↓第24話 パンと謎の研究日誌

 少し時間をさかのぼり、ここは森の中。

 濃密に密集した樹々のせいか、あたりは太陽の光を遮って薄暗い。

 猟銃を手にしたアンヘルは、ビリーを捜してさまよっていた。

 途中、えぐられた樹の幹を指でなぞり感触を確かめる。

 ――まだ新しい。


「近くにいるかもしれませんねぇ……」


 クマを警戒したアンヘルは、気を引き締める。

 こんなところで彼らの夜食になるのはゴメンだ。

 が、そんなことを思った矢先に前方から獣の気配を感じる。

 クマか、あるいはオオカミか。


「…………」


 今日は運が悪いと思いつつ、静かに息をひそめて銃口に意識を集中させる。

 なるべく気配を消して近づいたが、しかしそこにいたのは野獣の類ではない。

 墓石の前に立つ、ネーグルとアルヴァだった。


「……」


 アンヘルは聞き耳を立てたが、会話の内容までは聞き取れない。

 ここはいったん構えを解き、茂みから身を現すことにした。


「――ここで一体なにを?」


 その言葉に二人は振り返る。

 少し警戒した面持ちで、ネーグルは口を開いた。


「これは神父様。食材の調達に森に入ったら、このとおり墓が荒らされていまして」


 そしてキノコの入ったカゴを掲げて見せる。


「ああ、クマの仕業でしょう。死体を掘り返したのかも」


 言いながらアンヘルはしゃがんで、地面に視線を這わす。

 ふと墓石がズレたあとを見つけ、メガネの奥で目を細めた。


「ところで神父様はなにを?」


 アルヴァがそう尋ねる。

 猟銃を持ち直し、アンヘルはこう言った。


「実はビリー君を捜しているんです」


「ビリー様を?」


「はい。一切の連絡がつかず行方不明なんです。どこかで見かけませんでしたか?」


「いえ、わたくしどもは――」


 ネーグルが視線で問うと、アルヴァは無言で首を横に振った。


「……そうですか。もし見かけたら教えてください。イヤな予感がするんです」


「かしこまりました。なにかあればすぐに」


 そう言ってネーグルは、慇懃に一礼を返す。

 アンヘルは踵を返して去ろうとしたのだが、


「――そういえば」


 なにかを思い出したようで、その足を止めた。


「立派なお城ですね」


「?」――唐突な問いかけに、ネーグルとアルヴァは疑問符を浮かべる。


「ああいや、先日焼きたてのパンをお持ちしたのですが、お二人が留守だったもので。迎えてくれたカミールさんが「せっかくだから冷めないうちに」と、食堂へ案内してくれたんです」


「…………」


「パンを食べ終わったあとにお手洗いをお借りしたのですが、外観に負けないくらい内装も立派ですね。おまけに想像以上に広い。うっかり迷ってしまった私は、間違って違う部屋に入ってしまったんですよ」


 話を聞きながら、二人は黙って佇む。


「書庫です。そこにはたくさんの古書が置かれていました」


 それを聞いたネーグルが目を細める。


「著者の名前は『セルジュ・ウェルモンド』。彼は医者のようですが、実に絵がうまい。記載された書籍の内容を、事細かく絵を用いて解説していました」


 さらに彼は、


「ブラッディティアーの研究日誌。『ゼノ・ザーフィル』と弟子の『ハリー・ブロートン』以外に、あのウイルスを研究していた人物がいたとは」


 メガネの位置を直し、視線を二人に向ける。


「なぜあのようなものが? どこで手に入れたんです?」


 少し間を置いて、ネーグルが口を開いた。


「なんということはございません。古くて字の読めない本はそのままにしてあるだけ。昔からあそこにあったものばかりですよ。部屋は換気のため扉を開けるくらいで、注意深く観察したことはありませんでした」


 すると今度はアルヴァが、


「本に興味がおありならお貸しいたします。……もっとも主人の許可が必要ですが」


 丁寧な口調で、そう付け加えた。


「……なるほど。アーカイブに残せれば幸いです。お言葉に甘えて、今度スキャンに伺います」


 アンヘルがそう返答すると、「そのときはシチューをご馳走しますよ」と、ネーグルは再びカゴをかざす。

 アンヘルは軽く息を吐き、こう告げた。


「それでは私はこのへんで。ビリー君を見かけたらご一報ください」


「はい。こちらでも捜してみますので」


 二人は頷きを返し、アンヘルはこの場を去る。

 雲が木漏れ日から注いだ光を隠し、墓地に影が落ちる。

 通り抜ける風が木々をざわつかせ、不気味な沈黙だけがそこに残留した――

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