10 夜の散歩道
スマホの地図アプリでコンビニの位置を確認して、そちらを目指す。
旅館から徒歩五分のところにあるというから、ちょっとした散歩だ。
雨上がりの夜の道は、土と草の匂いに包まれていた。
山が近いからか、地元の方よりも夜は涼しい気がする。
どこからか、夏の夜の虫の音が聞こえてきた。
ふと、小学生の頃、夏休みに、玲司とホタルを見に行った時の思い出がよみがえってくる。
親戚のおじさんに、家の近くにある郷土資料館の敷地内で、子供たちにホタルを見せるための催しがあるから来い、と言われたのだ。
当時、小夜子はまだ赤ちゃんで、玲司のお母さんはその世話で大変そうだったから、俺と玲司の二人だけで電車を乗り継いでいくことになった。
場所は都内だったが、山に近い地域で、電車で一時間以上かかった。
子供だけで電車に乗るのははじめてで、おっかなびっくりだった俺に対し、玲司はとても落ち着いていて、乗り換えの時も実にてきぱきと俺を導いてくれた。
玲司はあまり子供らしくない子供だった。
同年代の誰よりも大人びていて、誰かが喧嘩していたら、そっと仲裁に入る。
大人みたいな言葉を使うけど嫌味さはなく、自然と誰からも慕われていた。
しかし、大勢でわいわいするのはあまり好きではないらしく、気づくと目立たないところで一人で本を読んでいた。
俺は昔、玲司のことが苦手だった。
従兄弟同士で、同級生で、同じクラスで。なにかと顔を合わせる機会は多いけど、掴みどころのない、よくわからないやつだと思っていたのだ。
それに、『志岐って玲司くんの従兄弟なの? ほんとに? 全然似てないけど』と同級生に言われることが多く、そのたびに複雑な気持ちになっていたというのもある。
電車の中で会話に困ったらどうしよう、と俺はひそかに心配していたのだが、玲司は電車の中でほとんど、ずっと黙って本を読んでいた。
なんとなく話しかけられないまましばらくぼんやりと窓の外を眺めていた俺だったが、ふと、玲司が読んでいた本をちらりと見たら、黒い幼虫の目玉が黄色く光っているような写真があった。
『なに、それ? 目が光ってんの?』
その異様さを無視することはできず、思わず話しかけてしまった。
顔を上げた玲司は、まっすぐにこちらを見てきた。
『ホタルの幼虫だよ』
『ホタル? ホタルって、幼虫の時から光るのか?』
『うん。卵の時から光るよ』
『えっ? ほんとに!?』
そんなことは初耳だった俺は、思わず大きい声をあげてしまった。
近くにいた大人が振り向いたので、慌てて掌で口元を押さえると、玲司はクスリと笑った。
『見てみる?』
『うん』
好奇心にはあらがえず、二人で同じ本を覗き込んだ。
玲司は、俺にも見やすいように、位置を調整してくれた。
『これがホタルの卵だよ』
『へぇー、こんなちっちゃいのに光るんだな』
『成虫が光るのは求愛のためって言われてるけど、卵の時から光るのは、敵への警告のためらしいよ』
『目立ったら逆に危険なんじゃないのか?』
『ホタルは体に有毒な物質を含んでいるらしいから、それを相手に知らせて食べられないようにするためじゃないかな。ほら、毒蜘蛛だって黄色とか赤とか、派手な色が入ってるやつが多いだろう?』
『確かに』
『ちなみに、蛍の幼虫の光ってる部分はお尻で、目じゃないよ』
『えっ、そうなんだ!? てっきり目かと思った!』
黒っぽいギザギザの体に、妖しく光る二つの点。
それは、アニメに出てくる赤い目をした芋虫の化け物を連想させる姿だった。
まさか、頭と尻が逆だったとは。
目をパチクリさせた俺に、玲司はさらに説明を続けた。
『ホタルのお尻……正確にはお尻に近い部分にはルシフェリンっていう発光する物質と、発光を助けるルシフェラーゼっていう酵素が入ってて、それがホタルの体内の酸素と反応して光を出すんだ』
『ルシ……え、なに?』
聞き取れなくて、俺は首をひねった。
当時の俺はまだ小学二年生とかそこらで、そんな難しいことを言われてもすぐに頭に入ってはこなかった。いや、玲司だって同い年だったのだが。
『…………ホタル、好きなの?』
正直なところ、ホタルがどういう原理で光っているかよりも、玲司が饒舌にホタルのことを語っている理由の方が俺の興味を引いた。
『いや、別に』
『別に!?』
電車の中でじっくりとホタルの専門書を読み込んでいたのに?
予想外の答えに、俺はびっくりした。
『なにも知らないで本物のホタルを見るより、知ってから見た方がおもしろいかと思って』
『……そのためにわざわざホタルの本を買ってきたの?』
『いや、図書館から借りてきたんだ。ほら』
表紙を見せられると、確かに近所の図書館の名前とバーコードが貼り付けられていた。
『家の本棚に入る本には限りがあるから、図書館で借りられる本は借りてすませるようにしてるんだ。気に入ったら、お小遣いで買うこともあるけど』
『へぇ……』
お小遣いで本を買う。まず、俺にはその習慣がなかった。
漫画はたまに母親から借りて眺めることがあるが、まだ読めない漢字が多く、すぐに放り出してしまう。
お小遣いで買うものといったら、もっぱらお菓子やおもちゃの類いだった。
『本を読むのってめんどくさくない?』
『どうして? おもしろいよ』
『漢字ばっかりだし、ふりがながふってあっても、小さくて読みづらいし』
『わからない漢字があったら、調べて覚えればいい』
うん、その通りだ。ものすごく正論である。そういう優等生的なところが、玲司のことを苦手に思う一因でもあった。
『どうせ大人になったら覚えなきゃいけないんだから、早いうちに覚えておいた方が楽だと思わないか?』
子供だから無理でも仕方ない、大人になったら本ぐらい普通に読めるようになるだろう、と思っていた俺とは真逆の考え方だった。
『……玲司は、頭がよくなりたくて本を読んでるんじゃないのか?』
『頭がいい、頭がよくない、っていうのは結果論、あるいは客観的評価の話だろう? 僕はただ、知らないことを知りたいだけだ』
やっぱりよくわからないやつだ、と思った。
そのあとも会話は続いたはずだが、詳細は覚えていない。
ただ、ようやく辿り着いた見知らぬ土地で、本物のホタルを目の当たりにした玲司が子供のように目を輝かせていた光景は今でもよく覚えている。
子供みたいもなにも子供そのものなのだが、子供らしい無邪気な表情を玲司が俺の前で見せたのは、その時がはじめてだった。
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