第10話 また会う日まで(エピローグ)

「──わたくしは猿渡さるわたりくんとは本が好きというきっかけで店内で知り合ったお友達のような関係でした。不妊症の身ながら、子宝に恵まれなかったわたくしには息子のようなものでした」

「……澄香すみかさん」


 ──澄香さんの夫、篤郎あつろうが捕まってから三日後。

 俺は澄香さんに電話で呼ばれて、例の紀伊国堂きのくにどう書店の休憩室に居た。

 一緒に来た愛理あいりは『湿っぽい話ならパス』と隣の空き部屋に行き、イヤホンを付けてスマホゲームに熱中している。


 一応、事件現場でもあり、江戸川えどがわ警部にもLINA通話で伝えたが、勝負事の約束通り、生意気で高飛車な言い方もせず、棒読みで『イイでしょう』とあっさりと承諾。


 そんなこんなで澄香さんとこうして対面で会話ができるのだが、江戸川警部にちょっと悪いことしたかなと、罪悪感を覚えたりもする……。


「あの人は何か誤解をしてたみたいですが、猿渡くんとは肉体関係はありませんでした。本当にただのお話し相手の友達です」

「はい、二度も言わずとも分かっています。あれだけ篤郎さんに厳しく当たっていたのも仕事を早く覚えてもらい、晴れて篤郎さんを店長にするためですよね」


 青い割烹着を着た澄香さんが優しく笑いかける。

 毎日連れ添っていた亭主と離れ、空白の三日という時が流れて、心の整理がついたのか。

 篤郎の割烹着を着けているのが何よりの証拠だ。


「フフッ。流石さすが、探偵さんだけのことはありますね。初めはどこぞのモグリかと思っていましたけど」

「それはちょっと言い方キツすぎません?」

「フフフッ。人生勉強の一環と思えば」


 澄香さんも愛理と同じで毒舌なんだなと感じながら、差し入れの缶コーヒーを手渡し、両者してプルタブを開ける。

 カコンと音がなり、濃厚な豆の香りがモヤがかかった頭を刺激する。

 徹夜明けのコーヒーほど美味い飲み物はないぜ。


「ねえ、龍之助りゅうのすけ。いつまで話してるの。タクシー来ちゃうよ」  

「ああ、ごめん」

「それと忘れ物ー!」


 長袖の水玉ブラウスに黒いチノパン姿というラフな服装の愛理が、白いショルダーバッグを肩にかけて、俺に向けて細長い棒を投げてくる。


「おっし!」


 それをしかと受け取り、棒を包んだ銀色のパッケージに目をやる。


 大豆プロテインバーか。

 バタバタで朝飯食わずに来たし、ちょうどいい。


 大豆は体にも良いし、不足しがちなタンパク質などの栄養価も高い。

 長年のパートナーだけあり、愛理もよーく分かってるじゃんか。


「それでは澄香さん、これにて今回の任務は終了しました。お支払いはお伝えした銀行口座に」

「ええ。篤郎に変わり、たんまりと振り込んでおくわね」

「いえ、それも困りますので、俺の話した通りの金額でお願いします」

「もう、探偵の生業なりわいのわりには律儀なんだから」


 律儀というか、法外な金額の請求は国に知れたら大ごとになるからな。

 そうなったら高額な税金納税のオンパレードだ。


「龍之助、ナンパはいいから、さっさと来なさい!」

「イデデ、耳を引っ張らないで!」

「そのための耳でしょ」

「いや、取っ手じゃないからな!?」


 愛理が俺の耳を掴んで、澄香さんに頭を下げると澄香さんは『ほんと仲が良いのね』と温かく見守って……いや、じっと見てないで助けてくれよ!?


「それじゃ、澄香さん、お疲れ様でした。当店をご利用いただき、誠にありがとうございました」

「ええ、お疲れ様。達者でね」

「また何かありましたら、当店までご連絡をください。それでは」


 俺は無事に釈放された耳を擦りながら、愛理と共に澄香さんに別れを告げた──。


****


「──何か、鼻歌なんて歌って、随分ずいぶんと楽しそうね」

「まあな、初めて纏まったお金が手に入るからな。たまには高級和牛のすき焼きとかどうだ?」

「作るのは私なんだけどね」

「是非ともよろしくお願いします……」


 すき焼きは大好きだが、割り下の作り加減がガチで分からず、今だけ天使に見える愛理に心から頼み込む。

 俺がやると醤油を入れすぎて、めっちゃ塩辛になるんだよな……。


「そこは普通に手伝うじゃないわけ? 

はあ……この分じゃ、ろくな亭主にならないわね」

「えっ、冷酒がなんだって?」

「違うわよ!」


 俺と愛理は街外れの夕暮れを背にして、様々な意見を交わす。

 きっと篤郎さんも澄香さんも、同じ空の下で、末永く想い合ってることを心から願いながら……。


 ──CASE01 紀伊国堂書店万引き事件 完──。


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