↓第26話 アポの時間はまだですが――

「これで……よし」


 ビリーは端末をタップし、ソルにメッセージを送る。

 ここは羊農場の敷地内。ただし、いつも使っている厩舎からは、遠く離れた場所。

 そこにポツンと置き去りにされたようにある、小さなエサ小屋だ。

 本来は藁などを保管しておく場所だが、舗装された道がなく往来が不便という理由から、今は使われていない。


「…………」


 誰にも見つからず小屋に入ったビリーは、古い干し草の上に腰を下ろし、重いため息を吐く。


「もう少し……もう少しで……」


 呪文のように呟きながら、せわしなく両手の指を絡ませる。

 その指先を羊のダンが舐めた。

 まるで「大丈夫だよ」とでも言い聞かせるように。

 本当はビリーひとりで隠れる予定だったが、こうしてついてきた相棒を放り出すわけにもいかず、この空間で同じ時を過ごしていた。


「ごめんな、こんなことに巻き込んじゃって……」


 白い毛を撫でながら、後悔するように呟く。

 ダンは寄り添って、ただ静かに頭をすりよせた。


「ほんとごめんよ。でも、決心がついたんだ。このままじゃダメだって。もう終わらせるよ」


 頭を撫でるビリーの手が止まり、


「ボクが……殺し、たんだ……」


 まるで懺悔ざんげをするように語りかける。


「目の前で……人を……」


 その手は震えている。

 思い出しているのは大学時代。

 瞳の奥に映る記憶は、真っ赤な炎に包まれる人影。

 眼前には捨てられた白衣と、響きわたる断末魔。

 そして足元には、添えられたネームプレート。


『ダリー・ザーフィル』。


 大学でブラッディティアーの研究を行っていた教授で、ビリーの恩師にあたる人物だ。


「うっ……うう……」


 思い出すだけで気が狂いそうだった。

 ビリーを気遣ってのことか、ダンが再び指を舐める。

 そこでようやく我に返り、現実を確かめるように額の脂汗をぬぐった。


「……ありがとう」


「メェ……」


「ボクは罪を償うよ。すべてを告白して――」


 ガタガタ……。

 背後の扉が不自然に音を立てた。

 ……おかしい。

『約束の時間』はまだのはずだが、クマかオオカミでもやってきたのだろうか?


「? いいかい、静かにしているんだよ」


 ビリーは口元に人差し指を立てて、ダンに合図する。

 ダンはなぜか、扉に近づくのを嫌がっていた。

 そおっと歩みを進め、ビリーは外の気配を窺う。


 …………。


 人だ。

 人の気配がする。


「……えと、まだ約束の時間じゃあ――」


 そう言ってビリーは扉を開けたのだが、首筋に走る痛みと共に逆さまになる視界。

 目線の高さにそよぐ青い草原を認識して、自分が倒れたのだと気づく。

 そのときにはもう意識は薄れ、「メェ!」という相棒の鳴き声だけが、遠く耳の奥で響いていた――

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