その点、食べると消化する時間もあって時間がたってから効果が出始めます。お玉ちゃんの祝言の間はそれで持つでしょう。それからのことは祝言が終わってからご主人さんとお玉ちゃんでご相談なさってください」
「ええ、お伝えします」
「あ、もう一つ。本物の祝言には呼んでくださいね、と」
どうやら七篠先生にも偽物の祝言であることがバレているようだ。
「確かに承りました」
悠はニヤリと笑うと麻の葉を懐に仕舞い、手押し車で待っているおかみさんのもとへと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます