7
出発の日から、三日目。見映えのない山中を登っていく感覚があるだけの乗車時間に疲弊しきった三人は、ちょうど明日の朝に着くといったロヴェインの言葉に期待していた。
山を、軍事拠点に開拓するときに使った道を使って中へ進んでいく。衛星が皇国の夜を照らしているのは、ここでも変わらない。
ロトが真ん中でレティシアの肩に頭を乗せて眠っている。ヒバリもロトに名前で呼んでほしいと伝えたが、その要望はあっけなく断られた。レティシアに内緒で教えてもらった話だと、恥ずかしいらしい。
ロトが、幸福に体が慣れてくると、閉じていた記憶の扉が、少しずつ開いていった。古い扉やきしんだ扉が、開けるときにギイと音を立てるように、記憶を思い返すことはそれなりの痛みを伴うようだった。
ロトについてわかったことが一つ。ロトの記憶が朧げな期間は、およそ四、五年ということがわかった。それを踏まえて、ロトは十四歳くらいの女の子ということになる。体格で判断したのが間違いだった、とヒバリは己の愚かさを呪いつつ、名実ともにレティシアはロトのお姉さん格として関係を構築していることにやすらぎを覚えた。
退廃地区での養育状況が十分であるはずがない。身長が平均より低いのも、そのせいだ。実際の年よりも子供っぽいのは、満足に欲求が解決されなかったからだろう。躾は逆に、行き過ぎている。意思を持たない人間のようだ──と実際にヒバリが思ったほどだ。それもすぐに解決できる。今の環境に身を置けば、とヒバリは数日の間で見せたロトの成長を元にそう思った。
突如、ヒバリの座っている後部座席のずっと後方から、一筋のシュッ、という音が聞こえた。
「後ろに車が……!」
バックミラーを伺ったロヴェインが、そう言う。ちかちかとヘッドライトを光らせて襲ってくる。ロトが目を覚ます。
「どういうことですか? これは!」
ヒバリが、いつもと様子の違うロヴェインにその原因を求めた。
まだ距離はある。こちらもアクセルを踏み、引き離す。
「分かりません。分かりませんが、明らかにこちらに敵意を持っているのは確かですね」
「そうですね!」
ヒバリも激しく同意した。カーブの多い山道はこちらの有利に見えて、危険なデメリットだった。ロヴェインはプロだし、乗車時の安心感は異常だ。それが足を引っ張る。危険な走行など、ロヴェインの意識にちらつくだけで、平常心を失う。大事な人間を乗せている、という意識が人一倍強いのだ。
「もしかしたら、敵国の人間でしょうか」
「あり得るんですか、そんなこと」
「ありえませんよ! 普通は」
普通じゃないことが起こっている。これはイレギュラーなのだとヒバリは理解した。
タイヤを著しくすり減らすブレーキが、何度も繰り返され、ロトが涙を堪える。
かつてないほどの恐怖を感じていた。
後ろから銃弾が飛び、掠る。幸運なことに相手の狙撃力はそこまでのものではない。もし、威力偵察で遊ばれているのなら、未来ヒバリたちの命はないだろう。
戦争はまだ終わって一ヶ月も経っていない。平和に酔いしれた副産物がここで出てしまった。いや、そうではない。戦争は終わったのだ。
暗雲立ち込める状況に、ヒバリは解決策を捻り出す。
ダダダ、と連射が始まる。
「伏せて!」
ロヴェインが声を荒げた。暗いこともあって、ライト以外に依然敵の姿は視認出来ない。通常車なのか、軍用車なのか、それすらもわからないまま、恐怖を煽られる。
「このまま逃げ切れますか!」
リアガラスが被弾し、窓に放射状のヒビが入る。
運転手に命あることが三人の命運を決定づけるこの状況で、ロヴェインが落ち着くことが先決だった。
そんな時、レティシアがヒバリの右肩をぽんぽんと叩いた。
堅く、締まった表情をヒバリが捉えた時、レティシアの考えをヒバリは察した。
レティシアは軍では兵器なのだ。しかしこの場にいる人間の誰も、レティシアの扱いがわからない。人型兵器の存在なんて、この世界では初めてのことだから。
「博士に!」
「繋がるか?」
「いいからして!」
ヒバリは軍でもらった連絡用スマートデバイスを取り出し、事前に登録されていたスミノフの番号へ掛けた。
「もしもし! あの!」
二度のコールの後、眠そうな声のスミノフが電話に出る。ヒバリの声の圧に押されて、すぐにスミノフは話の先を促した。
「なに、緊急事態かね?」
「はい、拠点にもうすぐのところで、どこの誰かもわからない敵に攻撃されています。このままだと、全員死んでしまう状況です!」
「──で、レティシアくんをどうにかしたいと?」
「レティシアが戦争で戦っていた方法を教えてくださいませんか……!」
