第9話

 芽依めいの屋敷。夕日がしずむ頃、忠文ただふみと交代で雅弥まさやがやってきた。彼は三津流みつると夕食を済ませ、事前に忠文にでも頼まれたのか、寝かしつけまで終えてから、外に出てきた。

 テヌートも門番の役を朝まで交代だ。


「じゃあ俺は市場の様子を見てくるから、ここよろしくな」

「了解です!」


 早く戻って少しは休んで下さいね、と雅弥の明るい声が聞こえて、軽く手で応じる。

 テヌートにはそもそも睡眠というものは必要としていないのだが、疲れはするので目を閉じていると楽になるのも事実だ。


 夏は夜も生暖なまあたたかい風が吹く。けれどやはり、市場に近付くにつれて、どこか冷たくなっていくような気がする。

 ーーーー人外の仕業かも、と芽依は出発する前にテヌートに語っていた。……その気配は特に感じないが……。


「……もし、本当にそうなら……」


 知らず手に力がこもる。表情が固くなったテヌートの視界に、何かが映る。


「……あれは」


 芽依が遭遇した黒いもや、だろうか。あそこが一番けがれが濃い。テヌートが靄に近付くと、奥に何かが見えた。

 無意識に手を伸ばす。芽依がはじかれたそれは、すんなりとテヌートを受け入れる。彼がその中心に手を触れると、靄は一気に内側から霧散むさんした。その手に残ったものを見つめ、テヌートは瞠目どうもくする。

 ドクン、ドクンと心臓がひときわ大きな音を立て始めた。


 ーーーー手にあるのは、一輪の薔薇ばらで。

 それを見た瞬間ーーテヌートの脳裏にあの日の記憶が呼び起こされる。

 姫と贈り合った白い薔薇。姫の笑顔。姫の涙。

 ……その中で。くらい瞳がこちらを見ている。

 ドクン、と頭まで音が響き出す。


『ーーーー……』


 まるでなんて事ないように。いつもの無機質むきしつな目でこちらを見ながら。抜剣ばっけんし、返り血を浴びた状態で。一人きりで、男はそこにいた。


『ーーーー……ヌート』


 姫からの呼び掛けに、はっとしてけ寄ると、後ろから、声が降ってきた。


『……王の、命令だ』


 それだけ言って去っていった男の、王を殺した自分を処刑しに来た男の、感情を捨て去った表情を、今でも覚えている。



 ……そう、だ。

 あの日も、任務だからと姫の側を離れて、そして、姫を失ったのに。

 今はあいつが、公務だからと、俺の側を離れている。

 これは、偶然なんかじゃない…!

 テヌートは、ぐっ、と歯噛はがみすると、芽依の屋敷目指して走り出していた。

 本当は今すぐにでも芽依達を追いかけたい。だが、……今は、やることがあるから。


 芽依の言葉が脳裏のうりよみがえる。


『……今回テヌートには、裕祇斗を護って欲しいの。それから……"彼"を、ーーーーけて』


 …………また、お前はーーーー。



『…………けて、……、テヌート』


 同じ事を、繰り返す気なのかーーーー。

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