6. 追跡と接触

 金曜日の夜、僕はウェストポーチに霜月をしまって家を出た。


 そして、ネコテック社の出口を見張っていた。


 となりには美容室があり、通り向かいには古びた蕎麦屋があった。生活感のある郊外の街並みといった場所だ。


 仕事帰りの人々が歩いていく中、僕はじっと、会社の出口を見ていた。空には夏の星が輝き、ぬるい風が吹いている。


 やがて夜の八時すぎに、相原さんが会社から出てきた。


 僕はその背中を追いはじめる。


 相原さんは白いブラウスに、タイトな黒いスカートを穿いていた。髪は少し茶色いショートヘア。耳には銀のピアスが揺れている。


 ――都市で仕事をする退魔師は、ある意味で探偵じみている。特に相手の妖魔が、人間に化けている場合はなおさらだ。


 相原さんは地下鉄に乗って、二駅先で降りた。


 僕は常にその背中を追って歩いた。


 また、その間は『消気ノ術しょうきのじゅつ』を続けなければならない。


 退魔師の気は妖魔から目立つ。だから気配を消し、殺気を消し、空気のように相手を追っていかないといけない。


 長時間に渡って気配を消すのも、散々練習してきた。


 静まり帰った夜道に来たとき、僕は相原さんへの距離を詰め始めた。



「あの、すみません。ちょっといいでしょうか?」


 そうやって僕は話しかける。――自分で言うのもなんだけど、弱そうに見えるだろうから、さほど警戒はされないはずだ。


 相原さんは振り返って、


「え、え? あたし? なんだろ……」


 そう言って目をしばたたく。


 あまりの人間くささに、僕は少し不安になる。それに、いまの相原さんからは妖気が感じられない。向こうも妖気を消したのか。あるいは、妖魔ではなく、ふつうの人間なのか。


 僕は芝居を続ける。退魔師は探偵であり、役者なのだ。


「ちょっと、道に迷ってしまって……。ふだん、こっちのほうに来なくて。駅って、どっちでしょうか……」


 すると、相原さんは笑った。


「え? キミ、高校生だよね。んで、駅? スマホで地図とか見れば?」

「あ、はい。そうですよね。でもちょっと、調子が悪くて」


 そう言って僕はスマートフォンの画面を見せる。偶然ながら、本当に電波の兼ね合いか、地図の調子が悪かった。


「あー。ほんとだね。まあいいや。駅ね。なに? キミ、友達の家に来て、わかんなくなっちゃったとか?」

「はい。そんなとこです」


 と、僕は恥ずかしそうに答える。なんだか自分でも、どこまで演技なのかわからなくなってくる。それに僕は、相原さんの大きな目と活発な笑顔、ブラウスを押し上げる胸元に、ドキドキとしていた。


 いや、違う。そうことじゃなくて。


「うーん。そしたら、あたしがさ、駅まで、行ってあげようか?」


 そこで僕は、目の前の女性が妖魔だと思えなくなってきた。


 本当に妖魔で、人間を騙そうとしているなら、こんなことをするだろうか。


 僕は試す気持ちで、こう答えた。


「ほ、本当ですか? ありがとうございます……。助かります……」

「よっしゃ、行こう!」


 そう言って、相原さんは道を引き返しはじめた。


 僕はその背中を追った。


 そのとき、相原さんは急に立ち止まった。


「あ、駅ならあっちのほうが近いかも……」


 そんなことをつぶやいて。


 そこで僕は、ふいに相原さんの背中にぶつかりそうになった。体をひねってよけようとしたとき、


「あ、ごめんねっ」


 そう言って相原さんは僕の右手を掴んだ。


 そのとき、僕の右手に冷たく痺れた感覚があった。


 ――触れればわかるのだ。相手が妖魔かどうかは。



 僕はぴたりと立ち止まり、相原さんの顔を見た。


 相原さんの目が、ライトのように黄色く光った。


 僕は動けなかった。


 そこで、相原さんは言った。


「え? キミって、何者?」


 僕はしばし硬直し、唾を飲み込んでから答えた。


「退魔師です。あなたを、追ってきた……」


 すると、相原さんは少し笑って、


「ふうん。ってことは、見つかっちゃった、ってことか。うまくいってたのにさ……」


 そう言ってさらに目を輝かせる。


 僕は彼女――猫又の手を振りほどき、後ろに退がった。右手をウェストポーチに走らせ、ついで左手で短刀――霜月の鞘を取る。


 猫又の背後に茶色い二本の尻尾がのぞいた。尻尾は薄暗い中空に、ふらふらと動いていた。頭の両側には髪と一体化したような猫耳。構えた両手には、鋭い爪が光った。


 しばらく猫又は身構えていたが、やがて、


「いや、違うね。そうじゃないんだ。そうじゃ……」


 そう言って、その場で右にくるりとジャンプする。着地するときには、すっかりになっていた。相原さんは腰を屈めて、手を伸ばして、自分のスカートの中に指先を入れた。


 僕はどきりとして、それを見ていた。相原さんはいたずらそうに微笑んで、


「尻尾が出るとね、下着がさっ、ややこしいことになるんだよね。これが……」


 そう言って舌を出す。


 まずい、と僕は思った。完全に相手のペースだ。


 すると、相原さんは、腰に手を当てて言った。


「あたしは、まだやられるわけにはいかない。それに、だれも傷つけてなんていないし。強いて言えば、守ってるんだよね」


 僕は面くらいながらも尋ねる。


「守ってる?」


 相原さんはきっぱりとうなずいて、


「そっ。あたしの飼い主だった、エミの……。相原絵美あいはらえみの代わりにね」

「え? なんだって? 飼い主の、代わりに?」


 そのとき、通行人の足音が近づいてきた。


 すると相原さんは、


「とにかくさ。あたしは、みんなをどうこうするつもりはないから。お願いだから、邪魔しないでね。翠くんっ」


 そう言って左目をぱっとウィンクさせた。そうして背中を向けると、足早に夜道を去っていった。

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