赤鏃(セキゾク或いはあかやじり)

糸田三工

第1話 序章

2020年11月


 世界最高の権力者を決定するA国大統領選挙は史上に残る泥仕合の様相を呈している。


 事前予想は大統領選挙に合わせて、上院下院共にD党が圧勝するブルー・ウェーブが叫ばれたが、実際にはR党が善戦しており、途中経過ではR党所属である現職大統領の圧勝と思われたが、幾つかのスイングステートにおいて深夜の集計作業で不可解な大逆転が起きて、D党所属の前副大統領が過半数を占めて早々に高らかに勝利宣言を行った。


 現職大統領は選挙結果を受け入れず、Cupid19ウイルスの影響で外出制限による大量の郵便投票がD党有力支持団体である郵政労組が大規模な不正を企み、S社が開発した集票機DはC党国家であるVZ国、Q国及びC国の影響下にあると主張し、複数の大物弁護士による大規模訴訟を開始した。


 選挙結果については帰趨を見守るしかないが、個人的な見解となるが、地味な存在であり続け、40年のキャリアを居眠り屋と揶揄される前副大統領が、ノーベル平和賞を受賞した(期待感だけでの受賞ではあったが)カリスマ前大統領の得票数を上回った事実及びスイングステートの投票率が異常値を示す二点の事実から何らかの不正はあったと類推される。


 また、現職大統領が選挙前から不正を予言していたこと及び人権団体の仮面を被った過激派が騒擾行為(大手メディアは略奪の横行等の暗部を隠蔽したが)を実施しており、連邦軍の派兵に慎重であった国防長官や選挙の正当性を主張した幹部の馘首も相次いだ。


 大手メディア及びプラットフォーマーは治安を維持するとの立場から前副大統領の子息が絡む醜聞には沈黙を保つ反面、現職大統領の支持者による発言は検閲が為され、アカウントを凍結する強行措置も発動された。


 駐留軍の費用や貿易で敵対関係にあったE州でC国と近いとされるD国は逸早く前副大統領との外交を開始し、F国、IT国、S国等も乗り遅れることを危惧して、雪崩打つように祝福の親書を送り選挙結果を受け入れ始めると首相がCupid19に罹患したG国は現職大統領と共に反C国の急先鋒となっていたので、閣内で足並みが揃わないものの受け入れ準備をしている模様である。


 現職大統領が対C国への圧力を再強化させた為、C国も中立を捨てたが、冷戦時代の相手国である旧S国を引き継ぐR国、A国と地政学的にも近く、Cupid19で手痛い目に遭ったB国及びM国等は中立を守り続けている。


 選挙の結果は裁判若しくは上下両院による裁定を仰ぐ可能性を孕み、予断を許さない状況であるが、一つだけ紛れもない事実は、超大国であるA国と同盟国の絆に楔をうち、分断を図るという目的だけは間違いなく、果たされたのだった。


 A地域における自由貿易圏RについてはC国への貿易赤字が拡大することを懸念し、国内産業の保護を訴えたIN国が参加を見送った。


 Cupid19の国別感染者数上位はA国1100万人超、IN国900万人弱、B国600万人弱、F国200万人超、R国200万人弱であり、死者数上位はA国25万人超、B国16万人超、IN国13万人超、M国9万人超、G国5万人超となっている。


 証券会社の同期であり、中部地区の最大都市であるN市に集中配属され、同じ釜の飯を食った仲間である彼から連絡を受けて、これらの概略について説明を受けた。


 同期と言っても彼は私大の王者を卒業して就職してエリート路線である本社でなく、敢えて営業を希望してファイナンス理論の実践を試みたものの、旧態依然の現場は彼の理想と著しく乖離しており、顧客との利益相反関係にあるビジネスモデルにも不信を抱き、二年弱で見切りを付けて、退職すると大学院に進学し直して、社会学を専攻していた。


