第11話 王と侍女は思い出を交換する

 アランが出ていき、戸が閉まる。ヴィンセントは先ほどマドカが配膳した食事の前に着き、ゆっくりと食事を始めた。


「昼間あんなことがあったろう」

「はい」

「マドカのことは見知っていたから、その、怖がっていないかと案じていた」

「ありがとうございます」


 夜になっても逃げた者が捕らえられたという話は聞かなかった。


 ヴィンセントはローレンスにああ答えたが、ローレンスかアランに可能性があるのなら、マデリーンだって同じくらい怪しい。

 侍女の仕事をしていたマドカの耳にも、事件が起きてから飛び交う噂が沢山入ってきた。しかも悠々自適な生活を目指しているマドカには全く思い付かない、とびきり馬鹿げた動機が、半日で沢山作り出された。

 そのいくつかは、ヴィンセントの耳に届いたかもしれない。


 ヴィンセントは皿の中の野菜を突いて転がしはじめた。やはり食欲がないのだろうか。


「お食事、お口に合いますか? 食べることは元気のもとですから、きちんと召し上がってください」


 心配になり、マドカは思わず声を掛ける。

 失礼は今更だ、大事なのは笑顔の心と唱えながら笑ってみせると、ヴィンセントの表情もようやく柔らかくなった。


「ありがとう、マドカ」


 ヴィンセントが急に立ち上がった。食事はまだ残っているのに、残すのだろうか。


「少し待っていてくれ」


 そう言い置くと、隣の部屋へ行ってしまう。

 しばらくして戻ってくると、マドカを呼び、持っていた小さなものを差し出した。


「これをマドカに渡しておく、護り代わりだ」

「鳥? 人形? ええと羽に見えますがなんでしょうか」


 ブローチかペンダントトップだろうか、しかしそれにしては大きな輪の金具が付いている。そして刻まれている紋様は見たこともない不思議な姿をしていた。

 よく見ると、羽のついた人形にも見える。


「それは俺の母上が、聖女から賜ったものだ」

「えっ、それって……」


 驚いて瞬きを繰り返していると、マドカの手の中にその飾りが落とされた。

 ヴィンセントとその飾りを交互に見比べる。


「三十年前、魔獣に荒れた国の浄化に貢献した聖女だ、物語程度には知っているだろう」

「そう、ですね」


 思わずマドカは言葉に詰まった。知らないわけがない。


「不思議な形だが、神の使いを表しているらしい」

「これ、陛下を護っているとても大切なものなんじゃ」

「かまわない、マドカを護って欲しいんだ」


 視線を上げると、ヴィンセントはとても優しい表情で見ている。慌てるより先に胸が高鳴り、頬に熱が集まっていく。

 マドカは音がしそうな勢いで下を向いた。


 なにかお礼がしたい。


 咄嗟に思いついたものを服の奥から引っ張り出す。


「じゃあお礼に、わたしのおまもりを陛下に渡しておきます」


 取り出した物をヴィンセントへと差し出した。

 それは小さな布袋だ。施された刺繍はラクトセアム王国製ではなくとても繊細で、しかも異国の文字が刻まれている。


「これはなんだ? 国で作られたものではないようだが」

「そうです、お母さんの国に伝わっていたおまもりです」


 手渡すとヴィンセントは興味深そうにその守りを眺め、小袋の中を確かめようと結んである紐に指を掛ける。

 マドカは慌ててそれを止めた。


「あっ、だめです! それ、開けちゃだめなんです」

「ん? どういうことだ?」


 瞬きをして不思議そうに首を傾げたヴィンセントに説明する。マドカもかつて、これを興味津々で開けようとして、そのたびに母に止められたものだ。


「ええと、その中には神様の力が込められているので、開けたらいけないそうです」

「神の力」

「あー、わたしのお母さんの国の神様、ですけど」


 他国であるこの国の王ヴィンセントをどれだけ守ってくれるかは怪しい。それでもきっと守ってくれるだろうと、マドカは思っている。


「わかった、これは貰っておく、ありがとう」


 ヴィンセントは大きな手に守りを包むように持ち、もう一度ありがとうと繰り返した。

 会話が気晴らしになって、食べる元気も出たのかもしれない。ヴィンセントは残っていた食事を再開した。


 食事を終えて、空になった皿を片付けている間も、ヴィンセントはマドカが渡した守りを眺めている。


「名前からしてこの国の者らしくないと思っていたが、マドカは異国の出身か?」

「いいえ、お母さんだけが異国で、お父さんはこの国の人でした」

「でした?」


 視線が守りからマドカのほうへ動く。


「……お母さんの国に一緒に帰りました、今はわたしだけがここに」

「そうだったのか」


 寂しいと感じたことはある。一緒にいたならどんなふうに過ごしていたのだろうと想像したこともある。しかしこれはマドカ自身が選んだことなので、後悔したことはない。

 後悔したら、なにが無駄になるか知っているから。


「俺の母上も隣国……異国の出身だ」

「じゃあ、わたしたち同じですね」

「そうだな」


 ヴィンセントが嬉しそうなので、マドカも素直に笑うことにした。


 国王と同じなどとおこがましい。そんなこと分かっている。

 どんなに温かくとも今だけだ、あと少しで離れなければならないから。

 今だけは、心が躍るような不思議な想いを感じていたかった。



 なにかがおかしい、マデリーンは茶を飲みながらそう考える。


 執務室がヴィンセントのものになってから、もう来ることはないだろうと思っていたのに、マデリーンはまた呼び出されていた。

 しかも今日は待遇も良く、入って腰掛けるなり茶と茶菓子が出てきた。実に美味しそうな焼き菓子は魅力的だ。

 茶器を置くと、ちらりと執務机のほうを見る。

 そこではヴィンセントがなにかをずっと眺めていた。


「ちょっと陛下、わたくし呼ばれた意味がわからないのだけど」


 お茶は美味しいが、さすがに怒っても良い頃だろう。そう思って少し刺々しく感じるように敢えてぶつけた言葉も全く効果がない。

 呼ばれた意味は薄々わかっている。

 先程からヴィンセントが嬉しそうに眺めているそれは、昨日マドカが渡した小さな守りだ。


「昨日、彼女からなにか話をきかなかったか?」

「さあ、なにも聞いていないわ」


 渡した本人なので当然それがなにかは知っている。聞くもなにもないので、嘘は言っていない。

 ヴィンセントから大切なものを貰ったから、つい咄嗟に持っていたお守りを渡した。なんだか気落ちしているようだったから、元気づけたかったという気持ちもあった。

 しかし今日のヴィンセントは元気になったというより、舞い上がって集中できていない。


「そうか、だったらこれは俺と彼女だけの大切なものということになる」


 さきほどから薄々感じているが、ヴィンセントからマデリーンへの用件などない。

 おそらくその守りを貰った話をしたくてたまらないのだろう。


「聞いて欲しかったが、彼女がそれくらい大切に思ってくれているなら、俺も話すまい」


 ヴィンセントの呟きに、扇の中でこっそり息を吐く。

 やはり本音としては聞いて欲しいらしい。


「まあ、元気になったのならそれでいいわ」


 ヴィンセント本人のためにも絶対聞くまいと思い、マデリーンは扇の中で息を吐いた。

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