第2話 悪徳貴族の日常
「悪いね、お茶まで入れてもらって」
「い、いえ、その……こちらこそ、自由にしてもらって、ありがとうございます……?」
部屋の中央にある丸いテーブルの向こう側。そこに座るのは、困惑気な様子の三人の奴隷少女たち。
俺はティーカップに入った紅茶を少し口に含んだ後、少女たちに静かに声を掛けた。
「一先ず安心して欲しい。俺に、君たちを害す気は一切ないから」
「……貴方は、本当にあのブラッドリバー家の嫡男、ギルベルト・フォン・ブラッドリバー、なのですか……?」
「うん、そうだよ」
「生きたまま人の腸を裂き、内臓を生のままで喰らうことが大好きな【狂乱の貴公子】と、私の住む村落の噂で聞いていましたが……?」
「何だそれ。俺に、そんな残虐な趣味はないんだけどな」
いや、生前の記憶を思い出す前の自分の記憶は、薄っすらとはある。
その頃の自分が、とても残虐な性格をしていたのは事実だが……生憎と、当時の自分はまだ人を殺したことはなかった。
だから、その噂は、尾ひれが付いたものに他ならない。
「悪いけど、俺は、悪役を演じているだけのただの少年でしかない。むしろ困っているんだよ。うちの家族が行う悪逆非道っぷりにはね」
俺の家族は、三人いる。
――――ブラッドリバー家当主、父、【串刺し卿】『ゴルドラス・フォン・ブラッドリバー』。
戦場で殺した人間の頭部を集め、ホルマリン漬けにしてコレクションする趣味を持つ、生粋の快楽殺人鬼。
――――ブラッドリバー家夫人、母、【鮮血の貴婦人】『ヘレナ・ベル・ブラッドリバー』。
夜な夜な街に出ては、美貌のために処女の血を集め、若い女性を攫って殺すイカれた殺人鬼。
――――ブラッドリバー家末妹、【無邪気な悪魔】『メアリー・キルル・ブラッドリバー』。
母が攫った、血が抜かれた少女の死体を使って図画工作と称し、グロテスクな芸術品を造り出すことが趣味の、狂った少女。
全員、もれなく血を食料の糧とする、異業種―――吸血鬼だ。
このブラッドリバー家は人々に紛れ、何百年も、王国の貴族として君臨してきている。
吸血鬼であることを、人間が住む王国で隠しながら、でだ。
「もしかして、ギルベルトさんは、この家で唯一まともな価値観を持っている御方……なのですか?」
俺はそんな彼女たちに向けて、優しく微笑みを浮かべてみた。ニコッ!
「ヒィィィッ!!」
奴隷の少女三人は互いの身体を抱きしめ合い、俺に怯えた目を向けてくる。
何故だ……フリーター時代、某ファーストフード店で鍛えられた、渾身のスマイルだったのに……。
俺は怯える少女たちに小さく息を吐き、ティーカップ片手に会話を再開する。
「そういうことになるね。俺は、うちの家族の極悪非道な振る舞いには、ほとほと困り果ててるんだ」
そう口にして、俺は大きくため息を吐く。
死に際、家族が欲しいとは願ったが、こんな形で叶うことになるとは思いもしなかった。
まさか自分が、殺人鬼の一家の長男に転生するなんて、な……。
「そ、その話が本当だとしたら……ギルベルトさんは、人間の心が分かる吸血鬼、ということですか? 人の味方、なのですか、貴方は……?」
「まぁ、うん。俺、普通に人殺しなんてしたくないし」
「でしたら……」
「でしたら、正常な価値観を持っているギルベルトさんが、ブラッドリバー領、ひいては亜人特区を何とかできないでしょうか? ブラッドリバー家の当主になって、貴方様の手でこの地を変えられないでしょうか!」
「え……? この地を変える……?」
そう疑問の声を返すと、白髪の
「はい。私たち三人は、亜人が住むリ・ラーテル共和国出身の者です。ご存知だと思いますが、現在共和国は国家の半分が、王国……いいえ、ブラッドリバー家に奪われ、殆どが征服されてしまっています。この家の主、ゴルドラス二世は、あろうことか亜人を奴隷階級に落とし……
そう言って、
それに倣い、
「……お願いします」「お願いします、ギルベルト様!」
三人の少女に頭を下げられ、俺は慌てて席を立ち、彼女たちに声を掛ける。
「あ、頭を上げてくれ! 俺も、君たちを助けてあげたいのは山々だ!! だけど、君たちが思う程、俺には力が―――」
「お兄様? いらっしゃいますか?」
「ッッ!?!? お前ら! やっぱり頭を下げてろ!! いいな!! 絶対に頭を上げるんじゃないぞ!!」
「え……?」
その時。扉を開けて、妹―――メアリーが入ってくる。
突然の来訪者に、頭を上げそうになる
俺はすかさず彼女の頭を踏みつけ、メアリーに対してニヒルな笑みを浮かべた。
「どうした、メアリー。ノックもなく私の部屋に入ってくるとは、不躾な妹だな」
「お楽しみ中、申し訳ございません、お兄様。……おや? お兄様? 先程の奴隷を土下座させて、その頭を踏みつけてるんですの?」
「その通りだ。ククク、中々に悪逆な行いであろう?」
「? その程度、で、ですか?」
「……ぇ? そ、その程度?」
「お兄様にしては少々、生温いのではありませんの? 素っ裸にして犯した後に土下座させる、なら、まだ分かりますが」
な、何言ってるんだ、こいつ……? どうしてそんな酷いことを思い付けるの? 悪魔じゃないの?