 「博士論文で「感染症発生時における情報公開」を題材に現在進行中のCupid19と大手メディア及びプラットフォーマーの影響を2003年のSARS及び2010年のアラブの春と比較検討したい」とアカデミックな内容であることを強調した。


 優柔不断な私も彼に遅れること十年後、退社して過去の些少な貯蓄を食い潰しながら、決して上品とは言えないフリーライターとして糊口を凌いでいた。


 突然の彼からの連絡に戸惑っていたが、研究室に所属していても所詮は非正規雇用の助手では貧乏暇なしであり、体の良い下働きと割り切って承諾した。


 「博士論文として採用された後であれば、引用である旨記載さえすれば、煮るなり焼くなりお任せします」と日頃の鬱憤を晴らすようにマウンティングをして


 「フィールドワークまでに過去半年の世界の重大ニュースと感染症及び大手メディア及びプラットフォーマーについて最低限のリテラシーが必要です」と俄仕込みである助手の助手に対して、命令口調で指示をした。


2020年10月


 大統領選挙の直前、前副大統領の子息は叔父が保有する有限責任事業組合を通じて、財務諸表の裏付けがない疑惑の財務諸表の裏付けがなく、新興宗教の子息やネズミ講の容疑者等により設立されたヘッジファンドP社の株式を取得した事実が発覚した。


 U国の天然ガス会社から月額5万ドルの報酬を受けていた疑惑や前副大統領がC国を訪問した際に同行訪問し、C国の銀行から10億ドル一説によると15億ドルが振り込まれた疑惑、薬物使用で海軍予備役を不名誉な除隊処分を受けていた事実や亡くなった兄の未亡人との不適切な関係や未成年であるC国人女性との不快な行為の疑惑を含むノートパソコンの存在が明らかになったが、D党は現職大統領の再選を望むR国の陰謀と声高に訴え、大手メディア及びプラットフォーマーは不可解な沈黙を守り続けた。


 大統領選挙のテレビ討論会は政策でなく、罵倒し合うだけの史上最悪の結果となり、現職大統領の発言が遮られる等、民主主義の弱点を露呈する有様となった。


 現職大統領の周辺がCupid19の感染者を出すと本人も感染が確認され、一時隔離されることとなった。


 C国の重要会議では2035年までという異例の長期に亘る目標が決定され、終身指導者を視野に入れた国家主席の基盤を拡大させる経済長期構想が採択された。


 C国が提唱する一帯一路及び真珠の首環によって周辺国が債務の罠に陥り、港湾施設等を割譲される現状に危機感を抱き、J国が提唱する自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて、A国、AZ国、NZ国、IN国の外相は会合を定例化することを決定した。


2020年9月


 南太平洋では莫大な資金を背景にC国が圧力を掛け、国家として断じて認めないT国との国交を断絶させ、分断による独立を画策する動きが盛んになっている。


 Cupid19を巡るワクチン・ナショナリズムが世界に拡大する中でC国の影響力が高まり、物議を醸している国際機関Wの迷走が続き、C国は途上国に対するワクチン外交を急速に展開している。


 R国大統領にとって最大の政敵が毒物使用の可能性のある体調不良でD国の病院で治療を受けることになった。


 同時多発テロから19年の追悼式典もCupid19の影響から犠牲者の読み上げは事前に録音された音声となり、国内の分断が深まったと回答したA国人は7割を超える結果となった。


2020年8月


 世界最大の大富豪はA社の創業者であるBと公表されているが、C国の実力者1000人はS銀行に総額1兆ドル以上の隠し口座を持ち、元国家主席はBを遥かに凌駕する資産を海外に有することが暴露された。


 皮肉なことに不正蓄財の源泉となった巨大Sダムが異常気象による豪雨が直撃し、Cupid19の発生源とされるC国U市周辺も水没する事態となり、決壊の危機に瀕していると連日報道された。


