よりサッカーを楽しむためのコラム・エッセイ

高坂シド

第1章 2022 カタール・ワールドカップ

01・サッカー・ワールドカップと日本のサッカー史

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このエッセイは、2022年のワールドカップ期間中に書かれたものです。

2022・カタール・ワールドカップのときのことを一通り掲載して、2024・カタール・アジアカップのことを書いていきます。


※ データも、2022年当時のものを採用しています。


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 サッカー作品を主に書いている高坂シドと申します。

 いよいよ明日から、FIFAワールドカップ・カタール大会が始まりますね!

 表に言えないこともいろいろあるようですが、4年に一度の祭典です。

 私は楽しもうと思っています。


 ワールドカップとは一般的に、FIFA(国際サッカー連盟)が主催する、サッカー・ワールドカップを意味します。

 サッカー・ワールドカップ、オリンピックがスポーツ界の二大巨頭です。


『おまえ、知っているか。〇〇〇〇はサッカー・ワールドカップとオリンピックに並ぶ、三大スポーツの祭典なんだぜ』

 と言いながら、スポーツ漫画の説明役が、そのスポーツの最大の大会を述べて主人公が驚くシーンがよくありますが、この2つに並ぶ3つめはないと言っても過言ではありません。

 ひとつのスポーツで、これだけの規模の大会が行われること自体が、あまりないからですね。

 サッカーが世界で一番浸透しているスポーツだからでもあります。


 それは貧困脱出の方法として金持ちになるために、プロサッカー選手になることが比較的費用が安価で手っ取り早いため(丸めた靴下でもあれば、それで充分)で、皮肉にも世界の貧しさがサッカーの普及をより進めて、更にそのレベルを急速に上げている、とも言えます。

 

 ワールドカップの誕生のきっかけは、FIFAの当時の会長ジュール・リメと、フランスサッカー連盟の当時の事務局長アンリ・ドロネーの功績によるものです。

 ジュール・リメはその功績を称えられ、1970年のワールドカップまで、そのトロフィーはジュール・リメ杯と言われていました。

 ブラジル代表がペレとともに3回目の優勝を遂げたとき、ジュール・リメ杯はブラジルが永遠に保有権を持つようになりました。

 しかし、その後盗難に遭い、今ではどこに行ったか、わかりません。




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 日本ではオリンピックが重要視され、ワールドカップ予選はオリンピックのための強化の場でした。しかし、外国ではオリンピック・サッカーは『アマチュア』がプレーする場所であり、注目度が高くありません。


 日本代表がアジア予選に参加したのは1954年のスイス大会からです。

 アジア予選に参加したのは日本と、韓国、中国(棄権)だけで、日本と韓国の一騎打ちでした。

「負けたら玄界灘に身を投げろ」と大統領に言われた韓国代表の意気はすさまじく、日本は1-5、2-2で敗退します。

 日韓戦の始まりだとも言われています。

 日本人が韓国に入国することを認めなかったため、2試合とも日本のホームでした。

 

『日本サッカーの父』ドイツ人コーチ、デットマール・クラマーにより東京オリンピックで躍動した日本代表はメキシコ・オリンピックで3位に輝きます。サッカーブームが起き、日本サッカーリーグ・JSLが発足しますが、人気は一過性のもの。

 エース・釜本邦茂がウィルス性肝炎を患い、日本はワールドカップというものを知らずに過ごすようになります。 


 1985年のアジア予選で日本は最終予選まで足を運びます。木村和司の伝説のフリーキックもありましたが、またもや韓国相手に敗退。

 一足先にプロ化していた韓国を見た日本サッカー協会は事態を重く受け止め、日本サッカーリーグ・JSLをプロ化することを強く望みます。


 日本はワールドカップ出場を本格的に目指して、1993年にプロ化します。

『Jリーグ』誕生です。

 しかし『ドーハの悲劇』が起こり、1994年のワールドカップを逃すこととなります。




 日本はワールドカップ招致に乗り出しますが、第一回の大会を除いて初出場が開催国枠ということはありませんでした。

『俺たちのフィールド』という漫画をご存じであるならわかると思うのですが、『弱き国、日本はその出場権を金で買った』と言われる事態が起きそうになったのです。

 イランとの第三代表決定戦、『ジョホールバルの歓喜』を経て、日本は1998年フランス・ワールドカップに出場を果たしますが、三戦全敗。

 岡田武史監督がエース・フォワード、カズこと三浦知良を直前でメンバーから外し、チーム内に動揺が走ります。

 それまで代表の顔であったカズ。批判も一身に背負ってきたのですが、チームの精神的支柱を失い、新エースに指名された城彰二はプレッシャーに負けてしまい、帰国の便で水をかけられる事件が起きるのです。

 中山雅史が、ジャマイカ相手に、日本のサッカー史初のゴールを記録しただけに留めることとなります。




 ホスト国は今まで、予選リーグで敗退した例がなかったのです(2010年の南アフリカが初)。

 2002年の日韓ワールドカップにて、日本は予選リーグを突破し、ベスト16になります。

 熱狂の渦が日本中を巡ります。

 当時、外国からは「日本人は、外国のチームのユニフォームを着て他国を応援する!」と騒がれました。

 イングランドの貴公子デイビッド・ベッカムの金髪モヒカンヘアーが男性に流行り、トルコのイルハン・マンスズがその美丈夫っぷりから女性に人気が出ました。

 当時、日本代表を率いていたフィリップ・トルシエ監督のことを「金額分の仕事はした。けれどもお釣りはなかった」とセルジオ越後氏が述懐しています。




 2006年 ジーコ監督

 小野伸二をはじめとした黄金世代が全盛期を迎えた日本代表。

 オーストラリア相手に先制点を取るも、チグハグな試合を続け1-3で敗れます。

 予選リーグ最終戦のブラジル相手に、2点差で勝たなければならなくなりました。玉田圭司のゴールで先制するも、それが結果的にライオンの尻尾を踏んでしまい、本気になったブラジル相手に1-4で惨敗。最後には、余裕のゴールキーパー交代という屈辱に見舞われながら、予選リーグで敗退。

 1998年からのエース・ミッドフィルダー、司令塔・中田英寿が29歳で衝撃の電撃引退!




