ターンオーバー

渡里あずま

話は二日ほど前に遡る

 札幌駅からニセコへの、バスの出発時間は午後一時半。

 現在、大通りに到着したのは午前十時。これからおよそ三時間半で、実緒みおは買い物と携帯電話の解約をする。あと昼食もとは思うが、ちょっと難しいかもしれない。


(マスクは必須じゃなくなったけど、約四時間のバス移動だと飲食はちょっと……まあ、でも優先すべきは解約と買い物! 食べられなかったら、おにぎりとかパン多めに買って夜に食べよ。ありがたいことに、短期じゃないから寮は個室らしいし、明日からは賄い出るし!)


 家を出る時、古本を売って髪も切ると言ってきた。実際は、今の肩を越すくらいの長さの方が束ねられるので切らないが、これで夕方までは時間が稼げると思う。ただ万が一のことを考えて、携帯電話の解約を先にしよう。

 買うものは、職場で使うソムリエナイフ。あと、数枚のタオルと靴下と爪切り。それから風邪薬に、洗剤とハンガーと室内用のスリッパ。それからスニーカーと、洗濯機で洗えるワンピースを一枚だ。職場での靴は、通学用の黒のローファーでいけるから助かった。もっともチラホラと雪が残っているし、ニセコはむしろ雪深いらしいので今はムートンブーツをはいている。


(保険適用が二ヶ月後だから、解熱剤もいるかなー)


 パジャマ代わりのスウェットと、歯磨きセット。あと洗顔料やシャンプーなどは、修学旅行の時のを持ってきた。


(一応、職場は制服があるし長袖Tシャツの上にシャツと、トレーナー重ね着にしてきたから……今、はいてるジーンズも含めて洗濯すれば着まわせるよね)


 予算が限られているから、買えるものは百均や某アパレルブランドで買おうと思う。ちょっと毛色が違うのが仕事で使うソムリエナイフだが、調べたら某ワインショップで千円ちょっとで買えるらしい。


(それらのお店は、大通りと札幌駅周辺にあるから……一気に……って)


 そこまで考えて、実緒は面白くなってきて少し笑った。

 これから、実緒がやろうとしていることは『家出』だ。しかも数日ではなく、最低半年。延長出来るなら、一年でも二年でも働くつもりなので帰る気は全くない。

 そりゃあ、今までバイトをしたことがないので不安はある。

 だが、そんなことを言っていてはいつまで経ってもバイト一つ出来ないし、家を出ることも出来ない。だったら少し乱暴かもしれないが、家を出て集中して働くというか、お金を稼ぐ環境を作ろうと思う。


(よーし……やるぞ!)


 心の中で気合いを入れて、実緒はまず携帯ショップへと向かった。



 話は、三日ほど前に遡る。

 高校を卒業するまで、いや、その後の受験していた農学部の合格発表までは、実緒が働くのは受験に落ちた時だと思っていた。親と『大学に通えなかったら』働いて、家にお金を入れるという約束をしていたのだ。

 ……そう、実緒は『大学に通えない』のは、大学受験に落第した時だと思っていた。

 それが甘かったと痛感したのは、合格発表日の夜のことだった。

 いつものように、お酒を飲む父とそんな父におつまみを出す母が、信じられないことを言ってきたのだ。


「……えっ?」

「だから、うちにはお前を大学に行かせるような金はない」

「そんなっ……それなら何で、受験させたの!? 私、合格したんだよ!? 農学部で、勉強したくて……!」

「お前が大学大学、うるさいからだ。受験料を払っただけ、満足しろ」

「そうよ。女の子が土仕事なんて、駄目に決まってるじゃない。卒業したら働いて、家にお金を入れなさいね。お父さんが、バイトを探してくれるって……家にいるんだから八万、いや、十万は入れてちょうだいね」


 両親はそう言って、いくら実緒が泣いて頼んでも入学手続きの書類に同意してくれなかった。絶望した実緒は自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込んでまた泣いた。

 お金がないなんてよく言える。酒代で消えるだけじゃないか。母の言うことを聞いたら、自分の給料も父の酒代になるじゃないか。

 公務員の父と、専業主婦の母。傍から見たら、恵まれているように見えるかもしれない。

 だが実緒にとっては家ではお酒ばかり飲んでいる父と、そんな父に逆らわない母という感想しかない。

 けれど、それでも実緒を十八年間育ててくれて、おこづかいこそくれないが服や靴を買ってくれた。実緒のことを何も出来ない子供扱いするのはどうかと思うが、もし落第しなくてもバイトをして少しでも家にお金を入れようと思っていたのだ。


(冗談じゃない、冗談じゃない……冗談じゃない!)


 涙は止まらないが、次第に怒りが湧いてきた。

 実緒から搾取しようとする両親と、そんな両親がつけ込む隙を与えてしまった自分に。

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