第8話彼に囚われた愛の奴隷です。

「セルシオ・カルパシーノ国王陛下と、アリアドネ・シャリレーン王女殿下のおなーり」


 セルシオにエスコートされ、舞踏会会場に入場した。

 煌びやかなシャンデリアよりも目立つ2人が目に入る。

 ルイス皇子の隣にいる金髪碧眼の美しいお嬢様が、レイリン・メダン公爵令嬢だろう。


 私とセルシオが舞踏会の開始を合図するダンスを踊る。


 オーケストラの演奏が始まり、私が1番得意な曲だと気がついた。

(完璧に踊って、セルシオに頼もしい女だと思われたい!)


「踊り、とっても上手だよ。今晩から君の部屋を用意したから、そこで眠ると良い」

 セルシオにダンスを褒められて私はとても嬉しい気分になった。

 回帰前、初めて彼と踊った時は、彼の足を踏んでしまった。

 とても痛いはずだったのに、彼はそれに指摘せず私をリードしてくれた。


「お気遣いありがとうございます。でも、初夜までは孤児院の子供たちと一緒に寝たいと思っています」


 思わず初夜に言及してしまい、いやらしい女だと思われたかもしれない。


 昨晩マリオが不安がっていた事を思うと、子供たちを放って部屋を移動することはできない。


「そうか⋯⋯君の家族のような子たちだからね。君の意思を尊重するよ」

 彼の言葉に私は驚きを隠せなかった。

(家族って⋯⋯もしかして、私の正体はもうバレてしまっている?)


 気がつけば音楽が終わっていた。


「良い時間だった。子供たちの様子が気になるなら、もう下がっても大丈夫だよ」

 微笑みながら告げてくるセルシオの言葉に胸が熱くなる。


 彼はきっと回帰前も早い段階で私の正体に気がついていた。

 それなのに、知らぬふりをして私のことを大切にしてくれた。


  私は今にも泣きそうになり、会場を後にしようとすると目の前に跪いた男がいた。

 会場中が注目しているのが分かった。


 「アリアドネ・シャリレーン王女、私に貴方と踊る栄光を頂けませんでしょうか」

 銀髪に青色の瞳のルイス・パレーシア皇子はまるで自分がこの世界の主人公であるかのような顔をしていた。


 私も貴族社会の礼儀を学んで知っている。

 帝国の皇子とは、国の国王にも匹敵する尊重すべき相手なのだ。

 だから彼に跪かれてまで懇願されてダンスを断る選択肢はない。


 「光栄です。ルイス皇子殿下⋯⋯」

 私は彼の手を取って2曲目を踊り出した。


 彼の左手が私の腰に周り、過去に彼に迫られた恐怖が蘇った。


 本当は、彼に突然口づけされたときも、ベッドで覆い被さって来られた時も怖かった。

 それでも、セルシオを蘇えらせたいという強い意志を持っていたから、冷静でいられただけだ。

(アリアお姉様にも、きっと沢山怖い時があったはず⋯⋯)


 私は姉を憎まないで済む理由をまた探していた。


 姉は好きでもない男に嫁がされ、その身を好きにされる時をずっと過ごしてきたのだ。

 震え上がる程の恐怖を何度も味わっただろう。


「そんなに僕が怖いのか? 泣きそうな顔をしている⋯⋯」

 突然、ルイス皇子から囁きかけられて私は顔を上げた。


 私の知っている彼はいつも冷たい目をしていたのに、今は愛しむような優しい目をしているように見える。

 その目に安心して私はつい心の内を話していた。


「私の正体を知ってますよね。姉は今どこにいるんでしょうか。私は上手くやれているんでしょうか⋯⋯」


 姉の行方がわからない。

 私は彼女のことが心配になっていた。


 彼女の騎士を連れてきたが、もしかしたら彼は彼女に取って大切な人で奪ってはいけなかったのではないかと考え始めていた。


 モンスラダ卿は一向に私に心を開かず、やり取りも最小限だ。


 彼はいつも無表情で感情は読めないけれど、明らかに心ここにあらずな時があるように見えた。


 彼はおそらく姉がシャリレーン王国にいた時からずっと連れ添っていた人だ。

 彼自身、言葉にしなくても姉が心配で側にいたかったのかもしれない。


「まだ、彼女はカルパシーノ王国にいるよ。それから、君はもっと強かに立ち回った方が良い。美貌に隠された強かさと、抜群の賢さで人を惹きつけるのがアリアドネだ」


 私はルイス皇子の言葉に思わず顔をあげた。


 私は前回追い詰められた時、姉は寝所で男を惑わす女だけではないと知った。

 ルイス皇子はそんな姉の凄さに気がついているようだった。


「嬉しいです。ルイス皇子! お姉様のことを理解して頂けているのですね。私も知りたいです彼女のことを⋯⋯」


 ルイス皇子は何も答えてくれなかった。

 私は彼とアリアドネが通じていたことを知っている。


 その2人のつながりが、セルシオとカルパシーノ王国を滅ぼす運命に結びつく。


 それでも、誰もが高級娼婦と変わらないと陰口を叩いている姉の賢さを知ってくれている人がいることが嬉しかった。


「良い時間でした。ルイス皇子殿下、私も本当は貴方にも幸せになって欲しいのですよ」

 私は曲が終わると共に、彼に気持ちを伝えた。


 セルシオの為に彼を生贄にした。


 彼は婚約者がいながら私に手を出そうとしたクソ皇子だが、その女好きは死罪が相当するものではない。


 私はルイス皇子から離れると、バルコニーに出ようとしている彼の婚約者を追った。


「レイリン・メダン公爵令嬢!」


 声をかけて振り向いた彼女は涙を流していた。

 鼻が赤くなっていて、寒そうだ。

 

