第9話

 地下の薄暗い空間に、一瞬砂嵐が吹いたような不快な音と共に赤い鎧を着た男が突然現れる。


 着地と同時に男の体は地面に崩れ落ち、力の入らない震える両手を地面について体を起こす。




「おのれ…! おのれ、勇者アキヒロ……!!」




 ゾラム、それが男の名前。


 魔道皇帝アデス=ジンエグリースの側近であり、火炎魔法の一点において絶対の主たる皇帝に迫るとさえ言われた魔法使い。


 それ程の男が、一方的に負けた。


 勇者アキヒロ。このアステリア王国の連中が【勇者召喚】で異世界から呼び出したと言われているあの闇色の髪の男に。


 話に聞く限りは大した相手ではないと思っていた。


 自分と同じ皇帝の側近であるヤザムが討たれたと聞いた時も、いつもの奴の慢心で足元を掬われたのだと…。


 だが、実際に相対して理解した。


 コイツはヤバい! と。


 何かしらの肉体強化系スキルを持っているのは間違いないが、それだけなら驚異度は低い。問題は、それに合わせて魔法を打ち消すあの忌々しい剣…ブレイブソードを奴が持っている事だ。


 近接で圧倒的な強さを誇る肉体強化のスキルに、魔法を無効にする剣。自分達魔法使いにとっては天敵と言ってもいい。


 奴に単騎で勝てるのは恐らく皇帝しかいない。




「くっ…情けなし…これ程無力とは…!」




 勇者との戦い。負けを予感した瞬間にハーフポータルであの場を離れるのがやっとだった。この地下を転移先に選んだのは、下手な場所に逃げても追手をかけられる可能性が頭を過ぎった時に、たまたま視界の端に自分が開けた穴が見えたからだ。そこそこの深さはありそうだったので、地下ならば見つからないだろう、と。


 しかし、街の地下にこんな空間が在る事には驚きを隠せなかった。


 いや、こういう秘密の場所がある事は予感していた。


 皇帝はこの国ではなく、このルディエに執着している。おそらくだが、皇帝はこの街か城に隠された何かを探しているのではないだろうか? というのがゾラムの読みだった。


 そんな考えが頭にあったからこそ、この場所にその何かがあるのではないか、とすぐに思考が回る。


 勇者への敗北も、その何かを発見する事で払拭できる。


 恐らく、皇帝にとっては側近である自分でさえ大した価値は無い。いや、あの圧倒的で絶対的な個である皇帝にとっては周りの全てが雑兵であり等しく無価値だ。


 使える駒なら使うし、使えないなら切る。


 そして敗北者である自分はこのままでは使えないと判断して切られる事になる。


 それは、忠誠心ではなく恐怖であった。


 痛みと疲労で動かない体を、皇帝への恐怖が支配して無理やり動かす。


 鎧の重さが今は辛い、が、いつ追手が現れるか分からない以上この場で防具を脱ぐわけにはいかない。仕方なく、少しでも身を軽くする為に、腰に巻いていたロングソードとナイフが収まっているベルトを解いて捨てる。


 防具は無いと困るが、魔法がメインの自分にとって近接武器はほぼ飾りだ。一応、それなりに訓練はして、ビショップ級の黒くらいの相手ならば渡り合える腕があるが、実戦でその腕を使った事は一度も無い。近付かれる前に魔法で潰すからだ。


 しかし、だからこその今回の勇者への敗北だったと言える。


 魔法への自信は過信となり、勇者に距離を詰められても武器を抜く判断に頭が中々切り替わらなかった。だからこその迷うくらいならば、始めから近接戦闘は捨てるという彼の覚悟でもあった。




「む…? 何だ、あの赤い光は?」




 暗闇の先に、何かが赤い光を放っていた。


 光を目指して歩く。


 近付いてみたらすぐに分かった。自分には良く見慣れた物だった。


――― 焼死体。


 小柄な焼死体。多分男…と思われるが、ここまで酷い有様だと年齢どころか性別の判別もできない。ともかく、その小さな焼死体が体を丸めるように横たわっていた。体中の肌が焼けただれ、衣服だっただろう布切れが焼死体の周りに焦げて落ちていた。


 上を見上げると、自分が魔法で開けた穴から薄らとした月明かりが射しこんでいた。


 そう言えば、あの穴を開けた【デスペラード・フレア】を討った時に誰か巻き込まれていたような気がする。




(とすると、この焼死体がそれか? それに、焼死体の横にある骨は? こいつも私の魔法に巻き込まれたのか…? 違うな、肉体をここまで焼く程の火力は出せない。だとすると、この骨は無関係か。いや、それよりこの焼死体―――)




 光っている。


 正確には、焼死体の全身に浮かび上がっている直線と螺旋で描かれた不思議な模様が赤い光を放っている。




(まさか、生きている!?)




 頭の中を過ぎった考えを即座に打ち消す。


 散々人を焼いてきた自分の経験では、このダメージで生きている人間なんて居ない。居る筈がない。


 その時―――、




「ッ!!!!!?」




 ゾワリとした寒気が背中を這う感覚。




(今、目の前の焼死体が俺を“見た”?)




 眼は開いていない。でも、今確かに焼死体に見られたと感じた。少なくても、この焼死体の意識が自分に向いた。


――― 死んでいるのに?




『去…レ……』


「ッ!?」




 声だった。焼けただれた唇が微かに動いて、声を吐きだしていた。




『コ……ロ、ス……ゾ…』




 去れ、殺すぞ。


 言った意味は分かる。だが、分からない。


 何故死体が話すのか?


 判断に迷う。このまま退くべきか、それとも、この焼死体にトドメを刺すか。


 迷ったのは一秒にも満たない一瞬。


 目の前にあるそれは、死体ではあるが死人ではない。ゾラムの感覚が目の前の未知の存在を全力で排除しろと警告している。コレは皇帝の道に立ち塞がるであろう絶対的な驚異だ、と。ならば、この場で確実な死を与える以外の選択肢はない。そもそも、この焼死体がいずれ驚異となる可能性があるのなら、この死にかけ…いや、死んでいる今が好機ではないか。


 今撃てる最大級の魔法を詠唱しようとした瞬間。


 焼死体の纏っていた赤い光が膨れ上がる。


 炎ではない、もっと単純で、もっと凶悪な見えない―――熱の壁。




「あっ、ぃギイイイィィィッ!?」




 魔法を撃つ為に突き出していた右腕が熱の壁に触れて、瞬時に灰となって地面に落ちる。


 熱の壁は更に広がって追いかけてくる。




(何だ!? 何だコレは!?)




 数えきれない人や魔物を焼いてきた自分の炎。それとはまったく異質の熱の攻撃。理解できるのは、自分にどうこう出来るレベルの物ではないと言う事。そして、この場に留まれば殺されると言う事。




「【ハイ・ポータル】!!」




 右腕から頭に昇ってくるとてつもない痛み。それをなんとか意識の外へ追い出して上級転移の魔法を即座に発動させる。


 目の前の景色が歪んで転移が開始される。


 アレは一体なんだったのか、正体が掴めなかったのはこの際仕方ない。だが、この先驚異となる事は自分の失った右腕が証明している。


 皇帝へ報告しなければ。


 ≪赤≫を纏う化物の事を―――…。

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