12-① 黒妃戦(前)

まさか私が朱妃様ばかりか白妃様までもを降すとは、誰も想像していなかったに違いない。観客達のどよめきは大きく、ざわめき程度の大きさになってもなおも鎮まる気配はない。


――まあ、それはそうよね。


朱妃様も白妃様も、四大貴族たる夏家、秋家が誇る、最高峰の創牌師そうはいしだ。そして朱妃様の護牌官たる煉鵬様、護牌官をもたない白妃様、どちらもその神牌しんはいの扱いについては、これまたこの五星国においてもやはり最高峰の位置にいらっしゃる御仁である。

そんなお方達を相手に、護牌官も持たない、平民上がりの得体の知れないはぐれ創牌師そうはいしが、勝利を収めただなんて、にわかには信じがたいことだろう。

とはいえ私が勝利したことは確固たる事実であって、今更覆るものではない。

さあ、次だ。私の戦いはまだ、終わってはいない。先ほどから……いいや、この鍛錬場において私が姿を見せた時から、この身に突き刺さってくる視線がある。冷たく凍えるような、たやすく鋼すらも貫いてしまうつららのような、恐ろしいほど鋭い視線。視線だけで相手が殺せるというのならば、私はとっくに絶命していたに違いないと断じれるような視線だ。

あえてそちらを見ないようにしていたけれど、ここまで来るとそうも言ってはいられない。覚悟を決めてそちらへと視線を巡らせる。想定以上の憎悪に満ちた黒瞳と、ばっちり目が合った。ぞっと一気に身体が冷えた気がしてぶるりと身体を震わせる私の耳に、審判である将軍の号令が届く。


「第三戦。黒妃、とう雪凛せつりん様」


その言葉とともに、護牌官たる兄君、氷雅ひょうが様に手を取られて黒の天幕から歩み出てきた可憐なる黒の姫君。そのはかなげな容貌にはてんで似つかわしくない、心も身体も何もかも凍てつかせるような憎しみを黒い瞳に宿し、私を見つめる彼女の姿に、ごくりと息を呑む。

朱妃様、白妃様を相手取ったときとは異なる、ある意味ではもっとも恐怖を感じさせてくださるお相手だ。彼女の瞳に宿る憎悪、そしてそこから導き出される殺意に、手に持ったままの絵筆をぎゅっと握り締める。


――どれだけ恐ろしい相手だとしても。

――私は、負けられない。

――私は、勝つためにここにいる。


そう自らを奮い立たせると同時に、銅鑼の音が響き渡る。黒妃様との香煙牌こうえんはいの開始が、いよいよ告げられた。

いざ絵筆をまっさらな神牌しんはいに滑らせ始める私の耳に、粉雪のようにはかなく、ささやかでありながらも魅入られずにはいられない魅力に満ちた、そして同時にだからこそ何よりも冷たくすべてを真白の中に飲み込むような、底知れない凄みを帯びた声が届く。


「……キズモノの醜女しこめ、ではなかったことは、認めてさしあげてよ」


でも、と、早くも数枚の神牌しんはいを描き終えてピッと絵筆を最後にはね上げた黒妃様は、私を凍えるまなざしでにらみ据え、そしてぞっとするような笑みを浮かべた。


「でも、だからといって陛下に自分がふさわしいなどと勘違いするだなんて……本当に美しさというものは、容姿ばかりではなく、精神にも通じるものであるということを、わたくしが教えてさしあげますわ。ね、氷雅ひょうがお兄様。わたくしのお願いを叶えてくださいませ」

「ああ、もちろんだとも。我が愛しの妹姫の意のままに」


黒妃様の雪のように白い手が差し出した神牌しんはいを、これ以上なくうやうやしく受け取った氷雅ひょうが様は、こちらへと視線を向け、黒妃様の美貌によく似た、それでいてはかなさをまとう彼女にはない狡猾なしたたかさをあらわにしたかんばせに、にやりと笑みを浮かべる。


かい宝珠ほうじゅだっけ? お前には悪いが、俺のかわいい雪凛せつりんのお願いだ。せいぜい苦しんで死んでくれ――――というわけで、来来ライライ


その言葉とともに、彼の手の神牌しんはいから神牌しんはいが放たれる。私の神牌しんはいはまだ完成していない。となると、普通に物理で何が来ようともよけるしかない、のだけれども!

