あいこさんの相続人
早時期仮名子 1/19文フリ京都出店
#1 サンシャイン日本海
「ネットプリント 写真」
検索結果には、おれの望んだ通りの結果が表示されてはいるけれど、まるで、医学学会後の飛行機内で「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」と投げかけたかのように、一斉に各社が手を挙げた。もう、検討するのも面倒だし、一番最初に手を挙げたお医者さん―じゃなくて、業者のHPをクリックした。
先週の金曜、あいこさんは死んだ。
おれたちの習慣になってた、深夜のバラエティ番組を観ながらの晩酌中、あいこさんは2本目のビールを取りに行って、出し抜けに倒れた。
おれが前のアパートから持ってきた、緑と青のステンドグラスのライトががしゃんと落ちて、あいこさんの腕の下敷きになった。
え、うそ、だいじょうぶ?怪我、怪我さぁ。駆け寄って腕を見たら、音の割に大した傷はなくて、そんな飲んでないのにねぇって話しかける。
そこからあいこさんは一言も喋ることはなかった。テレビの笑い声を聞きながら119番通報して、住所の地番をど忘れして泣きそうになって、ピザ屋のDMに書かれていた住所を何とか読み上げた。
あいこさんちは、元は亡くなったおばあちゃんちで、両親はいない。いや居るけど、事実上居ない。葬式をするのも人を呼ぶのも満足にできないおれは、知ってはいたけど想定よりさらに子供なんだな、と思った。
ネットであいこさんの勤め先を検索して、代表電話に出た人にいきさつを話す。すごく困惑されたけど、そうですよねわかりますとしか。 あと、二人でよく行ってた飲み屋に電話して、店長から常連さんに伝えてもらい、何とか「仕事関係者」「友人」を集めて恰好をつけた。
周到なあいこさんは、葬儀の参列者のことを忘れていたのか、あるいは、そこはどうでもいいと思っていたのか。
おれたちは、あいこさんがいつ突然死するか分からない、という状況のもと、結びつけられた関係で、いつか来るその日のために、ふたりで暮らしてきた。でも、こんなにあっけなく、その日を迎えることになるなんて。
「半年先には居ないかもしれない」と、「明日死ぬ」の間には深く温い川が流れていて。おれたちは、川の瀬で、遊んでいただけなのかもしれないと思った。
*
おれがあいこさんの家に来て1~2か月経ったころだったか。あいこさんは自分のスマホを見ながら、
「明日さ、遺影撮りにいこっか。」
と、まるで家具屋でも行くようなテンションで言った。
「明日晴れだし、そんな気温高くないから。
君こっち来て、まだそんなに遠出してないでしょ。」
車で40分くらいの海に、観光がてらドライブして、そこで遺影を撮ろう、ということらしい。何事も急だ、あいこさんは。
「え、写真館とかじゃなくていいの?ていうかおれカメラ全然よ?iPhoneで撮ったことしかないよ?一眼とかある?」
なかった。ないから、朝一眼買ってから行こ、通り道に電器屋あるし。って。
1日待とうよ…。それか、2日待てばAmazonで買えるじゃん。と思ったけど、どうせ聞かないし、ぎりぎりこなせなくはないスケジュールだから、そだね、と言った。
もしかしたら充電されてない状態で売ってるかもしれないし?そしたらさすがに諦めるでしょ、と楽観視しながら。
「やば、着るもの考えなきゃ。」
あいこさんはいそいそと部屋に戻っていった。おやすみ、とその背中に言った。
翌朝、いつも寝起きの悪いあいこさんが、おれが起きたらもうすでに台所に立っていた。炊き立てのご飯のにおい。遠足前みたいだ。いやこれから遺影撮るんですけど。
あいこさんは、
「あっっつ!!あっつ!」
と言いながら、炊き立てのご飯ででっかいおにぎりを4つ作る。中身はちょっと甘い梅おかかと、鮭フレーク。焼き鮭ほぐしたりとかはしない、瓶の鮭フレーク。
「おれ毎朝これがいい…。」
思わずつぶやいたら、かぶせ気味に
「自分でやんな!」
と返された。はいはい分かってましたよ、言ってみただけだよ。
熱々のおにぎりが、あったかいおにぎりになる頃。黄色いワンピースの上に、白いカーディガンを羽織ったあいこさんが部屋から出てきた。見たことないやつ。
「いい人風じゃない?別れ惜しみたくなりそうじゃない?」
と言ったけど、おれはいつもの、ツアーTに緩いジーパンのあいこさんの方がいい、と思った。これもどうせ聞かないから言わないけど。
家電屋に寄って、CMで聞いたことあるシリーズの一眼レフカメラを、入店5分でサクッと買うあいこさんは、カメラのことなんか全然知らない。店員さんに、
「これ、すぐ使えますー?」
と聞いて、おそらくバッテリーの劣化防止のために充電されてるはず、と、お望み通りの答えを引き出してしまった。もう後に引けない。いやおにぎりまで作ってるし別にいいけど。
あいこさんがドライブに行こうなんて言い出したけど、運転するのはおれだ。あいこさんは、免許を更新しなかったから。最悪人撥ねちゃうかもしれないから、と言って。身分証代わりに更新してもよかったとおれは思ったけど、あいこさんの抱える不安なんておれには分かり切ることはできない。それは、今もそう。
車内では、Negiccoの「サンシャイン日本海」が流れる。
“日本海へ連れていって 指折り数えているの
夏休みまで あと何日 待ち遠し過ぎる
たくさん遊んでぐっすり眠るの大好きなあなたと
サンシャイン! サンシャイン!”
