第2話

その一週間後。

オーネット公爵は我が家へとやって来た。正式な婚約契約を結ぶ為だ。

彼は開口一番、


「持参金などは必要ない。嫁入り道具もだ。必要な物は全てこちらで用意するから身一つで嫁いでくれば良い」 と淡々と告げた。

オーネット公爵は何が気に入らないのか、眉間にシワを寄せたまま不機嫌そうだ。

そしてその物言いはまるで上官が部下に命令しているかの様。ニコりともしない。


「あ、あの……どうしてうちの娘を?」

父は恐る恐る、でも意を決した様に公爵へ訊ねた。

決死の覚悟であったに違いない。だって、怖いんだもの!

公爵は父を一瞥すると片方の眉をピクリと動かし、


「それを聞いてどうなる?理由を聞かなければ受け入れられないとでも言うのか?」

と冷たく答えた。……つまりは答えたくないと言うことだ。


「いえ……そう言う訳では……」

父は冷や汗なのか、額の汗を拭いながらそう言った。

公爵だって、うちがこの縁談を断る事が出来ない事など、百も承知なのだ。

名家のオーネット公爵家としがない伯爵家のホーキンス家の間には、決して越えられない身分という壁が立ちはだかっている。

逆らう事など許される事ではない。

そそり立つ身分という壁に成す術なく黙り込む私と両親。

そんな私達を気にする風でもなく、


「一週間後に迎えを寄越す。一週間もあれば十分だろう?」

そう公爵に言われ、私は特に準備は不要と言われた先程の言葉を思い出し頷いた。

すると、


「返事は『はい』だろう?これから君はオーネット公爵夫人となるのだ。そんな不躾な態度では困る」

と溜め息をつかれてしまった。

正直、高圧的な物言いに言葉が出なかっただけなのだが、ここで何か言ったところでどうにもならない事を私は悟った。


「申し訳ございません。一週間後お待ちしております」

と私が頭を下げれば、


「これから公爵家の人間として相応しい振る舞いを学んでもらわねばな。とりあえず私は忙しい身なのでこれで」

と公爵は立ち上がった。

私と両親も慌てて立ち上がるも、公爵は、


「見送りは結構」

と言って自分の従者に合図をすると従者は素早く応接室の扉を開けた。

公爵はその扉の前に立ち、徐にこちらに振り向くと、


「あぁ。言い忘れていたが仰々しい結婚式など挙げるつもりはない。時間と金の無駄だからな」

と言い残し、颯爽と扉を出ていった。

私と両親はその背中を唖然として見送る。 うちの執事が玄関まで先導して行った様だ。

私達三人はこの屋敷から公爵の気配が消えると、糸の切れたマリオネットの様に力なく長椅子へと座り込んだ。


「……何だ?あれは?」

と父は不機嫌そうにそう呟いた。母も、


「何だか怖かったわね。ステラ、貴女あんな人の所へ……」

と私をチラリと見て小声でそう言った。

両親の言わんとする事は分かっている。『本当にアレと結婚するのか?』『上手くやっていける筈がない』そう二人の顔に書いてあった。

私だってあんな男、イヤだ。顔はまぁ、整っているのだろうが眉間にシワを寄せたあの不機嫌そうな顔では、どんな美丈夫も台無しだ。

それにあの長身から見下ろされると、独特なオーラも相まって、蛇に睨まれた蛙の様な気分になる。

少しでも隙を見せれば食われてしまいそうだ。

しかし私はそんな不安を振り切るように、


「あのオーネット公爵よ?そんな嫁ぎ先なんてこの先どれだけ待っても来やしないわ。夫婦になってお互いを深く知っていけば、自ずと絆も出来るわよ」

と努めて明るくそう言った。それでも両親は不安そうだ。私は、


「こんな何の取り柄もない私をもらって下さると言うんですもの。私が努力しなければならない事は重々承知よ?大丈夫、ちゃんと幸せになってみせるから」

私は両親を安心させる様に微笑んだ。

私のその淡い期待は直ぐ様裏切られる事になるのだが、この時の私は不安に思いながらも年下の義姉が出来る前に実家を離れ兄のお荷物にならずに済む事の喜びの方が大きかったのも事実だ。


宣言通り、一週間後公爵家からのお迎えの馬車がやって来た。 両親も兄も別れ際に涙を流してくれた。もう二度と会えない訳ではないのだろうが、私が今から向かうのは王都にある公爵家のタウンハウス。我が領地とは随分と離れている。そうそう簡単に会う事は出来なくなるだろう。 私は屋敷の使用人達にも別れを告げ、礼を言って馬車に乗り込んだ。

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