第3話 2人目のイレギュラー③

 思えば奇妙なことだらけだった。

 ゲームの世界に転生なんて時点で大概なことなのだが、現代日本で生きていたら誰もが知っている知識はあるのに、自分個人に関する記憶はただ一つを除いて残っていない。

 そのただ一つの記憶が妹から勧められてプレイしたキズヨルというゲームの存在と、それに関連した知識。

 細かなキャラクター設定や裏設定、ゲームの攻略情報に各種イベント、ルート分岐、またキズヨルについての盤外で起こった出来事。

 それが前世の自分について知れる唯一のものだった。


 だが、果たしてそれは本当に前世の自分とつながっているものなのだろうか?

 前世の自分がキズヨルに触れたきっかけは妹に勧められたからだった。

 しかし、だとしたらどうして俺は、そのゲームを勧めてくれた妹について何一つ覚えていない?

 そもそもキズヨルなんて数多あるゲームの一つに過ぎないはずなのに、なぜそれだけを、しかもここまで欠落することなく明瞭に覚え続けていられる?

 あのゲームを勧めた妹が俺にとって特別な存在だったからか?

 顔も名前も、その思い出も、何一つとして覚えていないのに?

 

 ……これは、本当に俺の記憶なのか?


※ ※ ※


「「……」」


 王都へ向かう魔導列車の車内。

 行きと変わらず三等客車でも乗客は数えるほどしかおらず席は好きに座り放題なのだが、彼女、アイシャはニコニコと無言の笑みを浮かべながら、乗り物酔いを起こさないように車窓の景色を眺めている俺の隣にべったりとくっついている。

 ……何も知らない人間が今の俺たちを見たら、恐らく仲良し兄妹と思うだろう。


「……他の席、空いてるぞ」

「ここでいーもん。おにいちゃんはあたしが隣だといやなの?」

「そういうわけじゃないけど。何度も言うが変に期待して後悔することになっても俺は知らないからな」


 その俺の忠告にアイシャは何も言葉を返すことなく、また無言で俺にべったりとくっつく。


 あの日、俺は「サヤ」と名乗ったアイシャに自分は前の自分についての記憶を一切持っていないと正直に伝えた。

 それを聞いたアイシャは動揺し、困惑した様子で数分間フリーズし、そして今にも泣きそうな、笑い出しそうな顔で俺にこう言ったのだ。


『ぁ、あたしが一緒にいて、色々と話しかけたらきっと、きっと思い出すよ! うん、思い出す! そうだよ、うん!』


 アイシャのその言葉はとても不安げで、自分自身にも言い聞かせているかのようだった。

 ともかく彼女は当初の予定通り俺と一緒に王都へ向かうと言い張り、どうにかこうにかカルラさんを説得して今に至るというわけなのだが。


(何事もなかったかのように振る舞っているけど、絶対に無理してるよな)


 アイシャは二人きりになると、このように俺に甘えてべったりとくっつくようになった。

 彼女の様子はまるで俺のことを『おにいちゃん』だと見せつけているようだ。

 俺たちの様子を見る者や、俺、そして自分自身にも自分たちが兄妹だと思い込ませているかのように。

 恐らくこれはアイシャなりの不安の表れなのだろう。


 アイシャにとって、その『おにいちゃん』なる人物とはとても大切な存在だったようだ。

 そしてこの世界に来たということは、その『おにいちゃん』とは死に別れたということになる。

 本来であれば、もう二度と会うことが絶対に叶わない相手。そんな人と会えたのだ。アイシャの喜びは相当なものだっただろう。

 そしてアイシャは俺が『おにいちゃん』だという証拠を慎重に調べ、絶対的な自信と確信を持って、前世の自分の名前まで明かして接近したというのにその相手は前世の自分の記憶をほとんど持っていないときた。

 それがアイシャに与えた衝撃は相当なものだったようだ。

 だからこそ俺から離れようとしない。いや、離れたくないのだろう。

 ……こちらとしては確信に至った証拠を教えて欲しいのだが、アイシャは俺がよくしている癖としか答えてくれない。


 恐らくこれはアイシャなりの――と、そうだ。


「それで改めて確認したいだが、あんたは……」

「もう、おにいちゃん。あたしのことは呼び捨てでいいんだよ?」

「……アイシャは王都に戻って何をするつもりなんだ?」

「言ったでしょ? あそこにあたしの居場所はない。だからおにいちゃんの所に行きたいの。心配しなくても生活費くらいは自分で稼ぐよ」


 そこでアイシャはさらに体を寄せてくると、俺の耳元で、日本語でこう囁いた。


「『秘匿領域』、おにいちゃんはとっくの昔に見つけてそこで荒稼ぎしてきたんでしょう?」


 『秘匿領域』、それはゲーム二周目以降に訪れることができる王都地下の隠しダンジョンで強力かつ高値で売却できるレア装備やアイテムを大量に入手できることから、周回プレイヤーは必ずお世話になるダンジョンだ。

 今の俺のステータスや資金は全てここで培ったといっても過言でもない。

 彼女が『原初の女神像』の効果を把握する程度にはキズヨルをやり込んでいるのなら当然『秘匿領域』の存在も知っているだろうし、何ならそれがどこにあるのか見当も付いているのだろう。


「……さあ、何のことだか」

「おにいちゃんは相変わらず隠し事が下手だなあ。ウソの匂いがぷんぷんするよ?」

「……言っておくが、俺はカルラさんにあんたが無事学校を卒業して独り立ちできるようにすると約束したんだ。あそこに行くことは絶対に認めないからな」

「えー? アイテム使えば簡単に生活費稼げるのに? それに今さら学校に行ったところであたしが勉強するようなことなんてないと思うけど」

「さっきも言ったけどこれはカルラさんとの約束だ。守らないのなら今からでもお前を村に送り返すからな」

「はいはい、わかりましたよーだ」


 語気を強めてそう言うと、アイシャは肩をすくめてまた俺にべったりくっつき始める。

 

 アイシャがエリーゼのようなことをして、フィーネが傷つくような事態は絶対に避けなければならない。

 だから彼女から何かしでかなさいよう目を離さず監視し続ける必要がある。


 それに、前世がどうであれアイシャは俺の唯一の肉親だ。彼女が危険な目に遭うようなことも、俺と敵対するような展開も望んでいない。


「ねーねー、おにいちゃんはフィーネちゃんとどこまで進んだのー?」

「……子供は子供らしく絵本でも読んでなさい」

「えー? あたしはただどこまで進んだのって聞いただけなのにー。おにいちゃんは一体何を想像したのかなー?」


 じゃれつきながらちょっかいをかけてくる自称前世の妹を無視しながら、俺は車窓の外の景色に視線を戻す。


 ――アイシャとの掛け合いにわずかな懐かしさを覚えたことに胸を締め付けられているということ、そのことを彼女に悟られないようにするために。

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