 紛争、内線等による弱い立場である難民は劣悪な公衆衛生の下、Cupid19禍は深刻である。


2020年7月


 T門事件30年の苦い経験からC国は、Hの反政府的な動きを取り締まるH国家安全維持法の制定を強行して、A国、G国等5か国で構成されるファイブ・アイズとの攻防が激しくなっている。


 C国の民主化運動であるT門事件の象徴的な存在であったN平和賞受賞者R氏が亡くなって3年を経て、肉声テープが発見された。


 C国依存が強まっていたE州では安全保障や技術の流出を懸念が高まり、Cupid19を利用したマスク外交、H国家安全維持法の制定から強く反発して、C国離れの動きが加速する一方で、A大陸首脳及び国際機関Wの事務局長は危機に瀕して、更なるC国依存を加速させている。


 R国大統領の続投を可能にする憲法改正の全国投票が実施され、得票率78%で承認され、同時に対J国戦勝記念日の軍事パレード実施が決定した。


 C国移民による人工都市の典型であるS国は言論及び集会の自由を制限し、金融立国を推進しているので、労働者は出稼ぎ外国人に依存しており、Cupid19の影響が大きく圧し掛かっている。


2020年6月


 A国とC国の対立が激化する中で、A国上下両院で超党派の賛成でU人権法が成立、100万人以上のU人等の少数民族が思想教育の強制や虐待が常態化する劣悪な収容施設に入れられている。


 C国の立場は人権、民族、宗教ではなく、反テロ、反国家分裂の問題と反論しており、前述の前副大統領の子息は監視に必要な基幹部分である顔認証システム開発会社への投資も判明している。


 C国とIN国の国境地帯で45年ぶりに死者が出る紛争が発生、隣り合う核保有国は人口で世界第1位と2位の両大国であり、当事者だけでなくI教国であるP国も絡み合う4000メートル以上の険しい山岳地帯は国境さえも画定していない。


 Cupid19の影響でC国にとって最大の試練が失業問題であり、拡大する国家主席の影響下で影の薄くなった首相が露店経済を一時的に推進させると発表したが、国家主席が即座に禁止した。


 大統領選挙を巡りCupid19の影響下で郵便投票を推進するD党対して、現職大統領は郵便投票反対の立場であり、不正の温床であり、用紙の盗難及び偽造が多発すると牽制した。


2020年5月


 Cupid19の発生源とされるC国U市在住の作家によるU日記の出版を巡って、指導部による徹底した言論統制が蔓延し始め、政府を称賛することを美徳とする攻撃的愛国主義がSNSで拡大している。


 C国は海洋進出を活発化させ、O県のSK諸島ではC国海警局の船舶が漁船を追尾し、3日間に亘って領海侵入を繰り返した。


 A国議会上院は株式市場に上場している外国企業への規制を厳格化させ、上場廃止も可能にするC国企業締め出しを狙った法案を可決した。


 2015年10月にHでC国C党に批判的な書籍を発行する書店の幹部が相次いで拘束される事件があったが、新天地であるT国に拠点を移し、営業を開始した。


 国際機関W総会にT国がオブザーバーの資格で参加を認められるかどうかに注目が集まるが、C国の猛烈な反対と事前工作により実現しなかった。


 始まりも突然であったが、終わりは更に衝撃的であった。


 「既に着手していたなら申し訳ないが「Cupid19は現在進行形であり、歴史的な評価が定まっておらず、学問及び報道は常に反権力であるべきなので、A国大統領選挙に纏わる都市伝説やフェイクニュースを扱うなんて論外だ」と担当教官に大目玉を食ったので、今回のことは忘れてくれ」と同期から一方的な最後通牒を突き付けられた。


 乗り掛かった船だと自分一人でも継続しようと依怙地になったこと、A国大統領選挙よりもCupid19とC国の動向に関心を持ったことが、振り返ると私自身に降り掛かる禍の序章であった。

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