第25話 ZODIAC
杉山慧介と四日ぶりに接触し、適当なパチンコ店で時間を潰してから二人で居酒屋Q兵衛を訪れた。店は相変わらず閑散とし、時也と杉山が来店した時点で先客はサラリーマン風の男のみ。その客も数分ほどで会計を終え、店内は貸し切り状態となった。内密の話をするには都合が良いが、よく閉店しないものだと余計な心配をする時也である。
「あれ以来、今ひとつ調子が出ないんだよな。やっぱりまぐれだったのかもな、あの出方は」
二人で二十万近く荒稼ぎして以降、杉山は二日に一度はパチンコ通いをしているらしかった。だが、ギャンブルの女神が彼に微笑むことはなく財布の中は寂しくなる一方だという。借金こそしていないものの、月末の給料日が待ち遠しいとひとしきりこぼしてから、
「そういうあんたは、最近どうよ?」
ビールジョッキを傾けながら訊ねてくる。
「僕も似たようなものですよ。仕事が忙しくて杉山さんほどは熱心に通えていませんけど、出費した分が戻るくらいでプラマイゼロです」
「ま、そんなものだよな……せめて臨時収入くらいの稼ぎがあればなあ」
店で一番安い焼き鳥のセットをつまみながら、ため息をこぼす。杉山の口から金銭の愚痴が増えるほど、こちら側に取り込むチャンスである。
「杉山さん。もしちょっとしたお小遣い稼ぎで十万ほど手に入るとしたら、何でもできますか」
「どうしたよ、急に真顔でそんな話」
たじろぐパーマ頭に笑みを向けたまま、柔らかな口調で語りかける。
「もしもの話ですよ。よくあるじゃないですか、『宝くじで一億当たったら何に使おう』みたいな」
「十万って数字が妙にリアルだけどな……そうだな、さすがに犯罪まがいのことはしたくないけど、内容によるな」
「たとえば、勤めている会社の情報をちょっとだけ部外者に教えるなんていうのは」
焼き鳥の串を指でつまんだまま、杉山はぽかんと口を開けている。
「あんた、もしかして同業者? 産業スパイってやつか? でも、初めて会ったときは公務員だって」
「嘘はついていませんよ。私は間違いなく公務員です」
スーツの内ポケットから警察手帳をのぞかせる。男の指から串が離れ、テーブルの下に落下した。
「ど、どうして警察が俺にそんな」
「あなたの協力が必要だからです。亡くなった友枝さんと、それから森野さんのためにもね」
つぶらな目が大きく見開かれ、瞬きも忘れたように時也の顔を凝視する。
「もしかして二人の事件を調べているのか? でも、俺何も知らないよ。森野さんも、たしかに同じ営業課だったけど話したことなんてほとんどないし」
「あなたに伺いたいのは、友枝さんや森野さんのことではありません。ちょっと教えていただきたい内部情報があるのです。もちろん相応の謝礼はいたしますし、あなたから聞いたとは口外しませんのでご安心を」
「俺に、組織を売れっていうのか」
「それは大袈裟ですね。私はただ、事件解決のため力を貸してほしいとお願いしているのです。あなただって、会社の先輩や同僚が謎の連続死を遂げて不安ではありませんか」
「そりゃ、気にならないと言えば嘘になるけど……でも、あんたに協力したら俺が犯人に狙われたり」
「ご心配には及びません。あなたには二十四時間の警護を付け、何かあればすぐ駆けつけられるように態勢を整えておきます。もちろん、それとは判らないよう内密にね」
「俺を監視するのか」
「捉え方は自由ですよ。嫌なら警護を外しても構いませんし、そもそもこの協力依頼はあくまでも任意です。ただし断った場合、私はあなたとの接触を今後一切絶たなければなりません。パチンコ仲間の関係も終わりです。逆に、我々に友好的な姿勢を見せていただければ今後も色々と有益な情報を提供いたしましょう。私はフェアプレイ主義者なのでね」
パーマ頭はぐっと言葉に詰まる。内心で複数の損得勘定がぶつかり合い、激しく葛藤しているのだろう。眉根をぐっと寄せて額には深い皺が刻まれている。言葉にならない唸り声を上げながらひとしきり悩んだ後、
「――俺は、何をすればいいんだ」
時也はにっこりと微笑みかけ、ビールジョッキを掲げる。
「ありがとうございます。まあ、一杯やりながらお話しましょう……ご安心ください。今日ここでの会談は非公式。誰も知るところのない密談なのですから」
翌日の朝、時也は香賀町署の田辺刑事から許可を得て三好友希のアパートを捜索した。二課が押収した
『筆跡が特徴的なうえにほとんどが箇条書きのような内容でしたので、解読に時間がかかってしまいましてね。ようわからん記号のような文字が多く並んでいましたが、どうやら星座を表したマークらしいんですわ。誕生日とかに使われる、あの十二星座ですね。あとは、これまた謎めいた図が書き殴られていましたが、部下が調べたところではホロスコープといって占星術で用いられる図のようだと判明しています。三好友希は占いにでも凝っていたのでしょうかねえ……それから、直近で書いたと思われるページにはいくつかの日付が走り書きされていました。関係あるかは判りませんが、参考までにメモしておきましたよ』
田辺が読み上げたのは、友枝雅樹に射手座の刺青の老人、そして森野一裕が殺害された日付だった。三好友希は占星術で三人の死を予知していた――などと空想するには、あまりに都合が良すぎる一致である。
「三好友希も刺青組織の一員なのか……けど、それなら何故彼は一色乙葉の存在を一に報告したんだ? 組織の情報を外部に漏洩させたも同然じゃないか。依頼者が警察だと知らなかったとしても、そんな危険を冒すメリットがあるとも思えないし」
