第7話 健斗が抱えるもの

 健斗が重い体を動かして着替えを済ませる間に、玲は看病の準備を着々と済ませていた。部屋の換気、栄養がありつつ消化に良い料理、薬や熱を冷ますグッズまで考えうる対策が全て整えられていた。まるで自分の家とは思えない周到な環境に健斗は舌を巻いた。


「俺の家にこんなに食材やら薬やらありませんでしたよね!?」

「そうね、君を起こす前に買い出しへ行けて良かったわ」

「えっ、買い出しまで!? 代金を……」

「気にしなくていいわ、私がそうしたかっただけだから」


 玲はあっさりと言うが、玲に用意して貰った物達がテーブルいっぱいに並んでいるのを見ると健斗としてはそうもいかない。思うことが沢山あったけれど、彼の口から出たのは一つの純粋な疑問だった。


「何で、ここまでしてくれるんですか?」


 この問いに、玲は不安げな顔で彼に答えた。


「……君の様子を見に行ったら、寝言で『死んじゃう、助けて』なんて言っていたんだもの。心配にもなるわよ」

「っ! 俺、声に出て……あ」


 健斗は慌てて口を塞ぐがもう遅い。彼の寝言はただのうわ言でなく、本当に自分が苦しんでいたための発言だったことを認めてしまったのである。健斗は観念して、ふうと一息ついてから吐き出すように話を進める。


「……小さい頃、似たような事があったのでそれを思い出していたんです。はは、大の男が情けないですよね」

「ううん、そんな事ないわ」


 自虐気味に吐露する健斗を見て、玲は彼の左手を自分の両手で優しく包み込む。


「泉さ――」

「音無君、以前私に遠慮しないでって言ってくれたわよね?」

「はい、言いました」

「次は君が私に遠慮せず話す番じゃないかしら? ……本当の私を受け止めてくれた君の事を、私が受け止めるから、ね?」

「っ……!」


 玲が包んでくれている彼の左手が、彼女の手を握る。風邪で熱くなっている彼の手と平熱の彼女の手で体温が混ざり合う。彼は意を決して玲と目を合わせて、自分の過去の話を始めた。

 

「…………あの時も、今と似たような症状でした」



 彼の夢は、ほぼ過去の記憶通りに再生されていた。けれど、あの記憶には続きがあったのである。記憶は健斗にとっての苦しい症状がようやく収まった深夜、両親が大急ぎで帰宅してきた場面から再開する。


「健斗! 具合はどうだ!?」

「予定よりも早く切り上げて帰ってこれて良かったわ! 健斗大丈夫!?」


 二人は本当に急いで帰ってきた。ずっと健斗の事を心配していたことが健斗にも伝わった。二人の本気で心配している顔を見た彼は、一日中本当に苦しかったと言いかけて……止めた。


「うん! ねつはもうなくなってたから、つらくなかったよ!」

「そうか……よかった!」

「安心したわ……それでも、一人にしちゃってごめんね健斗」

「うん、もうだいじょうぶ!」


 健斗は、一日中死ぬかもしれないという恐怖と苦しみに耐え続けていた事を言わなかった。言ってしまえば、両親はまた悲しんでしまうと思ったからだ。健斗の言葉を信じて安心した二人の顔を見て、彼は結論づけた。


(そっか。ぼくががまんしちゃえば、みんなかなしくならないんだ)


 彼は幼い時から既にというものを覚えてしまったのだ。こうして健斗が哀しい決意を秘めた所で、彼の話は終わった。



 こうして、自分の悩みも周囲からの頼みも全て抱えてしまう性格な彼、音無健斗になったのである。無言で聞いていた玲の手を握る力が、話が進む度に強くなっていた。

 

「辛いことや面倒な事は、全部自分だけで抱えないといけないんだと思ったんです。ずっとそれでやってこれていたので……」

「だから、私が心配したことに対して過敏に反応していたのね」


 健斗は首肯する。健斗が何かに怯えていたような気がしたという玲の直感は当たっていたのである。


「自分以外の人が不安を抱えているのを見ると、自分が許せなくなるんです」

「……本当に君は、優しすぎるわ」

「い、泉さんっ!?」


 玲は健斗の頭を自分の胸に抱き寄せた。


「もう、独りで抱えなくていいから。君の不安や辛い事、私にも分けて」

「っ!」


 健斗はこれまで心の中に抱え続けていた黒い靄のような物がすっかり消え去っていくような感覚を全身に味わった。あの時の健斗も、本当は両親に不安や苦しさを知って包んで欲しかった。それが今、彼女の慈愛に包まれた事でようやく報われる事となったのである。

 

「そんなことしちゃっても、いいんですか」

「あのね、元はと言えば君が私に言ってくれたのよ? 『俺に遠慮なんかするな!』って」

「そ、そんなに乱暴な言い方しましたっけ?」

「ふふっ。どうだったかしらね?」

「……もしかして俺、揶揄われてます?」

「さあ?」


 玲と頭が密着しているために、健斗はただでさえ体温が高いのに更に上がっていくような気がしていた。彼女も彼の体の熱さを自分の胸に感じている。それでも二人とも離れようという気は全く無かった。抱擁は互いの気が済むまでしばらく続くこととなった。


 その後玲が夜遅くまで看病を続けた甲斐あってか、健斗の熱は下がりもう大丈夫だろうという所まで回復した。『見送りは良いから、また明日ね』と玲が帰っていった後、健斗はスッキリとした気分でそのまま眠りにつくのであった。

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