二日ほど時間が経った。

 ヒバリとレティシアには数人、孤児院にいた時から仲良くしている面々がいた。あの頃は年中組だった彼らも、今では年長組となって家族を率いている。

 ユーマはその中でもヒバリが面倒を見ていた男の子だった。

「それじゃあ、レティシア姉さんがああなってしまったのは、戦争のせいなんスね?」

 顔立ちの良い彼は、日中は本を読んで過ごしている。ヒバリは、遊んでいる中わざわざ呼びかけなくてもいい彼のもとで、最初に話かけることを決めた。本棚に囲まれた少々雰囲気の暗い部屋は、こういう話をするのに適した場所だと思えた。

「ああ、そうだ」

 レティシアのことは院内でも限られた存在しか知らない。それは、レティシアの記憶に登場する人物が限られているということでもあるのだが。

「レティシア姉さんは、どれぐらい現状を把握しているんですか?」

「基地で記憶をインストールして以来、人格がバラバラなんだ。インストールする前は、最初の時は三年前、戦争を知る前のレティシアで……、あの時は過去を知ろうっていう気丈さがあったよ。問題は、インストール直後なんだ。あれは、恐らく戦争の渦中にいるレティシアだった。俺を殺しにかかってきたよ」

「う、うわあ……。兄さんを殺そうとするなんて、相当にヤバいっスね」

「ああ、俺も焦った。それで今は、孤児院にいた頃のレティシアになっている。この状態だと、戦争も知らないし、困ったもんだよ」

「ええ……酷ですね。姉さんは、兄さんと結ばれたことすら知らないんですもんね」

「それはそれで、レティシアが可愛いんだが」

「この嫁バカめ」

「俺は全部を愛しているんだからしょうがないだろ」

「褒めてないですよ」

「……」

「愛があれば、何でもできるって言いますけど、姉さんの方に愛があるかはわかりませんもんね」

「……」

「すいません、すいません! しかし、この問題はレティシアさん自身のことですから。ヒバリ兄さんが関わろうとしても、自分と向き合うのはレティシア姉さんですから」

 そう、ヒバリはレティシアのことをサポートは出来るが、根幹の解決は出来ない。それは、かける労力が何倍であってもだ。

「とすると、今は戦争に関わる記憶を誘発するような言動は避けるべきですよね。しかし、自分がどういう状態か認知させる必要はあるし」

 ユーマは自分のことのように考え込んで、それでも答えが出なくて唸っている。ヒバリも解決となる答えは持ち合わせていなかった。

「戦争、トラウマ。過去。……少し考える事が多いので、また来てもらってもいいスか」

「ああ。頼む」

 本棚に囲まれた部屋の隅で座り込んでいるユーマを置いてヒバリは部屋を出た。

 だいぶ長く話し込んでしまったようで、夕飯の時間になっていた。ロトは孤児院の子たちと遊んでいるだろうが、レティシアをあまり長く一人にしてはいけない。

 ロトは孤児院に友達を作り、溶け込んでいた。

(本来ならここがロトのいるべき場所なんだよな……。ロトが望むなら、ここでさよならかもしれない)

 食堂へ向かう際、ヒバリの視界に不審な姿が映った。すぐに壁に逃げ込まれて姿を隠し見えなくなってしまったが、服装でほぼほぼ判断がついた。

(院長が……。なぜ?)

 ヒバリは視線を感じつつ、一端怪しい動きを泳がせる。

 次の角のところで一瞬虚をついた。

 端末を耳につけた院長の姿がやはり端に映った。

 刹那、ヒバリは引き返して院長を追った。

「院長!」

 ヒバリと同じ、スミノフから貰った端末でひそひそと報告を行っていた。

「なぜ、あなたが」

 その先は言葉に出来なかった。ベラ院長は、ふッ、とヒバリの懐疑心を一笑に付した。

「なぜですって⁉︎ わからないのかしら。あなたならわかるはずでしょう──?」

「いえ、何がなんだか……!」

(情報があまりにも少ない。誰と話していたか確認しないと──!)