氷雅ひょうが様のこの言いぶり、嫌な予感しかしない。何が来るかと身構える間もなく、私の頭上に暗雲が立ち込める。そう、限定的に召喚された、分厚く暗い雲だ。

神牌しんはいを描き続ける、という選択肢は選べなかった。本能的かつ直感的な、「これはまずい」という確信に従って、私はその場から飛びずさる。

その次の瞬間、ざあっとつい一瞬前まで私が立っていた場所に、ざあっと強烈な雨が降り注いだ。同時に耳朶に届くのは、じゅうううううううっと地面が灼ける音。ひ、と、思わず口から悲鳴がこぼれそうになった。


――強酸の雨だなんて!


あれを浴びていたら、全身を灼かれて地面に崩れ落ち転げまわる羽目になっていたに違いない。しょ、初手でここまで残酷な手段を選ぶのかこの兄妹!


「なんだ、避けたか。その分不相応な衣装から溶かしてやろうと思ったのにな」

「まあ氷雅ひょうがお兄様ったら。ちゃんと衣装だけでなく肌まで……いいえ、肉までちゃぁんと灼いてくださいませんと」

「うんうん、ごめんな雪凛せつりん。下町育ちのドブネズミのすばしっこさを舐めてた兄様が悪かったよ」


わあああああなんという会話を……。見目麗しい兄妹の微笑ましい歓談、というにはあまりにもおっそろしい会話である。すごいな、あの会話を素でやってるのかあのお二人。周囲の観客の皆様もさぞかしドン引きして……ないな、ぜんぜん引いてない。むしろ美しいものには棘がある、冷たいからこそより魅力的、だなんて方向性で、うっとり二人のやりとりに見惚れている方々ばかりだ。


――その棘の切っ先を向けられている私としては冗談ではないんですけども!


盛大に顔を引きつらせながら再び絵筆を動かし始めても、それを続けられたのはほんのわずかな間だけだった。「来来ライライ」と容赦なく氷雅ひょうが様は神牌しんはいを扱い、同時に黒妃様も次々と神牌しんはいを作り続け、私を狙った氷の矢が降り注ぐ。


「っ来来ライライ!」


これは、今描いている神牌しんはいを完成させられるまで待ってくれそうにない。ならば、と、別の新しい神牌しんはいに手早く絵筆を滑らせて宙へと放つ。

呼び出されたのは、金の属性をまとう大きな盾を持つ、美しき戦乙女。彼女は攻撃の手段は持たないけれど、そのかわりにとびぬけて優秀な防御能力を宿す精霊だ。見事な装飾がほどこされた大きな盾で私を庇ってくれる彼女に感謝しつつ、改めて途中になっていた神牌しんはいの続きを描き始める。

これでしばらくはもってくれれば……と願いつつ、とにかく全身全霊を懸けてできうる限りの速度で絵筆を動かし続ける。完成にはまだ時間がかかるけれど、流石にこの戦乙女の盾、そうそう簡単に打ち砕かれることはないはずだ――という私の予測は、次の瞬間、その盾が砕け散り、戦乙女が悲鳴を上げてかき消されたことによって見事なまでに打ち砕かれた。

盾によって影が落とされていた視界が唐突に明るくなり、へ? とうっかり間抜けな声を上げる私の上に落ちる新たな影。それが、氷で作られた巨大な槌であると理解するよりも先に、転がるようにその場からなんとか逃れる。

はは、と、耳朶を打つ笑い声。振り下ろした巨大な槌を軽々と担ぎ直し、氷雅ひょうが様が得意げに笑っており、さらにその向こうで、黒妃様がくすくすと錫を転がすように笑う。