独り言ちながら、三好の部屋を三十分ほどかけて検分する。だが現場検証がとっくに済んでいるためか、目ぼしい物証はなかなか出てこない。ゴミ箱をひっくり返したり押入れの中を漁ったりもしてみるが、結局は無駄に部屋を荒らすだけで終わってしまった。
「何も見つからず仕舞いか」
アパートを辞して山ノ手駅方面へ歩いていると、一礼司から着信が入る。三好友希の所在が掴めたのかと期待したが、もたらされたのは別の手掛かりだった。
『三好は変わらず音沙汰なしの状態だよ。俺や八月一日の携帯にも、事務所の固定電話にも何の連絡もなしさ。田辺っておっさん刑事によれば、二十日の夜に石原町駅付近の監視カメラに映っていた姿が最後らしく、以降の足取りはさっぱりだそうだ』
「二十日といえば、事務所荒らしがあった日か」
『ああ。既に四日も経っているし、とっくに県外へとんずらしているかもな』
「どうだろうな。もし三好友希が刺青組織のメンバーだとすれば、まだ県内に残っている可能性も捨てきれない」
射手座の老人と森野一裕が殺された日以降、組織に目立った動きは見られない。このまま何も起きなければ、三好を含む組織の一行がK県を離れたと考えても不思議ではないが。
『そうそう。その刺青組織だが、田辺刑事から少し気になることを聞いてな。三好が残したノートの中に、ある英単語が何度も出てきたそうなんだ。綴りはZ、O、D、I、A、C――お前、この単語で何か引っかかるか?』
「〈ZODIAC〉……いや、どういう意味なんだろうな」
『八月一日がさっき調べてくれたんだが、和訳で黄道帯って意味らしい。十二星座が並ぶ帯状の道のようなものだそうだ』
「十二星座って――まさか」
『三好のノートにその単語が頻発するということは、ZODIACが刺青組織の通名かもしれないよな。どうだ、三好の居場所まではなくとも有力な手掛かりだろ』
「有力どころの騒ぎじゃない。この上なく貴重な情報だ」
スマホを持つ手が汗ばんでいた。時也は近場にあったコンビニエンスストアに入り、トイレで手を洗ったついでに昼食の弁当を買い込む。カウンターの中で気怠そうにレジを操作しているのは、白髪頭に丸眼鏡の中年男性だ。制服の胸ポケットには「店長代理」のネームプレートが挟まっている。
「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが……この写真の人物に見覚えはありませんか」
警察手帳と三好友希の写真を同時に掲げる。白髪頭の男は豆粒のような眼を細めて写真を睨みながら、
「さあね。よく店に来るような人だったら、監視カメラに映っているかもしれないですが」
「監視カメラか……失礼ですが、映像を見せていただけないでしょうか」
「令状でもあればね。あんたの警察手帳が本物とも限らないだろう」
ぼんやりしているようで、意外と抜け目のない性格らしい。時也は「判りました」と素直に引き下がり、コンビニの外へ出ると東海林警部へ電話をかけた。
「三好友希のアパートの近所にコンビニエンスストアがあるのですが、そこの監視カメラに三好が映っている可能性があります。映像を確認したいので、照会書の交付をお願いします」
照会書とは「捜査関係事項照会書」で、犯罪捜査において情報収集を行う際、収集活動を許可する旨の公的文書だ。照会書に強制力はな炒め、警察から提示されても拒否はできる。とはいうものの、時也が過去に県警の照会書を突き付けた相手は例外なく素直に従ってくれたが。
待つこと二十分。時也の業務用スマートフォンに、ボスから照会書の文書データが送られた。近年ではこうした公的文書を電子データで発行する企業や組織が増えている。警察も例外ではない。
「お待たせしました。令状ではありませんが、こちらが捜査関係事項照会書です。店長さんにも確認を取っていただき、可能な限りご協力いただけると助かるのですが」
白髪頭の店員は、時也の顔をちらりと見てから店の奥に引っ込んだ。程なくして店長と思しき大柄な男が扉の奥から姿を現し、捜査関係事項照会書の提示を求めた。
「今時の警察は、令状も電子データなんですね」
迫力ある見た目に反して、穏やかなテノール声だ。百瀬と名乗った店長はあっさりとカメラの映像チェックに同意し、時也を店舗の奥へと通す。直近一か月分の記録データを遡っていくと、予想に違わず一週間前の十七日分の映像に三好らしき姿が収められていた。
「この人物ですが、憶えていますか」
一時停止した映像を指さす時也。野球帽からちらりと垣間見えた人相は、三好友希に限りなく近い。グレーのパーカーにスウェットの組み合わせは「ちょっと近所へ買い物に来ました」といった格好だ。
「この方……あ、もしかしてこの人」
ちょっとお待ちください、と断った店長は、菓子入れのような空き箱やプラスチックのカゴが雑多に収まるキャビネットに目を転じた。
「もしかして、この人じゃないかな」
空き箱のひとつから彼が取り出したのは、図書館の貸し出しカードだ。立浜市内の公共図書館のもので、裏を見ると丸っこい字で「三好友希」と記名されている。
「多分、そのお客さんの忘れ物ですよ。その人が店を出た後、床に落ちているのをスタッフが見つけましてね。また店に来るかと思い保管しておいたんです……その人、何かしでかしたんですか」
「まだ何とも言えませんが、大変貴重な証言です。こちらのカードはお預かりしてもよろしいでしょうか。重要な証拠品ですので」
「それは構いませんよ。ついでにその三好って人に返しておいてもらえると有難いのですが」
快く引き受け、コンビニエンスストアを後にした。
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