「その端末を見せてください。何も操作しないで、こちらに渡してください」

 信頼していたベラ院長であったはずなのになんの感情も湧かずにその言葉が出てくる。ヒバリは冷めた親愛に悲しくなった。

 しかし、そうも言っていられない。ここが完全に敵の手に落ちていたら一刻も早くここから出なきゃならないだから。

「もう一度言います。その端末を俺に渡してください」

 それでも拒むなら力づくで取りあげるのも辞さなかった。ヒバリの、相手を刺す眼光に耐えきれなくなったベラ院長は、渋々端末を手渡した。

(通話相手は……クソ、やはり軍の方か)

 スミノフとの繋がりがあるか確かめたかったが、それ以上ヒバリにはわからなかった。ヒバリは軍の人間ではないため、確かめる術を持たなかった。

「ヒバリくん…………あのね」

 観念するように院長は口を開いた。その口調は、観念というより同情を誘うような口ぶりだったが。

 ヒバリはなんとかして激情を抑え込んでいる。この状況を俯瞰で見て、一番有効活用出来る手立てを考えていた。

 気迷えば、院長をその場で刺し殺しそうだった。今はまだその手段を持ち合わせていないことから実行には移すことなく欲求止まりだったが、レティシアに危険が及ぶ可能性があったら、ヒバリは我慢出来るか自身がない。

 そうは言っても、最愛の人を人ではなくした皇国に対する感情は、今もどこかで渦巻いているのだ。

(そうだ……俺はよくやっている。これ以上邪魔させてやるものか)

「はァ、知っていることを全て話してもらいますよ、院長先生──?」

「わ、わかったわ。そ、そうね……。事の発端は、十年前。皇国が孤児院の資金繰りに頭を悩ませていたことから始まるわ……」

 後ろめたさを押し隠しながら、院長は喋り始めた。庭に繋がるひっそりとした、影の落ちる廊下で、院長は吐いた。

 一言で言うならば、孤児院の裏の顔は兵隊の養成所だった。退院するときの働き口の斡旋はもちろん、徴兵する時は決まって孤児院の人間に白羽の矢が当たった。

「全て、皇国の計算なのよ。ここがなんの為に国立だったのか、ヒバリくんは考えたことある──?」

 ヒバリが新入社員だった頃、「お荷物」と揶揄われたことがある。それは孤児院とは関係のない文脈だったが、その記憶が思い出された。

「ふ、フハハハハハハハ。クソがッ──!!」

 社会に飼い慣らされた僕人。ヒバリの社会で働いていたという感覚が根底から覆される感触に、ヒバリは憤りを覚えた。他ならぬ自分自身に。

「もう御託はいいんですよ……。俺にも、あなたにもね。所詮あなたはその程度の人間だったという訳だ。何が、“教え”だ。子供を、俺の家族を売りやがったくせに。レティシアのことも知ってたんだな?」

 ヒバリは院長を壁に叩きつけた。耳障りの悪い音が、今はとても気持ち良く感じだ。

 裏切った相手の生殺与奪の権を握っていることは、すぐにでも復讐出来ることを意味していた。そんな復讐、何も気持ちよくなりはしないと感じながらも、ヒバリは院長に詰問していった。

「そこまでは……知らなかったのよ」

「本当か? それも嘘だったらただじゃおかないからな。そうなりたくなかったら、言葉を選ぶんだ」

「ええ…………本当よ」

 ヒバリは院長の声音を吟味した後、信頼にたるもだと判断して次の質問へ移った。

「ここは、レティシアの身に危険が及ばない、安全な場所だよな? 軍の人間にどこまで報告した⁉︎」

「私は、ヒバリくんが院で怪しい動きをしていないか探っていただけよ。孤児院はあくまで軍の人間を育てるだけだから、それ以上は軍も介入しないの。それに、レティシアちゃんのことも本当に初めて知ったのよ。軍に行ってしまった子供達のその後は基本的に教えてもらえないから……」