スミノフはそこで思案した。デバイス越しの通信状況は悪く、聞き取れないこともあった。銃撃が鳴り響き、ヒバリの声はところどころ不明瞭だった。しかし、それが思案の原因だったわけではない。
──ここでレティシアを使える状態にしてしまうか、悩んでいた。
「わかった。レティシアくんの左手首に内蔵されている小型のロックキーは、君が今電話しているそのデバイスと共鳴関係にある。通話が終わったら、手首の上にこれを置いてくれ。そうすれば、左手首から上の部分が使えるはずだ。兵器としてね」
ヒバリはその言葉を一度呑み込むが、いまいち理解できない。とりあえず、わかったとだけヒバリに言う。
「操作アクションは、敵に目掛けて──ばん、だ」
「え?」
「ばん、と発声するんだよ」
「それだけ? ですか」
「それだけだ。なにせ、レティシアくんは人型の攻撃マシーンだからね。あとは、脳に埋め込まれたAIがやってくれるはずだ」
スミノフの発言に、ぞくりとする。こんなの人間のやっていいことじゃない。
いつの間にか通話が切れている。プー、と呼びかけには答えてくれない陳腐な音が耳元で流れていた。
「ティア!」
「うん」
左手首をヒバリに見せて、スミノフに言われた通りにまずは試してみる。
『解除パターン:登録名レティシアの指紋を押してください』
レティシアは右手の親指でデバイスを押した。すると、デバイスが震え次にレティシアの手首から小さく赤外線が光った。
「え? これ、何?」
「どうした?」
ヒバリは心配を全面に押し出して、レティシアを慮る。
「ううん。大丈夫。見え方が変わっただけ」
「見え方?」
レティシアの脳内では、同調した攻撃AIが喋っている。視界は一時緑色に変色し、攻撃対象認識用のスコープが浮かんでいる。
起動時ということもあって、まだ操作感はおぼつかないが、音声ガイダンスで今置かれている現状を逐一教えてくれる。
レティシアは、シートと向かい合いに座り、窓から顔を出した。
ヒバリはもう、レティシアという手段に縋る他なかった。頼む、とロトを抱き寄せて祈っているだけ……。
「ばん」
例の合言葉をレティシアが発したのを聞いて、ヒバリは顔をあげた。おまじないのような言葉ひとつで、何か変わると信じ切れなかった。しかし、それで事はいい方向へと動いた。
「だめだ、一発じゃ……」
レティシアの左手人差し指からピストルの弾が発射されているわけじゃない。実弾は装填されていない上に、何を攻撃手段にしているのかわからない。
「ばん、ばん、ばん」
(このままではレティシアが死んでしまう)
スミノフの言っていたことは失敗したのだ。ヒバリは、現実をそう捉え、レティシアに戻るように促した。
「いいの。まだやれる」
「でも……!」
ヒバリの悲痛な叫びをレティシアは聞き入れようとしない。一寸先は闇、の状態から依然変化はない。
「ばん、ばん!」
今ここで子供遊びをしているわけではない、というのに──。
「ヒバリ様、私の方から確認する限り、追手の攻撃は緩んでます」
「は? 本当ですか?」
「レティシア様の攻撃が効いていると思われます」
(まじか……!)
この馬鹿げた状況に、一筋の光が差し込んだ。時刻は午前三時を回っている。耳を澄ますと、発砲音が止んでいる。
「ヒバリくん、ヒバリくん」
ハァハァと息を切らしたレティシアが、汗を垂らしながら顔を見せた。
「消耗が激しいの。ちょっとやばいかも」
「レティシ姉さん。大丈夫?」
「うん、平気だよ、ロト。……それでね、ヒバリくん。お願いがあるの」
「なんだ?」
ここに来て、わざわざ頼み込むような姿勢を見せられるとヒバリは悪い方に勘繰ってしまう。レティシアのお願いなら、なんだって聞くというのに。
「左手にはもう一つ武装解除のロックがあるらしくてね。それを頼みたいの」
要は、左手をデバイスと共鳴して、また戦いに行きたいということだった。スミノフが言うに、レティシアの体は日常的な食事をすることで稼働している。それは、あくまで日常分野で体を動かすなら、それで足りるという話で、戦闘時には一種のガス欠に陥るのだろう。
「……わかった」
エネルギーが枯渇した先には何が待っている? ヒバリにはそれがわからない。けれど、今最愛の人が体を張っているというのに自分がわがままを言ってどうする? それ以外に考えでもあるわけでもないのに。ヒバリはそこまで馬鹿ではなかった。
もとより、レティシアのお願いは全て承服すると決めている。
ピピピ、と機械音が鳴る。それは紛れもなくレティシアからのものだった。
ヒバリがスマートデバイスを操る。デバイス自体のロックはヒバリの指紋に依拠していた。
