第90話

「留学?!何故?」


「勉強の為……もありますが、他国に行けば私の命が狙われる事もありませんし、今ステラ様が懸念されている事も解決すると思うんです」


「確かに……でも、そんな急に……」


私は何を躊躇っているのだろう。別に問題はないではないか。テオにとって良いことである事は間違いない。だけど何故か私は首を縦に振れずにいた。


「奥様。隣国は我が領産出の鉄鉱石の輸出相手。実は鉄鉱石の加工技術に優れております。テオドール様はそちらを学びたいと」

とアーロンが私に口添えをした。


なるほど。二人がコソコソとしていたのは、この事かと思い至る。


「加工技術を?」


「はい。オーネット公爵領では産出のみです。それだけでもオーネット公爵領は巨万の富を得ています。しかし、それに加工技術が加われば最強になるのでは?と思いまして。

それを……タイラー伯爵領で行うのは如何でしょう。あの土地は今回の天候不良で農作物に大ダメージを負いました。荒れた田畑を元に戻すには時間がかかります。もちろん領民の気持ちも大切ですが、その土地を農地に戻すのを諦め、加工場を造るのはどうかと思いまして……」


ヴァローネ伯爵のせいで、あの土地は荒廃してしまった。私はあの土地の三分の二をどうするべきか悩んでいたのだが、テオはこれから何年も先を見据えたビジョンを既に考えていたようだ。

テオはしっかりと私の目を見て、そう言った。


……テオはいつの間にこんなに成長していたのだろう。私にはこんな事、全く思いつかなかった。

私に出来たのはオーネット公爵家を今のまま安定させ続ける事だけ。テオはさらに上を目指している。私は胸が熱くなった。


繋ぎの役目はそろそろ終わる。私の仕事はここまでの様だ。


「素晴らしいアイデアだと思うわ。私には絶対に思いつかなかった。テオ。貴方はこのオーネット公爵家の跡継ぎとして、本当に立派に成長してくれたのね。凄いわ」

と私が微笑めば、テオは照れた様に、


「ちゃんと技術を身に着けて帰ってから褒めて下さい」

と笑った。


アーロンとテオの間で、殆どの準備が終わっていた様で、テオの留学は三日後と決まった。


三日後にはテオはここから居なくなる。たった半年とはいえ、私は既に寂しさを感じていた。


テオの出発前夜、彼は私を訪ねて来た。


「勝手に色々決めてしまってすみません」


「どうして謝るの?貴方は良かれと思って決めた事でしょう?私としてはテオの成長を喜んでいるのよ?」

本当はちょっとその成長が寂しかったりするのだが、それは内緒だ。


「そう言って貰えると素直に嬉しいです」

とテオはにっこり笑った。


「テオ……表情豊かになったわよね?」


「そうですか?」

と言いながらテオは自分の顔をペタペタと触った。


「うん。ここに来た時とは全然違うわ」


「……それは自分でも思います。表情豊かなステラ様と一緒に居たお陰です」


「こっちの方がずっと良いわ。社交をする上でもね」

と私が言うと、


「うーん……。そこは自信がありません」

とテオは困った顔をした。


「それは追々考えましょう。結婚相手に社交的な方を選んでも良いんだし」


「………………。そうですね。そんな方を選びたいと思います」

随分と長い間を取った後にテオは笑顔でそう言った。



二人でゆっくりと今までの話をした。過ごした時間はまだ約半年の筈なのに、この半年に色々な事があったお陰で、話題には事欠かなかった。


「色々な事があったわね」


「本当ですね。……領地では退屈な時間が多かったのに、ここでは濃密な時を過ごす事が出来ました。フランク先生にも感謝です」


実は留学にフランクも着いていく事になっていた。そしてフランクはそのまま隣国へ残る。

ギルバートが掴んでいたフランクの秘密……それは不貞だった。

フランクとその女性はお互い家庭があるにも関わらず、惹かれ合ってしまった。

それがお互いのパートナーにバレた。二人は引き裂かれ 二度と関わらないと約束したのだが、秘密裏に連絡を取り合っていたという。それがギルバートに掴まれていた秘密だ。確かにそれが明るみに出るのは非常に不味いだろう。

フランクはその後離縁したが向こうは隣国に家族共々渡ったらしい。

そこからは、全く連絡を取ることはなかったが、つい最近、彼女の夫が亡くなったと風の噂で耳にしたフランクは、隣国へ彼女に会いに行くのだと言う。


彼女は既に心変わりしているかもしれないと言うのに……私はそう思ったが、フランクの気持ちは強かった。そしてそれを少しだけ羨ましくも思った。私はそんな風に異性に愛された記憶がない。それはそれで寂しいものだ。


「フランクも丁度良かったのよ。私としても、一応テオには護衛が一人付くけれど、フランクが居れば尚更心強いわ」


その護衛はあの火事の時、テオの顔をしっかりと見た一人だ。彼にはテオの正体を話したが、少し驚いたのち、しっかり守ると約束してくれた。彼とテオが私とムスカの様な関係になってくれる事を切に望む。


「フランク先生……上手くいくと良いですね」


「そうね。でも、人の心の移り変わりを誰も責める事は出来ないわ。そればかりはどうにも出来ない」


「………私は変わりません」


急にテオはそう言った。……誰かテオにも想う人がいるのかしら?


「そう。でも思い続ける事が辛くなる時もあるかもしれない。その時は自分の気持ちに正直にね」

私にアドバイス出来るような事は何もないが、私はそう言った。


「そうします。……でも、私が帰って来るのを待っていて下さいね」

そう言うテオに、私は、


「もちろん。テオが立派になって帰って来るのを待っているわ」

とそう答えた。


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