「いかがなさいましたか? カルパシーノ王国は寒すぎましたか?」

 私は慌てて彼女の手を握った。

 心なしかとても冷たい気がする。

 

 南に位置するパレーシア帝国と北西に位置するカルパシーノ王国では15度くらい気温が違う。

 気温の変化が激しいと体にこたえるというから辛かったのではないだろうか。


「違います⋯⋯ただ、ルイス皇子殿下が私と踊らず貴方様と踊った事が辛くて⋯⋯」


 私は彼女がルイス皇子を愛しているのだと確信した。

 初対面なのに正直に私に気持ちを話してくれて嬉しい。

 そして、彼女は私と彼の関係を疑っているのかもしれないと感じた。


 彼女は寒さにも滅入っているかもしれないと思い、私は自分の体温を分けようと彼女を抱きしめた。


「ルイス皇子殿下の気まぐれですよ。こんな美しいお嬢様を差し置いて浮気するような男は人間ではありません。私自身もセルシオ国王陛下以外の男性はきのこ人間にしか見えないという女です。だから、安心して良いのですよ」

「き、きのこ人間?」

 気の抜けたような声をあげている腕の中のレイリン様が愛おしい。


「もしかして、片想い中ですか? 私もセルシオ国王陛下に絶賛片想い中なのです。好きになって貰う為に何をしたら良いのか分からなくて心はいつも迷子しています」


 私の言葉を聞いて潤んだ瞳で、レイリン様は私を見つめて来た。


「私とルイス皇子殿下の婚約は政略的なものです⋯⋯でも、私は彼を愛しています。私と彼はゆくゆくは結婚するのですが、やはり心が欲しいです。妃教育という名の花嫁修行をいくら頑張っても彼が私を好きになってくれる事はないって分かっているんです⋯⋯」


 エメラルドのような美しい瞳からとめどなく流れる涙を指で掬うと、彼女は驚いたような顔をした。


「レイリン様はずっと頑張って来たのですね。同じ片想い仲間として貴方の話を聞いてみたです。花嫁修行とはどのようなことをするのですか?」


「花嫁修行は貴族令嬢としての礼法だけでなく刺繍など多岐に及びます。実はそんなに手先が器用ではないので刺繍は苦手なんです。殿下に刺繍したハンカチを送ったりしているのですが、使って頂けているのかも分かりません。私は嫌われているから⋯⋯」


 私はふとルイス皇子から手渡されたハンカチを思い出した。そういえば、ハンカチには帝国の紋章にルイス皇子のイニシャルが刺繍されていた。花嫁修行とはとても繊細な技術を習得するもののようだ。私はいついかなる時も皇子を守れるよう体を鍛えているのかと勘違いしていた。

(もしかして、あのハンカチはレイリン様が渡したもの?)


「こんな素敵で美しいお嬢様が、気持ちを込めて刺繍をしたハンカチを送られて心が動かないのであれば彼は男色です。レイリン様は気持ちを言葉にして伝えましたか? なんだか男という生き物を完全に理解するのは難しいような気がします」


 人の気持ちなんて分かりたくても想像するしか手立てがない。

 セルシオの気持ちを常に想像して来たけれど、その答えを明かされた時は彼が絶命する直前だった。


「アリアドネ様は本当に元奴隷などを愛しているのですか?」


 レイリン様が自分の言葉が失言だと気がついて、気まずい顔をしたのが分かった。


 まだ若いカルパシーノ王国とは異なり、パレーシア帝国は歴史があり厳しい身分制度のある所だと聞いていた。


 彼女の疑問は彼女の生まれからすると当たり前に持つものなのかもしれない。


 「セルシオ国王陛下が元奴隷ならば、私は今現在奴隷です。彼に囚われた愛の奴隷です。彼の為なら何でもできる⋯⋯自ら私は彼の奴隷に志願したんです」


 私の言葉に彼女が目を丸くして驚いているのが分かった。


 彼女の価値観がどうであれ、私は誰かがセルシオ見下すのは嫌だった。

 見下す相手が必要なのであれば、そんな彼のことを想ってやまない私を見下して欲しい。


「アリアドネ王女! 少し話そう。レイリン、失礼する」


 バルコニーに続く扉から顔を出したのは、ルイス皇子だった。

 私は彼に手を引かれ連れて行かれた。


 レイリン様の事が気になって、彼女の方を見たが深いお辞儀をしていて表情が見えなかった。

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