 やるせない怒りが込み上げた。自分たちの生活に軍が大きく関わっていたとなると、この間の襲撃もなんらかの陰謀が働いたと考えてもおかしくはない。

(襲撃も全て軍の仕業なら、どこに隠れればいい……。しかも、レティシアの情報は隠した上で)

「安全かどうか訊いている。お前の口から安全だ、と言え。ただしその発言が誤りであった場合、命がつくぞ」

「安全よ。私の知る限り、安全……」

 どうも信用の置けない言い方をする。他にも何か知っている気がしたが、今は言葉が纏まらない。

(冷静になれ。院長がまた変な素振りを見せたら、その時は殺せばいいだけのこと。そうさ、その時は──)

「ヒバリ、なにやってるの!」

 普段は中で引きこもっているレティシアが、この時に限って外に出ていた。レティシアの前ではどうすることも出来ない。

 ヒバリは、ベラ院長にかけていた力を脱力した。

「説明してよヒバリ」

 ご立腹のレティシアはヒバリの前に立ちはだかる。状況はここで完全に悪化した。

(この状態のレティシアに教えられることなんて何もないだろ)

 ヒバリは心の中で愚痴った。犯行に及んだ末に、一番見られてはいけない相手に見られてしまったのだから。

「レティシア、よく聞いてくれ……」

 何も言わないのは一番良くないと判断したヒバリは、取り繕うように言葉を発した。その先に言うべき言葉はまだ見つかっていない。

「レティシア──」

「何、ちゃんと言いなよ! それにまず言うことは、院長先生に謝ることでしょ! 何があったかわからないけれど」

 ヒバリは仇敵となったベラ院長を睨む。その視線を感じ取ったレティシアにどやされながらも、なんとか思い直して、

「少し、早計でした。すみません」

 形ばかりの謝罪をした。それでレティシアが気を許すかはわからなかったが、しないよりはマシだとヒバリは思った。

「で、説明の方は?」

 安心する間もなく、レティシアは次の言葉を急かした。

「それは、言えない。レティシアには」

 このラインは守るべきだと思った。悪化の一途を辿る状況だが、まだ予防線は張れる──はずだ。

「どうして? 隠し事?」

「そういうわけじゃない。記憶を失っているレティシアには荷が重いって話だよ」

「記憶を失っている? どういうこと?」

「あの子たちを見てみろ。彼らの名前が言えるか?」

 庭で遊んでいる孤児院の子達を見た。その集団の中にはロトの姿もあった。

「──、わからない」

「忘れているのは悪いことじゃない。みんなが、レティシアがちゃんと思い出せるように手伝ってくれるから。でだ、レティシアが今忘れている大事なことで院長先生が過ちを犯してしまったんだ。それで俺は怒っていたんだ」

「そうだったんだ……」

 レティシアは申し訳なさそうに佇んでいる院長先生を見やった。そうなの? と確認するように表情を覗くと、院長はコクコクと頷いた。

 ヒバリはそこで大きく息をした。一安心を覚えると、焦った顔のユーマが駆けつけてきた。

「どうしたんだ、ユーマ」

「どうしたもこうしたも、ないっスよ。レティシア姉さんの悲鳴が聞こえたから、何かあったかと心配して……」

 息を切らして、肩で息をするユーマは日頃の運動不足をここで呪った。キツい……。

「ごめんな、心配させて」

「で、今はどんな状況なんですか」

 ユーマに頼った手前、ここで全てを話すべきかヒバリは逡巡した。しかし、賢い彼なら、とすぐに判断を下した。

「院長が俺たちの黒幕の一人だったということがわかったんだ。だけど、レティシアに院長を問い詰める所を見られて、それが暴力を振っているとこだと思われて、って感じだ」

「なるほど、僕が薄々感じていたことの裏がとれましたね、これで」

(さすが、ユーマ。判断は間違っていなかったか)