やり方は一回目と変わらない。左手首にデバイスを載せて、レティシアの指紋──識別センサ──を認証させる。これだけで、レティシアは得体のしれない兵器に化ける。
「レティシアお姉ちゃん。頑張って……」
肩で息をしていたレティシアが、ロトの応援に反応する。呼吸を整え、
「ありがとう。みんなを守るからね」
窓枠から身を乗り出して、追手の排除へ移行した。敵方はヘッドライトを消したのか、ヒバリの目からは確認できない。それが、レティシアには見えているらしい。
向かっている先は第一次軍事拠点だ。泣きつくにはずいぶんと頼りがいのある場所だ。しかし、敵がもし単体ではなく複数であった場合、ヒバリたちは敵を誘導したことになる。それは避けねばならぬことで、つまり排除しなければならない。
レティシアが大きく息を吸う。
人差し指で攻撃をしていたレティシアが、親指以外も添える。拳銃を模した四本指に、命が懸かっている。
「ず、ばーーん」
解除した武器は擲弾発射機だった。追手との距離をぐんと開ける。次いで、レティシアは、構えていた手を二本指に変えた。
「ばん、ばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」
早口言葉のように繰り出された言葉は、一切噛むことはなく、攻撃を終えた。連射銃の如き見えない弾が、暗がりに紛れる敵に当たっていく。
「二台潰したよ」
なんでもないことのようにレティシアが言い、ヒバリはこれ以上のない頼もしさを覚える。
「敵はあとどれくらいだ?」
疲れ切ったレティシアに休みなどないとでも言うように、ヒバリがぶつけた。
「……あと一台」
刹那、パチンと何かに被弾した。ヒバリは少しの浮遊感を覚える。
ロヴェインがハンドルを慌ただしく切った。
「パンクです! やられました」
左後ろのタイヤが被弾し、ロトの体重がヒバリにのしかかる。いかに身軽な少女といえどもバランスを崩したヒバリは、局所的な重圧に歯を食いしばった。
流石のロヴェインも逃走しながらパンク車の運転をしたことはない。次にかかるカーブで、車体はガードレールの方へ逸れていった。
強い衝撃があった。ガードレールを突き破り、車体は転落する。
今まで経験したことのないような衝撃に、意識を失う。三人とも、それは同じだった。
煤黒い煙が出ていた。息を吸うと、肺が活動を拒絶する、それに加えて痛みがあった。
ヒバリは目を開けると、自然とレティシアを探した。半ば本能的に、さっきまで話していた少女の存在を捜し求める。しかし体の慢性的な痛みが、それを拒んだ。
傍らにはロトがいた。ぎゅっとヒバリに抱きついて、衝撃を殺したらしい。痛みの原因の一つは、ロトだった。
車内に残るのは、二人とロヴェインだけだった。幸運か否か、気絶から回復したのはヒバリだけだった。
「──私を許してね」
囁かれたレティシアの言葉が離れない。それほど鮮明に残っているのは、三年前別れを告げた時に、気丈にも言ったレティシアの言葉以来だ。
ヒバリは頭を掻きむしる。車から出て、レティシアはどこかと呻いた。
(許す? どういうことだよ、ティア……)
不正解だと考える言葉の答えが、現実味を増して来てヒバリは発狂する。
「あ! ……あぁ、ぁぁぁ──。ああああああ!」
ボンネットから出ている煙に視界が遮られる。午前四時。闇は弱まってきているものの、今もなお視界の先は何も見えない。目が慣れるには、まだかかる。
「ヒバリ……」
レティシアの声だ、とヒバリが感じるより早く思ったのは、ただ聞き慣れていたからだけではないだろう。求めるより先に、求めたのだ。
「──ティア……!」
声の行き先へ這いつくばう。彼女の名前を呼ぶ声も、掠れてもはや声になっていないほどだ。それでも聴こえているのは、二人が繋がっているから。
「なんとか助けられたよね、ヒバリくん」
右腕を無くしたレティシアは、はじめ腕をなくしたことに気づかないほど損壊してぼろぼろになっていた。
「……ああ」
レティシアのボディはつなぎ目を失い、放電している。ビリッ、ビリッ、と首の皮一枚で繋がっている隙間から電気が走る。
「こんな私でも愛してくれる?」
「勿論だ。愛している」
体に電気が走っている──今まで隠してきた中身を知られても、ヒバリはそう言ってくれた。レティシアはそれで十分なはずだった。
レティアシアの損傷は、自らの顔を守るためにあったと言っても良い。多少、顔の怪我を無視すれば、もう少し酷くはなかっただろう。
レティシアは、ヒバリの愛するその顔を命がけで守ったのだ──。
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