14

 生温い微睡みに揺られていた。意識が混濁し、夢を見ているのかどうかさえも分からない――

 はっと目を開けたニハマチは、鈍い頭痛と全身の倦怠感を催しつつ、自分が目覚めたことに気づいた。

 咄嗟に自らの腹を触った。白く無機質な剣がずぶりと体内に入ったときの、あの熱い感覚と光景が記憶に新しい。

 しかし、恐る恐る指先で押してみた腹部のあたりに、痛みや違和感などまるでない。服の下から腹を直接触ってみるが、すべすべとしたやや筋肉を感じる皮膚がそこにあるだけだった。

「……おかしいな……」

 ニハマチは上体を起こし、訝しげに腹を見詰めた。巨大な怪物と戦った記憶は鮮明に残っている。

 周囲を見渡してみると、そこは整然として掃除の行き届いた一室で、彼は清潔な薄茶色のリネンが引かれたベッドに横たわっていた。

 体の感覚を確かめるように両手を握っていると、ドアの開く音がした。

「――ニハマチさん!」

 その声を聞いて、ニハマチは目を剝いた。

 見ると、パントマがドアを閉めるのも忘れてこちらに駆け寄ってきた。手には濡らしたタオルを持っていた。

「起きたんですね……!」

 パントマはニハマチの片手を優しく両手で包み込んだ。その目は涙ぐみ、安堵で口角が緩んでいる。

 ニハマチは呆然としながらも、彼女が無事だったことに一安心した。

(生きてたんだ……良かった)

 頭の上に冷たいタオルを乗せて貰って、彼女に介抱されながらニハマチは聞いた。

「パントマ、あのあとはどうなったんだ?」

「あのあと、ですか? 廃墟を探索していたら、ニハマチさんが急に倒れてしまいましたから。私、急いであなたを運んで、この宿を借りさせて頂きました」

「え……?」

 ニハマチの頭がぐるぐると混乱した。微妙な頭痛もあってか、廃墟と墓地で起こったことを思い出して整理しようとするが、考えれば考えるほど眩暈がしてくるようだった。

「俺たちは廃墟を抜けて墓地に行ったよね?」

「墓地ですか? それは、廃墟の中にお墓があったということですか?」

「いや、違うよ。パントマが廃墟を順序通りに進んでくれて、そうしたら墓地に着くことができて、俺たちは墓地の謎を解いて雲の神殿に行ったんじゃないか」 

「雲の神殿……? ニハマチさん、大丈夫ですか。まだ具合がよろしくないのでは……」

 パントマはニハマチを労わりつつ、不思議そうな目で彼のことを見た。

(なんだ……? 記憶にすれ違いがある……?)

「パントマ。俺が倒れてから、どれぐらい時間が経ってるか分かるか?」

「おそらく、四時間ほどかと」

 ニハマチは窓の外を見た。紫色の光が仄かに満ちていて、夕日が沈んだころなのだということが分かる。

(俺の中にあるこの記憶は数時間前のものなんだ。こんなにはっきりと覚えているのに、パントマは何を言っているんだろう)

「本当に、墓地と曇の中にある神殿と……大きな怪物のことは覚えていないんだ」

「ニハマチさんのおっしゃっていることが、全く分かりません。雲の神殿と、怪物ですか」

「うん……パントマが言うには、俺は廃墟の中で倒れてしまったんだよね。廃墟には、パントマの友達を探しに行っていたということで合ってるか?」

「そうです。何か手がかりはないかとニハマチさんと私で廃墟を探索していたら、あなたが突然倒れてしまって……」

「墓地というのも、本当に分からないんだな」

「はい……?」

 ニハマチは顔を険しくして考えこんだ。

(何だかもやもやするな……うろ覚えとかじゃなくて、こんなにもはっきりした記憶なのに。パントマが墓地で話していたことも少し覚えている。もしかして、パントマと俺で体験していたものが違っていたとでも言うのだろうか。それかもしくは……)

「俺、幻覚でも見ていたのかな」

 パントマはこくりと頷いた。

「もしかしたらそうなのかもしれません。あの廃墟には不思議な霧があって、この村でも不気味な噂が絶えませんから。ニハマチさんは、普通ではないものを見せられていた可能性はあります。私の友達は、それに惹きつけられて帰ってこれなくなってしまったのかも……」

 そう言って俯くと、小さく神妙な声音になって、

「廃墟に行こうと言ったのは私ではなく、友達の方でしたが、危ないと言って止めるべきでした。それにニハマチさんまで危険に晒してしまうなんて、私は最低です」

 俯いていた顔を上げると、パントマは唇を引き締めてニハマチに向き直った。彼女の瞳は涙に濡れていたが、それでもどこか、謎めいた強い意志の力が、鮮やかな目の奥に光っていた。

「危険な場所だと分かっていてあなたを連れてきてしまいました。本当にごめんなさい。――でもそれは、あなたなら何とかしてくれるような気がしていたからなんです。私、それぐらい、あの子は、私の大切な友達で……」

 嗚咽を堪えながらも、パントマはぴしりと立った姿勢でニハマチの目を見た。ニハマチは自分でも分からないうちに彼女を若干探るように見詰めてしまったが、その涙は本物で、友達を思いやる彼女の心の慟哭は、ニハマチもだんだんと物悲しくなってしまいそうになるぐらい、真に迫ったものにしか見えなかった。

 不可解な現象との辻褄を合わせるべく彼女に少しの猜疑心を持ってしまった自分を恥じつつ、ニハマチは雨をからりと晴れ上げるような笑顔で笑った。

「パントマは友達思いなんだな!」

 パントマは後悔のためか、ゆっくりと首を横に振った。

「なあ、パントマ。俺もパントマの友達になっていいかな」

 そう言って無邪気に笑うニハマチに、彼女は驚いた目を申し訳なさそうに細めた。逡巡するような間があったあと、パントマは一度しゃくり上げてから、表情をさっぱりと変え、精一杯の笑顔を浮かべて、背筋をしゃんと伸ばした。 

「友達になってもらえたら、嬉しいです」

 ニハマチの笑みが太陽のように広がった。彼は心の底から嬉しいと感じた。

「ありがとう! 屋敷にいる間は、ロサもグラスもキツツキも、みんな友達だからさ。――良かったら、養い所にも遊びに来てよ! 俺たち、あと一週間ぐらいでここの仕事は終わっちゃうからね」

 パントマは目に涙を浮かべ、微笑んで頷いた。

「はい。絶対に行きます」

 柔らかくて豊かなパントマの表情を見て、ニハマチは幸せな気分に包まれつつ、こう思った。

(やっぱり、芯の強い人だ……。だからこそ不思議なんだ。墓地に俺を連れて行ってくれたあの姿が幻だったというのか。廃墟に着いてからのパントマが、あの時から既に幻覚だったなんて……)

 ニハマチは邪念を振り払うように顔を勢い良く振った。

(駄目だ。これこそ思い込みだ。幻覚を見ていたというんだから、俺の記憶そのものが間違いなんだ。幻を勝手に記憶だと思っているんだから、勘違いしてしまっても仕方がないな)

 ニハマチは自分で自分を納得させ、パントマの悲しみを軽くしてやろうと、彼女に明るく笑いかけた。

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