俺はコホンと咳払いをし、妹に不敵な笑みを浮かべる。
一瞬でも動揺している素振りなど見せれば、偽物だと言われ、殺されかねない。
俺は悪逆非道なる吸血鬼の御曹司を、演じて行く。
「貴様には、俺が為すこの非道さがまだ分からないか」
「え?」
「裸にする? 犯す? そのような誰でも思い付く拷問などをして心を折ることなど、所詮凡人の遊びに過ぎないだろう。俺はこの者どもを使って、新たな拷問の新手を試す予定だ。見てみろ、こいつらの姿に何か違和感は覚えないか?」
ここで『分からない』と答えるのであれば、『貴様もまだまだだな。勉強し直すと良い』と言って容易に追い返すことができるのだが……果たして、どう転ぶか。
メアリーは頭を垂れる三人の奴隷をジッと見つめ、頬に指を当てる。
「……違和感」
「……ゴクッ」
「あ、分かりましたわ! 先程の晩餐会で見た時と違い、手枷が外してありますわ!! 違和感というのはこれのことですの!?」
「そ……そうだ! クククッ、貴様もよく成長してきているではないか、メアリー」
「手枷を外した新たな拷問というのは、どういう拷問なんですの?」
「そ、それすらも分からぬのか、貴様は?」
「ええ! このメアリーに、お兄様のお考えを教えてくださいまし!」
……適当なことを言ってごまかそうと思ったけど……ええと、お兄様にも分かりません。
この会話の終着点が、目指すべきゴールが、まったく見えません。
「ククク……そ、そうだな。改めて説明するのは難しいのだが……」
すると、足元から「むぎゅっ」と、少女の声が聴こえてきた。
すまない、
「……そ……尊厳破壊、だ」
「尊厳破壊、ですの?」
「そうだ。こいつらにはじっくり時間を掛けて、己が卑しき奴隷であることを理解させているのだ。逃げ出せるのに、逃げ出せない状況……そこでまずは手始めに、力の差というものを教えているのさ。長時間頭を下げ続けるというのは、肉体にも精神にも痛みを伴うもの。そうだな……睡眠と食料を抜いて、数日間ひたすらこの俺に頭を下げ続けさせるのも悪くはないな。クククッ」
ど、どうだ? この答えは、残虐な妹の望むものになったんじゃないか……?
妹へと視線を向けて見ると、メアリーは俯き、身体をプルプルと震わせている。
間違えた答えを出せば、俺はこの場で妹に殺される。偽物の兄だと糾弾されて。
緊張で喉がカラカラとなる。部屋の中に、チッチッと、置時計の針の音だけが響いていく。
「さ……」
「……さ……?」
「流石ですわ、お兄様ぁぁぁぁぁ!!!!! 直接的に痛めつける他にも、そのような画期的な拷問方法があるなんて……!! メアリー、お兄様の知識の深さに感服致しましたわぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
メアリーは目をキラキラとさせると、俺の身体に抱き着いてくる。
妹からは良い香りなどはせず。ただただ不快な、錆びた鉄のような血の匂いだけがした。
「は、ハハハハハ! そうはしゃぐな、メアリー。これしきのことで驚いてもらっては困る!」
「お兄様は本当にかっこいいですわ!! メアリー、将来はお兄様と結婚したいです!!」
「むぎゅっ、むぎゅぎゅっ!!」
メアリーが抱き着いたことにより重さが増加したのか、足元から
……本当にごめん。何を言っても酷いことをしている事実は覆らないけど、本当にごめん。
「お兄様。もし、伴侶となる吸血鬼が見つからなかったら、メアリーをお嫁に貰ってくださいましね」
「フッ、流石に近親婚はできないさ、メアリー」
「あら、分かりませんわよ? 吸血鬼は、年々数が減っている種族ですから。お父様とお母様も元は従兄弟同士だと聞いておりますし。子孫を残すために、いざとなったらわたくしたちが結ばれることも……あるかもしれませんわよ?」
目を細め、妖しく微笑むメアリー。
……普通に怖い。というか、こんなイカれた妹と結婚なんかしたくない。妹とかいう存在を抜きにして、こいつとは一緒に居たくはない。
「さぁ、メアリー。俺はこの者どもの拷問で忙しい。確か、将来、王都の華族学校に行く気なのだろう? 勉強でもしてくると良い」
「はい、お兄様。失礼致しますわ」
そう言って彼女は俺から離れ、スカートの裾を掴むと、優雅にカーテシーの礼を取る。
そしてウィンクした後、部屋から去っていった。
バタンと扉が閉められた後、俺は深くため息を吐く。
「つ、疲れた……。父と母はノックしてから部屋に入って来るが、あの妹は突然やってくるから本当に心臓に悪いな……」
「……あの、そろそろ足をどけてくださると嬉しいのですが……」
「あ、す、すまない!! 大丈夫か!?」
俺は急いで
それと同時に鬼人族と鉱山族の少女も顔を上げる。
そして、俺に憐憫の眼差しを向けてくる。
「何となく、状況は把握できました。その……色々と大変なんですね、貴方も」
「……理解者ができてくれて、何よりだよ……」
俺は彼女に対して、肩を竦めてみせた。
―――そう、これが今の俺の日常。
悪徳貴族の御曹司を演じるただの一般人が、この俺、ギルベルト・フォン・ブラッドリバーの正体なのだ。
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