人生、ひっくり返すぞ。

 荷物を入れて、部屋の電気を消し。実緒は、ベッドに横になった。

 この部屋で、そしてこのベッドで寝るのは今日までだ。明日からは、勤め先のホテルの寮で寝泊まりすることになる。


(即バイトが決まって、ツイてる……と言うか、悪運が強い?)


 目を閉じながら考えるが、そもそもが実緒が大学に行けなかったことから始まっているので、そう思い直す。

 実緒は、ニセコのホテルのレストランでホールスタッフとして入ることになった。制服があるらしいが、黒い革靴とソムリエナイフを用意するよう言われた。明日は携帯電話の解約と買い物をして、札幌駅前から出るバスに乗り、ニセコに移動する予定である。


(バイバイ……じゃ、ないかな? 書き置きに書いた通り、いつかは帰るつもりだから)


 自分の部屋に向かって、声に出さずに話しかけてみる。ただ、ちょっと違う気がしたので少し考えて──考えているうちに、実緒は眠りに落ちた。

 特に、夢は見なかった。



「いってくる」

「「いってらっしゃい」」


 次の日の朝も、三人でご飯を食べて仕事に行く父を母と二人で見送った。

 一旦、自分の部屋に戻って着替える。そして九時すぎ、バスの時間に合わせて実緒は一階へと降りた。両親が出かける時は実緒が見送るが、実緒が出かける時は二人とも声をかけるだけで玄関での見送りはしない。今までは単に『そういうもの』だと思っていたが、今日は好都合だった。玄関にあったローファーが入った箱を、母に見られずに鞄にしまうことが出来たからだ。


「いってきます」


 昨夜、眠る前に考えた、実緒からこの家へと送る言葉。

 うんピッタリ、と思っていると洗濯をしているらしい母から声だけがした。


「いってらっしゃい」


 母も、いや、父も実緒が家出しようとしているのを知らない。

 大学進学を認めなかったことで、実緒がどれだけ悲しくて悔しかったかを知らない──そう思った瞬間、泣きそうになって鼻の奥がツンとした。


「……うん、いってきます」


 そう言って外に出たのは、先程のように今までの気持ちを伝えたかったからではない。単に返事をしないことで、母が礼儀知らずだと叱るのを防ぐ為だけだ。

 このまま、実緒は家には帰らずにニセコへと移動する。昨日の書き置きは最初、机の上にと思ったがすぐ見つかるのも困るので、ベッドの布団の上に置いてきた。そこだと、実緒の部屋のドアを開けただけでは気づきにくいのだ。


「人生、ひっくり返すぞ」


 地下鉄駅へと向かうバス停へと歩きながら、実緒は空を見上げてそう呟いた。



 札幌駅からニセコへの、バスの出発時間は午後一時半。

 バスを降りて、地下鉄へ。そして午前十時に大通りに到着した実緒は、まずは昨日のうちに予約しておいた携帯ショップへ向かって携帯電話を解約した。

 解約料金はかからなかったが、今月分の料金は来月請求されるらしい。割引の関係で、家族でまとめて支払っていたので書き置きと一緒に、一応、今月分の自分の携帯料金は家に置いてきている。


(これで、メッセージアプリとか使えなくなるのもあるけど……Wi-Fiがあればメールとかインターネットは使えるから、このまま端末は使おう)


 来店予約のおかげもあり、解約は思っていたよりもすぐに出来た。あとは大通りでドラッグストアや百円ショップ、某アパレルブランドに寄って目当てのものを買う。そして札幌駅前へと地下歩道で向かい、札幌駅のワインショップでソムリエナイフを買った。

 ここまでで、午後一時である。店で食べる時間まではないが、昼食兼夕食を買う時間はあるなと安心したところで「門倉様!」と声をかけられた。


(あれ? 今の声って……木元さ、んっ!?)


 昨日の申し込みの後、今回、登録した派遣会社に今後の為、名前や生年月日などの他、本人確認書類をネットから提出したので、担当である木元なら実緒の顔を知っていると思う。つまり、実緒は木元の顔を知らず昨日、聞いた声だけでの判断だったのだが。

 ……声や喋り方は、昨日の木元と同じだった。

 だが声や話し方で、真面目そうだと思っていた木元は三十歳くらい、なのは予想通りだが──黒髪のベリーショートで、ゴスロリまではいかないのかもしれないが、人形が着ているような刺繍入りのコートや、ロングスカート姿で現れたのにはちょっと驚いた。外国の女優のようで似合ってはいるが、とにかく予想外のファッションだったのだ。


「良かった。一応、メールはしたんですが携帯電話を解約すると仰ってたんで、バス停に行こうと思っていたんです。あ、お昼ってもう買ったり食べたりしましたか?」


 言われて携帯を取り出し、公共Wi-Fiに接続すると確かにメールが入っていた。慌てて、木元に謝罪する。


「すみませんでした! あ、お昼はまだ買っても食べてもいません」

「あの、おにぎりとお惣菜とお茶買ったんです。バス停でお渡ししますので、よければどうぞ」

「あ、ありがとう、ございます……木元、さん?」

「……あぁ! こちらこそ、すみません! 今日は休みなので、私服なんですよ。仕事中はパンツスーツなんですが私、クラロリが好きで」

「そうなんですか……」


(私には、可愛すぎるけど……そうか、お給料貰ったら今度からは、自分で好きな服も買えるのか。あとゴスロリがゴシックロリータなら、クラロリはクラシックロリータ?)


 今までは母と一緒に買いに行き、母の選んだ服を着ていた。流石に、百貨店に入っているようなブランドの服や、木元が着ているような洒落た服は無理だろう。

 でも、今日のようなファストファッションなら十分買える。また、仕事をする楽しみが増えた。

 そして、休みの日にわざわざ見送りに来てくれた木元に対して、驚き固まっていた実緒の頬もようやく緩んだ。


「あと、普段はここまではしないです。本当に、メールのやり取りのみで……でも昔、私も当時の担当さんにこうして貰って、嬉しかったので」


 そんな実緒に、木元はそう言って一緒にバス停まで来てくれた。

 それから餞別の食べものを実緒に渡し、ニセコ到着後の流れを教えてくれると、木元は笑顔で到着したバスに乗ろうとした実緒に言ってくれた。


「いってらっしゃいませ!」

「……いってきます!」


 見送ってくれた木元にそう返すと、実緒も笑ってニセコ行きのバスへと乗り込んだ。



ひとまず完結。ただ、ニセコでの新生活やざまぁはなしと言いつつも、親の反応とか書きたいのでしばらくしたらまた続きを載せていきます。よろしくお願いしますm(__)m

クラロリ、正しくは『クラシカルロリータ』だそうです(惜しい)

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