20

「母親は環生くんを連れて近くのアパートに引っ越して、折り合いがつかない遥希とは離れて暮らすようになった。今でも、環生くんが遥希をよく知らないって言うのは、そのせいだと思う。遥希もさみしかったのかもしれないな。反抗心から、ランプに興味があるくせに、当てつけのようにサラリーマンになった。吉沢店長は諦めて、俺に継がないかと聞いてきたんだろう」

「本当にそうなんですか? 猪川さんに継いでもらいたいから、そう言ったのではなくて?」


 事情はわかるが、違和感がある。吉沢家のいざこざと、らんぷやの後継ぎの問題が、奈江の中でしっくりと結びつかない。


「遥希が死んだあと、俺は吉沢店長と一緒に買い付けのためにフランスへ出かけた。俺が選ぶランプを店長は感心したけど、店長のセンスとは異なってた。そのとき、感じたんだ。店長は遥希に継がせたかったんだって。あのときの違和感は間違ってないはずだ」

「だからって……」

「俺はさ、遥希を妬んでたんだ」


 奈江を遮るように発せられた言葉は強かった。


「猪川さん……」

「肉親がいるのに反発する遥希も、友梨って大事な婚約者がいるのに婚約破棄した遥希も、父親の気持ちをわかっていながらサラリーマンになった遥希にも、周りを傷つけようとも、なりふり構わず、自分で自分の道を選んで歩き続ける遥希が、心底羨ましかったんだ」


 怒りに任せて振り上げたこぶしを下すように、彼はそっとつぶやく。


「……こんな俺じゃ、いいランプとは出会えない」

「そんなことない。そんなことないです。遥希さんの生き方がよかったのかどうかは私にはわからないけど、そのことで猪川さんが自分の選びたい道を選べないなんてことはないはずです」


 ハッと彼は顔をあげる。


「猪川さんはたくさんの方に支えられて生きて来られたんですよね? 私には想像もつかないぐらいの苦労をされてきたんだと思います。だから、今までのことは感謝して、手放せばいいと思います」

「手放す?」

「はい」


 奈江は力強くうなずく。


「遥希への気持ちを手放すのか……」

「遥希さんにこだわってるのは、猪川さんだけのような気がするんです。どうしても、私にはそう思えるんです。吉沢さんは猪川さんをフランスへ連れていってくれたんですよね? 学ばせたいことがあったからですよね? その気持ちを無視して、本当は遥希さんを連れていきたかったんだろうなんて……、そんなふうに思わなくてもいいと思うんです」


 秋也の顔が歪むから、奈江は正義心を振りかざしたことに気づいて後悔する。


「ごめんなさい。私、猪川さんを傷つけたくてこんなこと言ってるわけじゃなくて……」


 両手で顔を覆う。


 嫌われただろう。秋也が触れてほしくない傷に触れてしまった。何がわかるんだって、怒られても仕方ないようなことを言ってしまった。


「早坂さん、泣かないで」

「泣いてないです」


 頭を振る奈江の手首をそっとつかんで、秋也は手をはずさせる。


 瞳に浮かぶ涙のせいで、彼の顔が見えない。でも、悲しんでいるのはわかる。


「泣いてるよ」


 彼の指がこぼれ落ちる奈江の涙をぬぐう。


「泣きたいのは、猪川さんですよね……? 傷つけてごめんなさい」

「傷ついてないよ。俺のために泣いてくれる人がいるんだって、驚いてるだけだ」


 震える唇に、彼のひんやりとした指が触れる。


「キスしたいけど、こんなたくさん人のいるところでしたら、ますます泣いちゃいそうだね」

「キ……」


 驚いてまばたきをすると、最後の涙がこぼれ落ちて、おかしそうに笑う秋也と目が合う。奈江の涙を乾かそうと言った冗談だったのだろう。


「手放そうか、遥希への嫉妬を」


 神妙になって、彼は言う。


「新しい縁をつかむために必要だと思います」


 奈江も冷静になって、そう言う。


「早坂さんは?」

「私?」

「そう。俺っていう、新しい縁をつかむ気はあるか?」


 えっ。声にならない声を発して、薄く唇を開く。


「付き合いたい。ずっとそう思ってた。すぐに返事がもらえないことはわかってるから、ゆっくり考えてほしい」

「……あの、私」

「ん?」


 優しく目をのぞき込んでくる秋也にどきっとして、奈江は思わず目をそらす。


 彼が落胆したようにため息をついたのがわかる。こういう性格なんだって、わかってくれてる彼を悲しませたりして情けない。だけど、どうしようもない。


 奈江は戸惑いながら、さっきよりも長くなっている列へと目を移す。


「猪川さん、並びませんか?」

「縁結びの札、もらう気になった?」


 思い切り、話をそらしたのに、愉快そうに秋也は言う。気の長い彼に、どれほど救われているだろう。


「はい。猪川さんと末永いご縁がありますようにって、お願いしようと思います」

「それ、どういう意味かわかってる?」


 あきれながらもうれしそうな笑みを浮かべる彼は、列へと導くように奈江の手を引いた。





【第二話 完】

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