ぼくが魔王になったら。
観月 白
第一話「こんな世界で、こんな夢を、でも本当にこわいよ。」
ガサガサッ。
じっとりとした湿気が肌にまとわりつく。
ぼくの住む「魔の森」は、いつも濃い緑の匂いと、腐葉土の甘いような、それでいて少し物悲しい匂いで満たされていた。背の高い木々が空を覆い尽くしているせいで、昼間でも薄暗い。木漏れ日がゆらゆらと地面で踊っているのが、この森の日常だ。
遠くに見える人族たちの城壁からは、生活の証である白い煙がいくつも立ち上っている。それを見るたびに、ぼくは胸の奥がちくりと痛んだ。あっちは暖かくて、穏やかなんだろうな、なんて想像しちゃうよ。
ぼくはゴブリン。魔族の中でも、特に弱くて数ばかりが多い種族なんだ。だから、人族との終わりの見えない戦争では、いつも真っ先に最前線へ送り込まれちゃう。使い捨ての駒、それがぼくたち下級ゴブリンの役目なんだよね。
一方で、リッチやヴァンパイアみたいな強くて偉い魔族たちは、魔王城の奥深く、安全な場所でふんぞり返ってるだけ。退屈そうに警備の任務についている彼らを見るたびに、ぼくは思っちゃうんだ。
おかしいじゃないか、って。
この世界を本気で魔族の手に取り戻したいなら、一番強い者が先頭に立つべきだよね。弱い者たちが必死に築いた土台の上で、強い者たちがのんびり暮らしてる。そんなの、ぼくはどうしても許せないんだ。
だから、ぼくは決めた。
ぼくが、魔王になる。
今の魔王様を倒して、ぼくが新しい魔王になるんだ。
そうしたら、弱い魔族たちを魔王城の安全な場所で保護して、代わりに強い魔族たちを最前線へ送り込んでやる。弱いからって、誰かの犠牲になる必要なんてない。そんな世界を作るんだ。
えへへ、自分でも思うけど、すごく素敵な夢だよね。
そんな夢を抱きながらも、ぼくの日常は、魔王城からずっと遠く離れた人族の村の近くで過ぎていく。
気のいいスライムくんと、森の奥で見つけた秘密の泉のほとりで日向ぼっこをしたり。夜になれば、いたずら好きのゴーストくんがひょっこり現れて、昨日見た人族の面白い動きの真似をしてくれる。それをスライムくんと二人で、体をぷるぷる震わせながら笑うのが、最近のぼくの一番の楽しみだった。
この辺りの村に住む人族は、それほど好戦的じゃない。でも、ごく稀に、とんでもなく恐ろしい人族が現れる。
「勇者王に、オレはなる!」
そんな、どこかで聞いたような雄叫びを上げながら、ぼくらみたいな弱い魔族を、まるで道端の草でも刈るように、なぎ倒していくんだ。その速さは、まさに閃光。気がついた時には、隣で笑っていたはずの仲間が、光の粒になって消えている。あの恐怖だけは、何度経験しても慣れることがない。
でも、一体どうすれば魔王になれるんだろう。
やっぱり、まずは強くならなきゃ、誰もぼくのことなんて認めてくれないよね。そのためには、人族を倒して経験を積むのが一番の近道なんだけど、村人たちはめったに外に出てこない。たまに出てきても、あの「勇者王志望」みたいなやつに一瞬で倒されちゃう。これじゃ、いつまで経ってもレベル1のままだよ。困ったなぁ。
そんなことを考えながら森を歩いていた、ある日のこと。
道の脇で、スライムくんが倒れているのを見つけた。体の半分が、まるで潰れた餅みたいに平たくなっている。
「スライムくん! 大丈夫か! ひどい怪我じゃないか!」
「ごほごほ……ゴブリンくんか……。急に現れた四人組の遊び人にさ、面白半分で……何度も踏みつけられて……」
「なんてひどいことを! でも、ぼくは回復魔法も使えないし、薬草も持ってないんだ。ごめんね、本当にごめんね……」
「もう、お迎えが近いみたいだよ……。でも、ぼくの命が、あんなおちゃらけた奴らに奪われたなんて知れたら、末代までの恥さらしだ……。だから、お願いがあるんだ。きみの手で、ぼくを倒してくれないかな」
「えっ!? ぼくが、きみを……? そんなこと、できるわけないよ!」
「お願いだ……。同じ魔族のきみに倒されるなら、まだ……。それに、ほんの少しだけど、経験値と、人族のお金が手に入るはずだから。さぁ、早く……」
ぼくは唇を強く噛み締めた。悔しくて、悲しくて、どうしようもなくて。でも、彼の最後の願いを、ぼくは断ることができなかった。震える拳を、ゆっくりと、でも、力強く振り上げた。
「スライムくん、ごめんね!」
バコーン!
鈍い音が森に響く。スライムくんは、苦痛と安堵が入り混じったような、不思議な表情で、嬉し涙を浮かべながら、
「あり……が……とう……」
という言葉を最後に、ぷしゅぅっと音を立てて、しぼんで消えていった。拳に、まだ彼の柔らかな感触が残っている。
不意に、頭の中に声が響いた。
「パパラッパッパーン!!」
ふぁっ!? 突然のファンファーレに、ぼくは心臓が飛び出るくらいびっくりした。
「スライムを倒した! 経験値2を獲得、1円を獲得した。ぼくのレベルが上がった!」
ピコーン! 不思議なことに、少しだけ、強くなった気がする。続いてメッセージが聞こえてきた。
「なんと、スライムは、お母さんへの手紙をもっていた!」
→よむ
すてる
選ぶの? うーん。なんだか悪い気がするけど、いちおう、読んでおこうかな。
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お母さんへ
スラ男だよ。さいきんは、人族たちの住む町の近くで、魔族たちが安心して暮らせるように、見回りをしているんだ。
まだまだ、給料も少なくて、それでも24時間体制で働いているんだよ。でもね、仲間もできて、少しだけ楽しいんだ。
大変な任務だけど、魔界のみんなのために頑張るんだ。
お母さんに会えるのは、また年明けかな。
それまで、お母さんも元気でね。
スラ男より
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うーん、なんだかミミズが這ったような線がいっぱいだ。今のぼくのかしこさじゃ、まだ文字が読めないみたい。きっと、「お母さん、いつもありがとう、大好きだよ!」って書いてあるに違いない。うん、そうだ、そうに決まってる!
……でも、読めないんじゃ、持ってても仕方ないや。えへへ。
よむ
→すてる
よし、こっち! ポーイ!
ぽいっと手紙を投げ捨てた。今は、感傷に浸っている場合じゃない。もっともっと強く、そして、賢くならないと。いつか、こんな手紙も、ちゃんと読めるようにならなくちゃ。
空を見上げると、木々の隙間から、夕焼けに染まった空が見えた。ぼくの魔王への道は、仲間の死という、悲しい一歩から始まった。でも、だからこそ、絶対に立ち止まれない。彼の想いを無駄にしないためにも、ぼくは、とにかく強くなるんだ。
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