Negicco「サンシャイン日本海」
「いいねぇめっちゃ合うね。」
「名曲だわさすが田島貴男。」
と、おれらは口々に言いあう。ここ太平洋の海岸線なんだけどね。そしておれ、大好きなあなたでもないし。
日本海側行ったことないわ。行きたいよね新潟、とか話しながら、車を走らせる。
道の駅の駐車場の木陰に車を停めて、店内で買ったお茶と、あいこさんが握ったおにぎりを、助手席と運転席、並んで食べた。
「うまいね。」
「うんやっぱ米が違うな。」
おれらの家の米は、格別うまい。
こっちの海は、湘南の海の倍広い。海は広いな大きいななんて歌うけど、本当に、海って広いんだという当然の真理に気づかされる。
そして、海と広い空を分かつ、薄く見える海岸線。これは、Amazonには売ってない。
海岸に降りて、撮影会を始めた。
何でわざわざ海なの、と聞くと、あいこさんは
「海は原初だよ。」
と、なんかそれっぽいことを言ってくる。たまに哲学っぽいことを日常生活にぶち込んでくる。
でも、自然光で、風で少しだけ髪がなびいて、こんなきれいなところで遺影撮れるってちょっとうらやましいかも、と思った。
あんまり撮られ慣れていないであろうあいこさんの表情はぎこちなく。何枚も何枚も撮り直し、まぁこんだけ撮れば奇跡の一枚あるでしょー、というあいこさんの一言でやっと撮影会は終わった。
真っ青だった空の下の方が少し黄色くなってきていて。もう1目盛しか充電の残っていないカメラで、砂浜から車に戻るあいこさんを、何も言わずに撮ってやった。
シャッター音でこっちを向いたあいこさんは、
「おいやめろ、準備してる顔しか撮らないで。」
と顔をしかめていた。準備してないその顔は、なかなか良かった。
家に帰って、あいこさんは早々に
「磯臭い!髪が日焼けの匂いする!」
と、風呂に入った。
手持無沙汰に、充電中のカメラで今日撮った写真を観返そうと思ってプレビューを押した。おれからしたら、どれだって奇跡の一枚ですよー、と、あいこさんが聞いたら絶対鼻で笑うことを考えていた。
最新の写真から古い写真に遡るから、帰り際に撮った、不意打ちの写真が一枚目。
これ撮った奴絶対この子のこと好きじゃん。そんな写真だった。
何喋ってたかは覚えてないけど、伏し目で笑うあいこさんの横顔。
被写体のこと好きじゃなきゃ、切り取らない、切り取れない瞬間で。ファインダーのこちら側に、愛しむ眼差しがあること。手に取るようにわかってしまう。
なんかもうミエミエすぎて恥ずかしい。おれはその写真のデータだけ自分のiPhoneに移し、カメラの方は消した。
ずっと遡って見ていくと、どんどん空が青くなっていく。そしてあいこさんの表情も硬くなっていく。やっぱ最初力入ってたよなぁなんて、すこし笑っていたら。
001/125の写真。一番古い写真は、おれだった。
砂浜にしゃがんで、照り返しに目を細めるというか、顔をしかめているおれの横顔。
あいこさん、こんなのいつ撮ってたんだよ。
それは、なんか、自惚れかもしれないけど。おれがこっそりデータを消したあの写真と、同じ匂いがした。いや、自惚れだろうけど。
夕飯の後、あいこさんはPCにデータを移して、どれがいいかねーと写真を選んでいた。まあ最後の方がいいんじゃない?自然な感じだし。言いながら、画面いっぱいにサムネイルが表示されているPCを横から覗いた。
001の写真が、なかった。そして写真群のファイル名は、~~002.jpgから始まっていた。
あいこさん、あのデータ、消したの?と聞ける訳もなく。
あの消えたおれの横顔はどこに行ったのか、今も分からない。
*
遺影には、あいこさんが指定した、ほどほどに自然な写真を使った。
正面から撮った、薄く笑ったあいこさん。
おれは、さわやかだけど遺影然とトリミングされたこの写真があんまり好きではなく。というか、やっぱりあの日のお焼香の匂いの記憶とセットになっていて、積極的に見る気にはなれない。
それよりも、おれの好意ミエミエの、あの横顔。それを小さな写真立てに入れて、飾っておきたくて。
ネットから現像の注文をした写真を、写真館で受け取って帰る。うん、やっぱこれがいいよ。まぁ、あいこさんには見せなかったから、遺影に選びようがないんだけどさ。横顔だし。
でも、この写真にお焼香の匂いが付かなくてよかった。
あの時の磯の香りが、鼻をかすめた気がした。
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