 話の理解の速さに、ヒバリは正解を得たと感じた。これで打開策を練れると思考をクリアにする。

 こほん、と一つ咳払いをしてユーマは話を続けた。

「折角、人が触発するような言動は避けるように助言したのに、」

「それはスマン」

「でも、これはいいきっかけかもしれません。僕たちはこれ以上情報を与えずにレティシア姉さんを治せるかもしれない」

「ねえ、もしかしてユーマなの?」

 おかしいと気づいたレティシアが、話を遮った。

「はい、そうですよ姉さん」

 驚いた、とレティシアは言ったきり、口を「お」の形に留まらせている。口が塞がらないレティシアを見てユーマは、

「姉さん、僕のことを覚えててくれてたんですね。嬉しいです。今忘れていることも今なら、思い出せるかもしれませんよ。どうです、他に覚えていることはありませんか」

 ユーマは自分で言ったはずなのに、レティシアを追い込んだ質問をする。ヒバリにもその考えは伝わった。──レティシア自身に思い出させる努力をさせればいいのだ。これは記憶喪失とは違う症状なのだから。

「う、うーん……い、いたっ!」

 首を捻って思い出す努力をレティシアはするものの、その行為自体に痛みを伴うのでなかなか上手くいかない。

 トラウマを押し込んだ記憶喪失を掘り返そうとすると何かが反発するのは当然と言えた。

「大丈夫、僕たちがついてますから。ゆっくり、思い出していきましょう」

 ユーマは、レティシアの両手を取って握った。ヒバリは僅かにピキったが、家族同然のユーマなら許せた。

 庭で遊ぶ子供たちの歓声が強まった。どうやら、鬼ごっこか何かがちょうど終わったところらしい。

 ヒバリは自然とその輪の中の少女を探した。孤児院のメンツの中では年長組に入るだろうロトは自分より小さい男の子に手を出していた。転んでしまった男の子を引っ張ったロトは、ヒバリの視線に気づいた。気づくと、ヒバリに笑みを返した。

 ヒバリはロトに手招きした。レティシアの容体が改善されるかもしれないことを伝えようと思ったのだ。

「何、ヒバリ」

 それが嬉しい知らせであることを感じ取ったのか、単刀直入に聞き出した。

「今、レティシアが過去に向かっているところなんだ」

「思い出せそうなの?」

「それはまだわからない。けど、これがきっかけになればレティシアは元に戻るはずだよ」

 その「元」が、果たして三年前なのか戦時中の意味になるのかは、ヒバリにはわからない。そうならない可能性が一番強いのは、火を見るより明らかだったが。

「ヒバリ、ユーマ、ベラ院長先生、エマ、デュノン……」

 レティシアは訥々とかつての友人を繰り出していた。

「その調子だ」

 少し遠くからヒバリが言った。

「ごめん、これ以上は無理そう」

 レティシアが完全に詰まったのは、当時所属していた家族の名前を全て言い終わったところだった。

「あの子たちのことは……」

 思い出せない、とレティシアは思っていたが、それは違う。なぜなら最初から知らないからだ。

 ユーマは、当時の記憶は完全であると認めると、今度は現在に近い記憶を思い出させようと促した。

 ──が、失敗した。

「何を言っているの? 来年のことなんてわからないよ」

 レティシアの中では、記憶が当時で固まっていたし、時間認識も当時のままだった。だから、未来のことなんてわからない、と返されてしまった。

「これ以上はしょうがないか」

 ユーマが敗北を宣言した。

「聞いた話だと、戦争中の人格があるんスよね?」

 ヒバリに振り返り、そう訊いた。

「そのはずだ」

 その時、孤児院の子達が、空気となった院長先生を見つけてしまい、駆け寄ってきた。

 慌ただしい空気の中、なんとかレティシアを連れ出して、そこで詮索は終わった。

 目下、〈ルシャール〉の基地でヒバリに攻撃をしたレティシアを目覚めさせることがヒバリたちの目標になった。

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