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「奈江ちゃん、頼みがあるんだけど、今からうちに来られない?」
母の実姉である伯母から、珍しくそう電話がかかってきたのは、土曜日のお昼過ぎだった。
普段は急な用事で出かけるのを億劫に感じる奈江だが、伯母のお願いには抵抗がなく、二つ返事で快諾した。というのも、子どものいない伯母は、昔から奈江を人一倍可愛がってくれており、実母と折り合いの良くない奈江もまた、伯母を慕っていたからだ。
以前から折に触れて連絡を取り合う仲ではあるが、最後に電話で話したのは、正月の挨拶だったか。伯母もまた、頻繁に連絡を取りたがる人ではないから、連絡がないのは元気な証拠ぐらいに思ってくれていただろう。
懇意にしている伯母の頼みとあればと、奈江が、「すぐに向かうね」と言うと、伯母は電話口でうれしそうな声を漏らしつつ、「ちょっとつまづいて、足を怪我しちゃってね。おつかいをお願いしたいんだけど」と、申し訳なさそうに言った。
伯母は10年ほど前に骨折してから、少しばかり足が悪い。あれは、奈江が高校一年生のときだ。伯母は飼っていた柴犬のマメの散歩中に転んで骨折してしまい、奈江が代わりに夏休みの間、彼女の自宅に寝泊まりしてマメのお世話をしたのだった。
国立大学へ進学した優秀な兄と違って、進学校へ進学しなかった奈江に母の風当たりは強く、伯母の骨折を理由に外泊できたあの夏は、奈江にとってもっとも特別な夏だった。
「1時間ぐらいで着けると思う」
伯母が怪我したと聞いては黙っていられない。奈江はすぐにバッグをつかむと、ティーシャツにジーンズという普段着のまま、アパートを出た。
奈江はあまりおしゃれをしない方だ。最低限のお化粧と、肩より少し伸びた髪を一つに結ぶぐらい。これでは恋人もできないはずだと内心わかってはいるが、恋人がほしい気持ちも今のところはなく、改善する気持ちがないのも実情だ。
アパートのある
案の定、奈江が伯母である
「病院は行ったの?」
杖をつきながら足を引きずって歩く康代の背中に声をかける。
康代はゆっくりと廊下を進み、台所に入っていく。奈江をもてなそうとしてくれているのだろう。彼女はグラスに冷たい麦茶を注ぎ、水ようかんを洒落たガラスの皿に乗せながら、ようやく返事をする。
「一週間ぐらい様子見てくれって」
「ねんざ?」
「玄関の段差でつまづいてね。もう歳だから」
康代は奈江の実母と年が離れているが、老いるにはまだ早い。玄関の方へ顔を向ける彼女の視線を、奈江も無意識に追いかける。かつて、マメがいた玄関は、きれいに片付いている。マメがいなくなったのは、3年ほど前だったか。
あのときは奈江がすぐに駆けつけ、ふたりで身を寄せ合うようにしてマメとの別れを惜しんだ。子どものいない彼女にとって、マメは娘のようなものだった。悲しげな康代の小さな背中はいまだに覚えている。
マメの葬儀を終えたばかりの伯母に向かって、母が「新しい犬、飼ったら?」となんでもないように言ったとき、康代は「最後まで面倒見れるかわからないから」とやんわりと答えた。元気のない伯母を励まそうとしたのであっても、母の提案は無神経だと、腹立たしく思ったことを覚えている。
あれから、新しい犬は飼っていない。康代はもう、マメ以外の動物を飼うことはないだろう。少しばかり老け込んだのは、マメのいないさみしさからだろうか。
「ずいぶん、久しぶりになっちゃったね。これからはもっと遊びに来るね」
奈江は康代をダイニングテーブルに座らせると、麦茶と水ようかんを運んだ。
テーブルから見える景色が懐かしい。物持ちがいい康代の家は模様替えしておらず、昔から変わらない。向かい合って座れば、高校時代に戻ったような気分になる。
この家は康代が一生懸命働いて購入した、二階建ての中古住宅だった。独り身には広すぎると、二階部分は物置きのようになっていたが、奈江が泊まりに来ると、いつも二階の部屋にふかふかの布団を用意してくれた。
高校一年生だったあの夏も、康代が作ってくれる薄味の手料理を食べながら、友だちはあまりできないけど、やりたかった商業の勉強ができる高校に入れてよかったと話すと、彼女は優しい笑顔で、「よかったね」と言ってくれたのだった。
「ねぇ、頼みって何?」
ようかんをひと口食べて、奈江は尋ねる。すると、康代の視線が隣の和室へと移る。
「ランプがつかなくなっちゃってね」
座卓の上に置かれているのは、フランス製のビンテージランプだ。すずらんのような形をしたガラスのシェードがかわいらしい、康代が昔から愛用しているランプだ。
「つかないって、電球が切れたの?」
「2日前に倒しちゃって、壊れたみたいなのよ。夜はあれがないと、やっぱり落ち着かなくてね」
だから、申し訳ないとは思っても、奈江に助けを求めたのだ。奈江は頼られるのが嫌いではない。むしろ、不必要に相手を助けてしまって、利用されるぐらいのお人好しだ。
「修理に出せばいい?」
「お願いできる?」
「もちろん」
康代に頼られるのは素直にうれしい。それに、奈江だってあのランプを直したいと思う。それは、その美しさを知っているからだ。
「優しい光だったよね」
そう、あれは確か、黄昏色の。いつだったか、明かりを灯すランプを見せてもらった記憶がある。洒落た康代にふさわしい品のある姿に、奈江もいつかこんなランプに出会いたいと憧れたものだった。
「また、つくといいけれど」
かなり重症なのだろうか。康代は少しばかり不安そうに言う。
「どこに持っていけばいい?」
「これを買ったところなら見てもらえると思うんだけどね。もうずいぶん行ってないから」
「
奈江はすぐに思い当たって、そう言う。
「そうそう。場所、わかる?」
「わかるよ。持っていってあげる」
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