不思議なレンタルDVD店
祐里(猫部)
1.眩しい光は入口でした
インターネットを介して様々なサービスが提供される昨今、中でも動画配信サービスは不動の人気を誇っている。高校三年生の
「保険証もあるし、私服だし、これで大丈夫だよな……?」
訪れたはずの春は姿を隠しているのか、午後二時を過ぎても気温は上がらず、重く垂れ込めた雪雲からは淡雪が降っている。地面に落ちるとすぐに溶けていく湿った雪が傘を持っていない伊織のダッフルコートや髪も濡らすが、本人は気にしていない。店の自動ドアは結露で曇っており、少々入りづらい雰囲気だ。それでも意を決して、伊織は自動ドアへと向かっていった。
「いらっしゃいませー」
自動ドアが開くと、あまりやる気を感じない男性店員の声が聞こえてきた。まずは洋画コーナーへ行き、徐々に目的の場所に近付いていくという当初の計画通り、洋画DVDが並んでいる棚へと足を運ぶ。
「らっしゃいやせー」
たった三十秒程で更にやる気がなくなったような店員の声が耳に入り、ふと入口の方を見ると、伊織の目に自分と同じような紺色のダッフルコートを着た男性が映った。二十代中盤くらいに見える長身の体にダッフルコートはよく似合っているが、どことなくくたびれた様子だ。
『ごめん、自分より小顔で色白でかわいい人は、ちょっと』
顔を動かした拍子にずり落ちた大きめのマスクを指で押さえ、正しい位置に戻していると、放課後の教室で好きな女子に告白した時に言われた言葉が思い出される。つい先月のことだ。
伊織は誕生日が三月で、子供の頃は同じ年齢のはずの子たちと体格差で苦労してきた。それも高校生になれば、差などほとんどわからなくなると思っていた。が、現実はそうではなかった。三年生になった今でも身長はそれほど伸びず、ひょろっとした細身の体格はいくら食べても変わらず、顔立ちは子供の頃の面影を残しているため、幼い印象だ。
ぷるぷると小刻みに首を振ってみるが、苦い記憶は簡単には振り落とせない。しかし、そんなことを思い出している場合ではない。十八歳になったばかりの伊織には、一つの目標があるのだ。それは、エッチな動画を見ること。この年齢の男子なら普通のことだと自分に言い聞かせ、洋画のタイトルを見るふりをしながら十八歳未満お断りエリアへとゆっくり近付いていく。
よし、今だ、店員も見ていない――店員にはレジで保険証と一緒に必ず見られるのだが――と、伊織が十八歳未満お断りエリアに入ろうとしたその時、後ろから「おい」と声がかかった。恐る恐る振り向いた先には、伊織のすぐあとに入店した男性が立っている。
「……僕に、何か……?」
「まだ中坊だろ。邪魔だ」
「ちゅっ、中坊なんかじゃないです」
突然知らない人から引き止められ、慌てて否定すると、男性の顔がどんどんしかめ面になっていく。
「嘘つくな。どうせ借りることなんてできないんだから、大人しく坂下でも見てろっての」
「えっ、ちょっ、サカシタって……?」
自分の名字を言い当てられたのかと、心臓が早鐘を打ち始めた。目的に向かって突き進んでいた伊織には、その鼓動さえ邪魔に思える。
「坂下、部活やめるってよ」
「何ですか、それ」
「えっ、おまえこの映画知らないの? マジで? 嘘だろ……そんなに古い映画だったっけ……」
「ぼ、僕が何を見てもいいじゃないですかっ。それに僕はもう十八歳ですっ!」
ぷんぷん怒りながら斜めがけバッグから取り出した保険証をずいっと差し出すと、男性は伊織の氏名と生年月日の小さな文字を凝視した。
「……おまえ、坂下っていうのか……しかも本当に十八歳……」
「だ、だから何ですか!? とにかく、もう十八歳なんです!」
「わかったわかった、悪かったよ。俺は
男性の胸ポケットの財布からさっと出された運転免許証を見せられる。正直どうでもいいんだけど……と内心では思うが拒否まではできず、伊織は男性の氏名と年齢を確認した。年齢は八歳年上の二十六歳、推測どおりだ。
「……何か、ありがとうございます……? じゃあ、僕は奥へ……」
「俺もそっちに用事がある」
「はぁ、そうですか」
「巨乳は正義だ」
「はぁ、そうですか」
精悍な顔立ちで艶のあるいい声なのに、角が擦り切れているビジネスバッグや曲がったまま肩に乗っているダッフルコートのフードなどのせいで、野間は疲れたサラリーマンにしか見えない。しかもその声で言う言葉が「巨乳は正義」。「大きな胸に挟まれたいんですか」と聞ける間柄でもない人と一緒にアダルトコーナーに足を踏み入れるのは恥ずかしいが、彼も自分と同じ客なのだと思い、我慢することにした。
「でもさ、何でレンタル? 今時パソコンとかタブレットとかで見ることもできるだろ」
「……うち、そういうの厳しいので……セキュリティが……」
「まだ高校生だから?」
「はい……もう卒業式も終わったのに……。でも、セキュリティゆるめてほしいって言い出せないんです」
「あー、そういうのって言いづらいよな」
「ですよね……。で、今日は親が旅行でいないんです。一泊ですけど。だから……」
「チャンスってことか」
「だから、邪魔しないでくださいっ! 僕は、絶対に、借りるんです!」
「わ、わかったから。悪かったって。んじゃ俺のおすすめ教えてやるよ」
「おすすめ!」
「いいか、アダルトって一口に言っても色々あるんだ。まず、会社によって作りがしっかりしてるところと、そうじゃないところがある」
引き止められた時には怒りを覚えたが意外と話が分かる大人なのかと、野間の言うことにこくこくうなずく伊織がアダルトコーナーに右足を入れた瞬間、真っ白な光が周囲を取り囲んだ。目を開けていられないくらい眩しくて腕で目を隠そうとするが、視界はどんどん白く染まっていく。
「な、何っ!? 野間さん!」
「何だこれ!? 伊織!」
「えっ、下の名前!?」
「坂下、部活やめるらしいから!」
「いや僕それ関係な……眩しい……!」
すぐそこにあったはずの薄暗いアダルトコーナーが、遠い。一歩足を踏み出すだけだった、夢にまで見たアダルトコーナーが。マスクを着けていても童顔だとこんな風にセキュリティに引っかかってしまうのだろうか、どこもかしこもセキュリティセキュリティ、監視社会になったと人々が苦言を呈するのはこういうことなのだろうかと、どんどん溢れてくる光の中で、伊織の頭は考える。ただ――
「もう十八歳なのにーっ!」
――伊織は、アダルトコーナーへ行きたいだけなのだ。もう十八歳なのだから。
「だからそれは悪かったって!」
ぎゅっと目をつぶりながら野間の見当違いなセリフを聞くと、まぶた越しにだんだんと光が消えていくのがわかり、伊織はそろそろと目を開けた。
「……ここ、どこ……?」
「わからない……俺の知ってる場所じゃない……」
眩しい光の洪水が収まり、目が慣れてから最初に二人が見たものは、朱色の鳥居だった。
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