 2010年 岡田武史監督

 日本代表は、本田圭佑が暴れまくります。

「日本は、ホンダのコピーを作りまくればいい」と、名古屋グランパスを率いたこともある世界的名将アーセン・ヴェンゲルは言いました。

 予選リーグ最終戦の対デンマークでは日本は、何とフリーキックを一試合に2本も決めました。ワールドカップにおいて、1つのチームが一試合に直接フリーキックを2本決めたのは44年ぶりでした。

『本田△』(本田さん、かっけー)というネットスラングができたのも、この頃です。

 ベスト16にてパラグアイ相手にPK負け。

 日本も決勝トーナメントの厳しさ・難しさがわかってきたか、と海外で言われるようになります。イタリア代表など、三大会連続PK負けをしたことがあるのですから!




 2014年 アルベルト・ザッケローニ監督

 日本代表は本田圭佑や、長友佑都などが「ベスト4も狙える」「優勝を目指してもいい」と散々サポーターを煽った末、あえなく予選リーグ敗退。

 特にコートジボワールとの一戦ではリードしていたにもかかわらず、アフリカの英雄ディディエ・ドログバが途中出場すると空気が一変。逆転されてしまいます。

 これは、キャプテンの長谷部誠が事前に交代していて、フィールドの統率を計るプレーヤーがいなかったからだ、とも言われています。

 負けていた日本は、吉田麻也を前線に上げてパワープレーに出ましたが、駄目でした。本来ならパワープレー要員であるはずの194cmの長身フォワード、ハーフナー・マイクをメンバー選考外にしていたのです。

 初戦を落とした日本は、2敗1分で大会を後にします。

 2戦目のギリシャ戦は、ギリシャに退場者が出たにもかかわらず0-0の見どころがまったくない塩試合。海外では「見ていて損した!」と声が挙がりました。

 私も「日本人じゃなければ、こんな試合観なかった」と思ったものです。

 ワールドカップ本戦でもただ勝つのではなく、面白い試合をすることが日本代表にも求められるようになってきました。 




 2018年 西野朗監督

 大会直前、指揮を執っていたヴァヒッド・ハリルホジッチ監督が電撃辞任!

 冷遇されていた選手たちがクーデターを起こしたといわれています。後任は強化部長であった西野朗。

 日本代表は、予選リーグを『フェアプレー・ポイント』で勝ち抜きます。

 予選リーグ最終戦の対ポーランドでは、負けているにもかかわらず後ろでのボール回しが続き、物議を醸しました。

 西野監督の賭けでした。それに勝った日本は、決勝トーナメントへとブーイングを受けながらも歩みを進めます。

 しかし、ベスト16でのベルギーとの死闘は、この大会でのベストバウトに選ばれる出来でありました。『ロストフの14秒』と呼ばれる、その逆転劇は世界中から賞賛を受け、また日本の甘さを指摘されました。




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 さて、2022年・カタール大会、我らが日本代表はどうなるのでしょうか?

 1998年にはひとりもいなかった海外組。

 2022年では海外でプレーする選手だけで、スタメンを組めるようになってしまいました。

 ドイツ・スペインという優勝経験国を相手に、どのように振舞うのか。

 もちろんコスタリカもゴールキーパー、ケイラー・ナバスを中心とした手強いチームです。


 眠い眼をこすりながら、彼らの戦いを拝見したいと思います。




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サッカー小説を描いています。


『【サッカー大河ドラマ】タマシイを抱いてくれ ~168cmの日本人サッカー選手が駆け上がるバロンドールへの道~』


父が元日本代表、兄が現役A代表というサッカーの名門の家系に生まれた少年・向島大吾。彼は小学生6年生の時点で168cmある、フィジカルを頼みにした大型フォワードであった。

だが、高校2年になった今でも身長は相変わらず168cm。彼はただ周りと比べて早熟なだけだったのだ。

武器であったはずのアスリート能力は失われ、もはや彼には備わっていない。

劣った運動能力は逆に足を引っ張ることとなり、よくある凡百のサッカー人生を終えるかと思われた。

しかし、大吾はそのあと基礎技術を徹底的に磨き、テクニック特化の選手として、愛情・憎悪・さまざまな思惑が満ち溢れた魑魅魍魎が行き交うプロサッカー界の大海を泳ぎ生き抜いていくこととなる。

彼のプロ生活は、前人未踏のフリーキックでの4得点を達成することから始まる。

プロ・フットボーラーとしてキャリアを過ごしていく中、大吾は『ファンタジスタ』としてある特殊能力に目覚めていって……


気になる方は、こちらへどうぞ!

https://kakuyomu.jp/works/16817330649478561175

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