「その程度の防御神牌しんはい、わたくしの神牌しんはいの前では薄紙も同じだと、その足りない頭でもご理解いただけたかしら?」

雪凛せつりんが一番得手とするのは、氷による武具作成だ。だからこそ俺は雪凛せつりんが作るどんな武具でも扱えるように訓練してきた。この槌も立派なもんだろう? ははっ、挽肉にしてやろうと思ったのにな」


残念、と続ける氷雅ひょうが様に、ええ本当に、とおっとりと頷く黒妃様。まあなんて仲がよろしいご兄妹ですこと、その会話の内容はやはり恐ろしい以外の何物でもないですが!

なるほど武具作成が一番お得意でいらっしゃるのか、とありがたい有益な情報を頭に入れつつ、作りかけの神牌しんはいにまた筆を入れる。まだ、まだ完成には遠い。

それでももちろん黒妃様方が待ってくださるわけもなく、今度は氷の弓を召喚した氷雅ひょうが様が、その弦を引く。矢はつがえられていない。けれど次に私の身に何が起こるかくらい、容易に想像がついた。


「~~っ来来ライライ!」


――ざああああああああああああああああああっ!!


すさまじい音が鍛錬場に響き渡った。

先ほど私を狙ってきた氷の矢とは比べ物にならないほど数の、すさまじい量の水しぶきの矢が、豪雨のように降り注ぐ。

氷雅ひょうが様の氷の弓によって喚ばれたそれらは、一本一本が針のように細く鋭い。もしもそれらに全身を貫かれたら、だなんて、考えるのも恐ろしい。ものすごく痛い、どころの騒ぎでは済まないだろう。

つくづく残酷な手段を選んでくださるものだと、改めて身体に震えが走る。

ギリギリ描き上げた木の氣を宿す傘でなんとかしのぎ切ったものの、間に合わせの筆の神牌しんはいは、それだけでもう限界を迎えて破壊されてしまった。

しのぎ切った、とは言いつつ、それは本当にかろうじてで、既に身体のあちこちには裂傷が走っている。けれどその痛みにもだえることも、力を貸してくれた神牌しんはいが破壊されて悔やむことも惜しむことも、今はすべきことではない。

構わずに再び途中描きの神牌しんはいに絵筆を乗せる私を、小馬鹿にするように黒妃様が黒瞳をすがめて、そのたおやかな手にある絵筆を唇へと寄せた。


「本当にしぶといこと。せめて最期くらい潔く散ってみせればいいのに……」


つくづく呆れ果てたと言わんばかりの口ぶりだ。いやそうは言われましても、と思いつつもなおも絵筆を滑らせ続ける私をちらりと一瞥した氷雅ひょうが様が、彼女の頭をそっと優しく撫でる。


「そう言ってやんなよ、雪凛せつりん。生きるためにあがくのは悪いことじゃないだろ?」

「まあ! 酷いわ、氷雅ひょうがお兄様。あの女の味方をなさるの?」

「それこそまさかだって。ただ、お前にとっての俺みたいな存在もなしにここまで持ちこたえてる女に、少しくらい敬意を払ってやってもいいかと思ってさ」

「~~~~酷い、酷いわ! 氷雅ひょうがお兄様が敬意を払うべきは、わたくしだけでしょう!?」

「悪い悪い。許しておくれ、俺のかわいい最高の姫君。さあ俺に次の武器を授けてくれ」

「……あの女をちゃんと殺してくれたら、許してさしあげる。さあ氷雅ひょうがお兄様、どうぞ、受け取って」


新たな神牌しんはいが、黒妃様の手から、氷雅ひょうが様の手へと渡る。そうして「来来ライライ」と唱えた彼の手に現れたるは、今度は長いつららの三叉槍だ。ひゅんっと宙を切ってそれを構えた氷雅ひょうが様が、ダンッと地を蹴る。

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