列車の中で


 百年前と違い、ワインスレーにも列車が配備されている。様々な小国で成り立つワインスレーにもリディアスが『恩』を売り始めたともいえるのかもしれない。

 しかし、ディアトーラだけはそれを断った。


「お心遣い傷み入ります。しかし、ディアトーラは他国とは違う性質を持っているということはご存じであらせられましょう。どうか、お気を悪くされませぬように、深く深くお願い申し上げます」

 だから、線路は隣国のエリツェリまでになった。リディアス国立研究所で働いたことのあったアースだから断れたのかもしれない。当時の研究所所長が目を掛けていた秘蔵っ子であったということもあったのかもしれない。さらに言えば、当時の皇后様は双子だというアースの顔を気に入ってらっしゃった。この顔が二つもあるの? 面白いわ。鏡みたいですこと。いつか二人を並べて見てみたいものだわ。

 その悪意のない天真爛漫さはおそらくルディにも引き継がれているのだろう。


 実際、国王が頷いた理由としては、隣国まで物資を運ぶことができたなら、ディアトーラに攻め入るに容易いからだろう。リディアスはだから了承したのだ。

 それにディアトーラが心配していたことは、リディアスが攻め入ることではない。財を求めるすべての民衆を警戒しているのだ。ときわの森にはそれほど大切なものがあるのだから。

 いや、本当は魔女なんかよりもずっと恐ろしいものがあるのだ。ルディはまだ知らないのだろうけど。


 列車は一定のリズムを刻み、まるで催眠にかけられるかのように気付いていなかった疲れを思い出させ、眠りを誘うもののようだった。

「よほど疲れたのかな……」

 ルディのその視線の先にある者は、カズだった。

「慣れないわたくしのお守りにお疲れになったのでしょう」

「カズが?……。まぁ、エリツェリに着いたら御者をしてもらわなくちゃならないしね」

 ルディの言葉にルタが柔らかい微笑みを浮かべる。カズがこの場で安心して眠ることができる。それがルディもルタも嬉しいのだ。


「あのさ、それそんなに大切なものなの?」

 しばらくの沈黙の後、ルディは、ルタがずっと肌身離さず持っているものがやはり気になって尋ねた。そして、ちらりカズを見遣り、その箱に視線を移動させた。そして、ルタは珍しくその返答を詰まらせ、視線を合わさずに答えた。

「カカオットというお菓子だそうです」

「カカオット?」

 聞いたことのないお菓子にルディが訊き返すと、ルタが「えぇ」と答える。

「原料はココアと同じらしいのですけど、若い娘が目新しすぎて売れないと困っていたものですから……」


 そして、その娘が教えてくれたのだ。

 いつもお世話になっている人に渡したり、大切に思う人に渡したり、自分の『愛』を伝えるために渡すこともあったりするということを。そして、ルタにとってカズもルディも大切な人間である。

「だから、カズにも差し上げたのです。疲れを癒す効果があるらしいので」

「あぁ。だから、同じ箱もってたんだ……」

 ルディはなんとなく肩の力が抜けて、乾いた笑みを浮かべてしまった。


「これは、ルディに渡そうと思っていたものです。渡してもいないのに、持っていただくことはできませんから、いつお渡ししようかと悩んでいました」

「くれるの?」

「えぇ。一日お疲れ様でした」

 小箱を手渡され、目を輝かせているルディを見ていると『買ってよかった』とルタは思う。どこか安心する気持ちもある。


「開けてもいい?」

「えぇ……」

 しかし、言葉をかければかける程、何かがルタの中に塵のように積もっていくのだ。僅かにもやもやする何か。それは、なぜか喜ぶルディを見ていると増えていき、その塵の中に埋もれてしまう恐怖にすらルタには感じられてしまう。

 ルディは本当に喜んでいるのだろうか。無理はしていないだろうか。私がいるといつか彼を深く傷つけてしまうのではないか。どうして彼の前から『消え去る』を選ばなかったのだろうか。そんなものが塵となりうず高く積もっていく。


「一つだけ違う形」


 ルディの声に慌てて小箱を覗き込むと、一つだけ猪目形があった。彼女が『ハート』と呼んでいたものだ。そして、思わず、声を大にしてしまった。

「店の者が間違えたのです。それはお食べにならないでください」

 ハッとして口を押さえたルタは、思わずルディから目を逸らしていた。

「どうして形が違うといけないの?」

「……それは、『相手に自分が好意を寄せていることを伝えるため』の形だからです。おそらく、わたくしの言う『好き』とは別の……だから、それは……召し上がらないでください。嘘を、食べないでください」

 ルタが人の目を見ずに話をするのは珍しい。


「ふーん……この形にはそんな意味があるんだね。分かった。食べない」

 ルディが少し寂しそうに笑うが、ルタは俯いたままなのでその表情には気付けなかった。そして、ルディが少し考えて明るく努めた。

「じゃあ、これは僕からルタ様へ。僕の気持ちは確実にこの形だから問題ないよね」

 ルディがハートを摘まみ、ルタの掌に載せた。


「その子、困ってたんだよね。じゃあ、お土産の一つに加えよっか。まだ二週間ほどあるし、カズに頼んでおくよ」

 カカオットをかじったルディがハートの置かれていた場所を見つめ、静かに言葉を落とした。



 リディアス王がもし気に入れば、売れない心配はしなくて済むようになる。


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