第5話

 お腹の調子が落ち着いたら、次は別の部屋に連れていかれる。冷や汗が出て唾も変な味がしたが、もう大丈夫だ。

 先導するのは昨日お風呂に入れてくれた人だ。侯爵夫妻とこの人と馬車を操っていた人以外には会っていない。


 その部屋は衣裳部屋のようだった。

 入って左手の壁一面にドレスがたくさんかかっている。


 でも……なんていうか……サイズからして少女のドレスっていうのはわかるんだけど。どうしてあんなにフリルやリボンがゴテゴテたくさんついてるの? 貴族ってリボンつけなきゃ死ぬの?


 ちらりと夫人のドレスを見るが、リボンなんて一つもついていない。

 貴族のお嬢様ってリボンなきゃ死ぬのかな。常備品? それにしてもヒラヒラブリブリしていて……趣味が悪い。


「娘のプリシラのドレスよ」


 うげ……趣味悪すぎない? ピンクやイエローばっかり。

 もしかして貴族のお嬢様ってあんなご飯毎日食べて、毎日こんなドレス着てるの? 動けるの? でもあんなにふわふわしていたら鞭で打たれても痛くないかもしれない。


「このあたりは特にプリシラのお気に入りだった」


 このあたり、と示されたのは特にリボンやフリルが多く使われてゴテゴテした趣味の悪いドレスだった。冗談よね? そのあたりが最も趣味が悪い。拒否感で思わず首が痒くなる。


「これは十三歳の誕生日のために誂えたの。これを着て……まさか数日後に階段から落ちて死んでしまうなんて」


 ドレスにリボンありすぎて裾踏んだんじゃない? というかこの家、借金あるって言ってたよね? 借金あるのに、なんでこんな傷んでないドレスたくさんあるの? 全部綺麗じゃない。借金って嘘なの?


「プリシラは可愛い子だったわ。何でもできて」


 夫人はハンカチを出してそっと涙を拭う。それを本当に他人事として私は見ていた。食べ過ぎたのとあまりのドレスの趣味の悪さにドン引きしていたのもある。


 普通のお母さんってこうなんだ。娘が不慮の事故ってやつで死んだら泣いて悲しむ。侯爵はなんか違うけど。やっぱり私を捨てたお母さんって異常者なのかも。


 夫人が落ち着くと、趣味の悪い中でもまだシンプルな方のワンピースを着せられる。お風呂もそうだけど着替えまでやってもらうのは落ち着かない。視線をあっちこっち彷徨わせている間に使用人の手によってワンピースを着た状態になっていた。


 私は痩せすぎているからプリシラの服はぶかぶかだ。スースーする。

 夫人は時計をちらりと確認すると、部屋から出て行ってしまった。


 侍女長だという使用人と部屋に取り残される。

 どうしようと思う間もなく、ドレッサーの前に座らされて髪の毛をくしで梳かれた。


「私ともう一人だけが事情は知っておりますので」

「事情?」

「プリシラお嬢様が亡くなったことは秘密です。私ともう一人の家令、そして侯爵夫妻とお坊ちゃまだけがあなた様がプリシラお嬢様になりかわることを知っています」

「はい」


 はい、以外答えようがなかった。

 昨日は怒涛の日だった。急にここに連れてこられて、なりかわるように言われて。できなきゃ殺されるらしい。ご飯に感動して深く考えていなかったけど、大丈夫なんだろうか。


「一年間であなた様をプリシラお嬢様に仕立て上げます」


 いや、普通に無理じゃない? 私、孤児だよ? カビてないパンで感動して泣いちゃうくらい。


 心の中でツッコミが止まらない。

 あかぎれだらけの手に侍女長はクリームを塗ってくれる。


「いえ、仕立て上げなければいけません」


 マジですか。借金って本当なのかな。

 あ、ほら、あそこの壁紙は派手に破れたままだもの。壁紙張り直すお金はないけど、ドレス買うお金はあるの? どういうこと?


 混乱していると、鏡の中で侍女長と目が合う。孤児院の職員は目を合わせたら変に絡まれていたから、鏡越しに視線が合ってもさっとそらした。


「あの壁紙はプリシラお嬢様が夕飯前だというのにケーキを所望されまして。説得したら暴れに暴れて」


 はい?

 侍女長を鏡越しに慌てて見ると、彼女は遠い目をしている。

 そういえば、肖像画とドレスを見ただけで私はプリシラ・エルンストについて何も知らない。


「何でもできて可愛い子だったんですよね?」


 孤児院では丁寧な言葉で職員に応答しないと殴られた。酷い時は寒くても外に叩きだされる。


「おそらく、プリシラお嬢様は貴族のご令嬢の中でも大変に我儘な方です。奥様が溺愛なさっておいででしたから……」


 溺愛? 愛されたらいい子に育つんじゃない? 私みたいにひねくれた子じゃなくて。


「紅茶が温いと使用人にティーカップを投げつけますし、気に入らないと使用人を叩いていましたし」


 え、それって孤児院の職員みたいじゃない? 暴力的ってこと?


「そんな感じなので同年代のお友達はいらっしゃいません。奥様に言っても認めようとなさりませんから私が今口にしたことは他言無用で」

「そうですか」

「大変だと思いますが、頑張ってください」


 頑張る……? 一体何のために?

 ご飯と着るもののためかな。情報の量が多すぎて私はついていけなかった。

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